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私がおばけだった時のこと

私がおばけだった時のことを話そうと思う。
その前に私は死んでないし、そもそもおばけなんているのか?などという疑問は置いといて、ここに来たのは何かの縁かもしれないから、少しだけ時間をもらえないだろうか。

私がおばけになったのは、2022年春のことだった。
人間との接触が極端に無かった日々。
私の家族は弟を除いてすべて亡くなっている。弟は音信不通で、親戚付き合いは無い。友人がまったく居ないかというとそうでもないのだが、つらい時会えるような友人は一人も居ない。恋人も居ない。仕事をしてないので同僚も居ない。
こういう環境だと良くも悪くも「人間関係」というものが存在しない。そして私は気づいた。人と接しないと自分は消えるのだと。
たまに外に出てふらふら歩いていて人とすれ違っても、すれ違うだけで、今の人私のこと見えてた?と疑問に思う。
現実的なことを言えば完全に離人症だった。陽の光の温度を感じない。物体に触っても感覚が無い。歩いてても世界と切り離されてるようにふわふわしてる。自分の輪郭がぼやけていく。
人と会えば自分の変化に気づいてくれて口にしてくれることもあるだろう。髪伸びたねとか、ちょっと太ったんじゃない?とか何でもいい。
鏡も見なくなった。声も発さない。私が私を忘れかけている。
私の名前を呼んでくれる人も居ない。私だという証に名前があるのに、誰も私の名前を呼ばない。では私は誰?
そのうち自分が一秒後何をするのか、まったく予想がつかなくなった。もしかしたら死ぬかもしれないと頭をよぎった時、ぞっとした。死にたくなどない。でも自分が何をするかわからない。家には刃物もあるし、病院で処方された薬で余ったものもある。自分の意思というものが無くなって行く。
恐い恐い恐い、死にたくない死にたくない死にたくない、と気が触れる寸前だった。誰に助けを求めて良いかわからなかった。というか誰も居なかった。
自ら命を絶つ人がみんなとは思わないけど、意外と死にたくないと思いながら、意思のコントロールがきかなくなって死んでしまう人もいるのではないかとも思った。正気と狂気の間の、発狂すれすれの処に居た。
何とか狂うことを凌いだら、慈善活動をしてるような場所、区役所、病院に相談してみた。しかし変わらなかった。私の名前を呼んでくれる人さえ居なかった。
名前を呼ばれない、姿を認知されてないかもしれない、おばけと何が違うのだろう。
おばけは成仏できない寂しい魂だ。霊障を起こすのは存在に気づいて欲しいからだ。私と同じだ。私はおばけなんだ、と実感した。
おばけを全部怨霊と考えたらいけない。優しくて寂しいおばけもいる。だってもともとは人間だったんだから。人間だって悪人も善人も居るでしょう。

幸運にも私はおばけを脱出して、今こうして人間として生きている。でもおばけになることを体験して世界は大きく変わった。自然が、光が、緑が、水が、木が、土が、風が、すべてが美しい。こんな身近に美しいものがあふれてる奇跡のようなこと、何故今まで気づかなかったのだろうと思うが、身近すぎて気づく方が難しいのだと思う。
相変わらず私の周りにすぐ接してくれるような人間はいない。でも自然がある。友達は人間じゃないといけないと誰が決めたの。今の私の友達は、家の隣にある桜の木だ。

怪談に興味を持って一年ほど経つ。今でも死後の世界や幽霊がいるとかそんなことはわからない。でも怪談に救われている。何故か考えた時、それは死に密着してるからだと思った。
私は死が恐かった。何故恐いのか。それは誰にも死後の世界がわからないからだ。天国や地獄があるのか、輪廻転生があるのか、はたまた完全な無になるのか。誰も教えてくれる人は居ない。
それなら恐いもの、わからないものととことん向き合えば良い。自分なりにわからないものを解き明かしていくことで、恐怖は少し薄れる。
私の亡くなった家族は決して悪い人たちじゃない。その人たちがもし冥土という処に居るならば、私もそのうちそこへ行けるんだと考えると、そんなに恐いものでもないかと思う。

去年の9月に、あるオープンマイクの怪談会に参加した。初めての怪談会。だけど私は人前で話すことを決めていた。マイクを持って私が最初に放った言葉はこんなものだった。
「みなさん、私のことが見えますか?」
お客さんは声には出さないけれど頷いてくれた。私は続けて「じゃあ、私がおばけじゃないという証拠になります」と言って笑った。私は生きている、確信した。
それから話す怪談が上手く話せたどうかはわからない。でも話した動機はそれではなかった。お客さんは私の方を見てちゃんと話を聞いて、中には頷いたりリアクションをくれた人もいた。ちゃんと私を認識していた。

私にとって怪談はセラピーである。私の言葉を私が紡いで他者が聞いてくれる。立派な治療だ。
死や霊、一見ネガティブで怪しいものでも、それに救われる人も居る。
これはおばけにならなければわからないことだったし、そういう人が他にも居ることが本当に救いだ。ひとりぼっちじゃないし、もし寂しいおばけがいるなら友達になりたい。

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