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NUMBER GIRLは”透明”ではない。

2022年12月11日、伝説のオルタナティヴロックバンド・NUMBER GIRLが”再び”解散した。

僕は彼らの”再び”の解散ライブの場に居合わせた。

奇跡としか言いようがない、こんなライブ体験は二度と無いと断言できるような3時間を過ごした。このライブは間違いなく伝説になると思う。

この記憶は絶対に、妄想には変わらない。

NUMBER GIRLとは何者か

1995年に福岡市博多区で結成されたNUMBER GIRLが日本ロック音楽史に残る衝撃的な活動を繰り広げていたのは、2002年までのたったの7年間。彼らは人気絶頂期に突如、その歴史に幕を下ろした。

NUMBER GIRLはその姿を消してからも日本の音楽シーンに存在感を放ち続けていた。彼らの影響を受けた椎名林檎、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Base Ball Bear、凛として時雨、星野源など多くのフォロワーたちの作り出す音楽によって、NUMBER GIRLの衝撃は2003年以降も残響し、あるいは活動中よりも拡大していった。解散当時2歳でNUMBER GIRLが現役で活動していた頃の記憶が一切無い僕がNUMBER GIRLに熱狂するようになったのは、ひとえにこうしたフォロワーたちの影響による。

ナンバーガール・シンドローム

アジカンを聴くようになってからTSUTAYAでアジカンと隣接する領域の邦ロックバンドを漁りはじめた僕がNUMBER GIRLに到達するまでには、あまり時間がかからなかった。
アジカンの2003年(つまりNUMBER GIRL解散の翌年)の1stアルバム『君繋ファイブエム』に『N.G.S』という曲が収録されている。

『N.G.S』とはつまり、"NUMBER GIRL Syndrome"、NUMBER GIRLのファンサイトのことだ。アジカンはNUMBER GIRLのことが好きすぎて1stアルバムにNUMBER GIRLへの愛を爆発させたような曲をぶち込んでいるのである。
この曲を聴いて、僕はアジカンファンとしてNUMBER GIRLを聴くしかないと思った。『君繋ファイブエム』を返却した足で邦ロックの棚に直行し、NUMBER GIRLの解散ライブを音源化したアルバム『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』をレンタルした。あれは確か中学2年の夏だったと記憶している。

家に帰ると誰もいなかった。いつもTSUTAYAでレンタルしたCDはiTunesにインポートしてiPodにイヤホンを繋いで聴いていたのだけれど、せっかく誰にも邪魔されないのだからと思って僕は『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』をCDコンポに入れ、ステレオスピーカーで再生した。

「ガチャガチャガチャーン!!!!!!ギュインギュインギュイン……」

剃刀の刃のように鋭いそのギターの音を浴びた瞬間、僕の全身が硬直した。俺は何かとんでもなくヤバい、さらにヤバい、バリヤバいCDを聴こうとしている……そう直感し、これまでに味わったことの無い緊張が僕を覆った。

そして1曲目『I don't know』の演奏が始まる。緊張感の漂うギターのアルペジオが強烈なパワーコードのストロークに移行した。もう一本のギターが重なり、その下をドリルのようなベースが突き抜ける。そして全てを破壊し尽くすような圧力のドラムが襲い掛かってくる。緊張で硬直した僕の身体は彼らのビートに支配され、気づくとドラムのキックに合わせて頭を振っていた。

さらにボーカルの向井秀徳がシャウトする。なんだこのざらついた声は。歌が上手いとか下手だとかそういう次元を超越した、一瞬耳にしただけで「こいつはヤバい」と本能的にわかるぐらいにヤバい奴の声。身体に電撃が走った。

そこからの記憶があまり無い。ほぼ放心状態でDisc 1とDisc 2を入れ替えたことだけは覚えている。

NUMBER GIRLとの出会いは衝撃的だった。こんな体験をしたバンドはNUMBER GIRLが最初で最後だ。

以来、ナンバーガール・シンドロームに罹った僕は繰り返しNUMBER GIRLを聴くようになる。

剃刀のような鋭さと鋼鉄の塊のような重厚さで聴く者の身体性を圧倒するNUMBER GIRLの演奏からしか摂取できない栄養素があった。彼らの演奏を聴くと、心身が緊張し、感覚が研ぎ澄まされる。自分にスイッチを入れなければならないとき、僕はいつもNUMBER GIRLを聴く。

信じられないかもしれないが、僕は『サッポロOMOIDE IN MY HEAD』を聴きながら勉強することが多々あった。脳味噌にアドレナリンを直接注入しているような気分になり、眠気とおさらばすることができるからである。

特に繰り返し聴いていたのが代表曲の『透明少女』だ。この曲にはNUMBER GIRLのすべてが詰まっていると僕は思う。突き刺すようなギター、抉るようなベース、押し潰すようなドラム、そして焼けるような夏の暑さと焦げるほどの17歳の少女へのコンプレックスをガッサガサに叫ぶボーカル。彼らの真骨頂だ。

中高生の頃の僕にとって、夏というのはいつも鬱陶しい季節だった。吹奏楽コンクールのために体力と神経を擦り減らす毎日。肌を焼く日差し。不快感を煽る湿った空気。毎年頭がおかしくなりそうだった。そんな夏の憂鬱をぶった切ってくれるものが、あの頃の僕には必要だった。
夏にまつわるすべてをめちゃくちゃに切り裂いてやりたくなったとき、僕は決まって『透明少女』を聴いた。だからこの曲には、あの頃の夏の記憶がじっとりと染みついている。

いつかNUMBER GIRLが演奏する『透明少女』を生で聴きたい。
僕はずっとそう思っていた。

でもそれは叶わない夢だと諦めていた。僕が聴き始めた2014年の時点でNUMBER GIRLの元メンバーたちはそれぞれ別のキャリアを歩み始めてから随分と長い時間が経っていて、彼らの道が再び交わることはもはや無いだろうと言われていたからだ。解散してから10年以上経ってから聴き始めた僕にとって、NUMBER GIRLは伝説上の”透明”なバンドだった。

だから、この一報を目にしたときは椅子から転げ落ちてしばらく動けなくなるぐらい強烈な衝撃を受けた。

”透明”ではなくなったNUMBER GIRL

NUMBER GIRLは実在する。そしてNUMBER GIRLは17年の時を経て再び4人で音を鳴らす。

正直に言うと信じられなかった。

例えが適切かどうかわからないが、「トトロいたんだよ。トトロってちゃんと言ったもん。ほんとだもん!ほんとにトトロいたんだもん!うそじゃないもん!」と同じぐらいの信憑性しか感じられなかった。だって、僕にとってNUMBER GIRLは伝説の存在だったから。失われた古代文明みたいな、本当に、そんな感じの”透明”な存在だったから。

あまりにも現実味の無い話に思えて、僕はその後NUMBER GIRLのライブの情報などを一切チェックしなかった。2019年の3月に上京して、大学生になって、しばらくの間は授業やバイトやサークルで忙しくてそれどころではなかったから、というせいもあるけれど。

そんなこんなで、せっかくNUMBER GIRLが再び活動しているというのに彼らの実在を半ば虚構のように捉えながら、再結成から約3年の月日が経った。相変わらずNUMBER GIRLは聴き続けていたし、夏が来るたびに『透明少女』をヘビーローテーションしていたのだけれど、彼らの生演奏を聴く日が来るような気は、なぜか全くしなかった。

そんな僕に転機が訪れた。2022年夏のロッキングオンフェスティバルである。
僕は22歳になるまでロックフェスというものに参加したことがなかった。ずっと行ってみたいとは思っていたのだけれど、毎年夏は中高生の頃は吹奏楽コンクールがあったし大学生になってからもあれやこれやと忙しく、また2020年2021年は社会情勢諸々の事情で音楽イベントから遠のいていたから仕方が無かった。2022年になってようやく社会が平常に戻りはじめ、また僕の余暇時間にも多少のゆとりができた。せっかくだから、大学生活最後の思い出作りの一つとしてロックフェスに行きたい。どうせ行くなら日本最大の邦楽フェスであるロッキンに行きたい。そう思っていた僕は、5月の出演アーティスト発表を心待ちにしていた。

5月24日。ロッキンの第二弾出演アーティストが発表された。すると8月11日の出演者一覧の中にひときわ異質な存在感を放つバンド名があった。

NUMBER GIRLである。

僕は8月11日のロッキンに行かねばならないと思った。考えるより先に指先が動いていて、気づくとチケット抽選の申し込みを済ませていた。

ロッキンのチケットはそれなりに倍率が高く、申し込んだ人が全員購入できるわけではないらしい。それでも僕は運よく、8月11日のチケットを手に入れることができた。

今回のロッキンでは、アーティストごとに前方優先エリアが設けられた。事前抽選で当選すれば、そのアーティストのライブをステージのど真ん前で観られる。チケットを確保した僕は迷わずNUMBER GIRLの前方優先に応募した。これまた見事に当選した。運命だったのかもしれない。

NUMBER GIRLの再結成を心の中で疑っていた僕が、NUMBER GIRLを間近で観る権利を獲得した。今度はそのことが何だか信じられなくなっていた。あまりにも事が上手く運びすぎていると思ったからだ。

そして迎えたロッキン当日。Creepy Nutsのライブ中に雨が降ってきて一時はどうなるかと思ったが、その後の千葉市蘇我海浜公園は澄み渡るような快晴。最高の野外フェス日和だった。


12時45分。ついにNUMBER GIRLの出番がやって来る。僕は少し緊張しつつも、まだどこか信じられないような気持ちで前方優先エリアに入った。僕の周りにいるのは僕より年上の人ばかりだった。2002年までの現役活動時を知っている古参ファンが多かったのではないかと思う。僕はこの人たちの中に混ざっていて良いのかどうか、言いようのない不安に苛まれた。

そんな不安は即刻一蹴された。定時になり、NUMBER GIRLの4人がステージに上がってくる。ずっとYouTubeの古い映像でしか見たことがなかった人たちが、2022年に、生身の身体を僕の肉眼の前に晒している。それは否定しようのない事実だった。僕はそのことに大いに感動した。トトロ――ではなく、NUMBER GIRLって本当にいたんだぁ……

そして4人の演奏が始まる。海浜公園に響き渡る、鋭く重たい轟音。そのすべてに突き刺され、押しつぶされ、めちゃくちゃにされた。最高の気分だった。このまま死んでもいいとすら思えた。僕の周りにいた先輩方もみんなそんな気持ちだったんじゃないかと思う。NUMBER GIRLが目の前にいる。目の前で、今、音を鳴らしている。その音が、僕の全身に突き刺さっている。そのことが幸せでたまらなかった。

持ち時間が佳境に差し掛かり、ボーカルの向井秀徳が短く呟いた。「やっぱりあの娘は『透明少女』」

ついにこの時がやって来た。何千回と聴いたギターのイントロを浴びた途端に全身に鳥肌が立った。NUMBER GIRLと共に過ごしてきた8回分の夏の記憶が僕の中で一気に湧きあがってくる。サビでそれが爆発した。僕は頭を振りながら大号泣していた。

2022年8月11日、NUMBER GIRLは確かにそこにいた。そして彼らに生かされてきた僕もまた、確かにそこにいた。NUMBER GIRLは、”透明”ではなかった。

諸行は無常である。

人間というのは夢が叶うと強欲になる恐ろしい生き物だ。僕はNUMBER GIRLの演奏をもっと聴きたいと思うようになってしまった。次のライブはいつだろう。ワンマンツアーとかやってくれないかなぁ。そんなことを考えていた。

しかしその2日後、約束の地・北海道で行われたライジングサンロックフェスティバルで、NUMBER GIRLは再び解散を宣言した。12月11日に横浜のぴあアリーナMMで最後のライブを行うという。

ライジングのステージで、「解散するな!」というファンからの野次に対して向井はこう応えたという。

「諸行は、無常である」

僕は何としてでもこのライブのチケットを手に入れなければならないと思った。彼らの演奏を生身に浴びる幸福を知ってしまった僕はもう以前の僕には戻れない。もう一度、彼らの演奏を嚙み締めないと死んでも死にきれない。

再解散ライブのチケット争奪戦は過酷だった。同じ時期にNUMBER GIRLにハマった中学時代からの親友Nと協力して臨んだチケット先行抽選販売はすべて落選。一般販売も撃沈。もはや打つ手なしと諦めていた11月、親友が立見席の販売情報を掴んだ。僕たちは奇跡的に、再解散ライブを見届ける権利を手にしたのだった。これもまた運命なのかもしれない。彼には一生感謝し続けると心に誓っている。

再解散ライブの前々日、12月9日の朝に日テレの情報番組「スッキリ!」にNUMBER GIRLが生出演した。17年の断絶、再結成、再解散だけでもめちゃくちゃなのにナンバガが朝の情報番組に出るなんてもうめちゃくちゃだよ。
NUMBER GIRLはずっとアンダーグラウンドな世界で評価されてきたバンドだと思っていたので、これは本当に意外だった。朝の生放送に映る向井秀徳は笑ってしまうぐらいに似合っていなかった。
スタジオで『透明少女』を生演奏。やっぱりナンバガといえばこの曲なんだな。曲に入る前に向井が本当に意味の分からない長いMCを繰り広げていて本当に最高だった。

そして12月11日。真夏のロッキンとは対照的な寒空の下、僕と親友Nは横浜に向かった。

NUMBER GIRLと共に存在することができる最後の夜。僕はひどく緊張していた。どこか現実味がなくふわふわとしていたロッキンの時とは違って彼らの存在を確かに認識していたがゆえに、再解散するという事実がより切実なものに感じられたのだと思う。NUMBER GIRLはもはや”透明”ではなくなっていた。実体の実感をともなった彼らを不可逆的に失ってしまうということについて僕とNは何とも言い難い思いを抱きながら、バカでかいアリーナに入った。

立見席という落ち着かない環境だったこともあって、開演時刻まで僕はひどくそわそわしていた。はっきり言ってNUMBER GIRLには解散してほしくなかったので、一生開演時刻がやって来なければ良いとすら思っていた。いやにもどかしい時間だった。

約束の時刻が来た。メンバーの4人が超満員1万2000人の大観衆とライブ中継用カメラの前に姿を現す。

ステージにかなり近いバルコニー席に立っていた僕には、メンバーの表情がよく見えた。
彼らはとても穏やかでにこやかな顔をしていた。向井は相変わらず何を考えているのかよくわからない変な顔をしていたけれど、YouTubeで観た2002年の札幌での解散ライブの時とは全く違う、ストレスの無い表情をたたえていた。それを見て、僕は考えを改めた。彼らはこの解散ライブを沈痛な気持ちで迎えているわけではないのだ。活動していなかった17年間を含めた27年分の感謝の気持ちをファンに伝え、そしてメンバー4人で楽しいOMOIDEを作るためにこの場に立っているのだと、そう理解した。だから僕たち観客がしみったれた顔でこの場にいる必要は無く、むしろ彼らの最後の晴れ舞台を全力で楽しみ、そして笑顔で彼らを送り出してやるべきなのだと思った。

『無常の日』と名付けられた解散ライブは、終始和やかで、穏やかだった。NUMBER GIRLにはスローバラードのような曲は一切ないので、相変わらず3時間ずっとジャキジャキの轟音を響かせ続けることにはなるのだけれども、それなのになぜかピースフルでハートウォーミングなものを感じる、不思議な演奏だった。NUMBER GIRLの演奏に温かさを感じる日が来るなんて思ってもみなかったので、この時は本当にびっくりした。途中で設けられたブレイクタイムに当日撮影されたメンバーのプリクラが大写しになるなど思わず笑ってしまうような演出がなされたことも大きい。50歳を目前にした大人たちが楽しくバンドをやっている。一度バラバラになった4人が、17年の時を経て再び集まり、再び青春をかき鳴らし、そして満足して再びそれぞれの道へと戻っていく。そういった一連の奇跡がこの上なく尊いことなのだと、僕たちは教わったのだ。

この日、NUMBER GIRLは『透明少女』を演奏した。代表曲なのだから当たり前である。でもただ演奏しただけでは終わらないのがNUMBER GIRL。何とこの曲を4回も演奏したのだ。本当にめちゃくちゃである。最高だ。

あの会場にいた誰もが待ち望んでいた『透明少女』を、彼らはいきなり2曲目にぶち込んできた。オーディエンスはあまりに唐突な『透明少女』に面食らいつつ、「これが最後の透明少女……!!!!!!」と噛み締めるように音を浴びた。この曲に並々ならぬ思いを持っている僕はロッキンのとき以上に大号泣した。最高だよNUMBER GIRL。『透明少女』という名曲を生み出してくれてありがとう。え?もう1回やるんですか?やったぁ!いや~よかった、まさか2回も『透明少女』を聴けるなんて。満足満足。はぁ???また『透明少女』?????もう永遠にこの曲を演奏し続けてくれ!!!!!!解散するな!!!!!!!!!!

本当にこんな感じだった。会場にいた誰もがこんな風に思っていたのではないかと思う。

3回の透明少女の合間(?)に、1回のブレイクタイムを挟みつつ彼らは約30曲をぶちかました。途中、向井はステージ上でアサヒスーパードライを5本も飲み干し、どこからともなくゴム人形を取り出して引っ張り、タバコを5本同時に加えてチャッカマンで火をつけて吸い、中尾憲太郎のベースをミュートする悪戯をし、田淵ひさ子のギターのシールドを引っこ抜く嫌がらせをした。本当にめちゃくちゃである。最高だ。本当にこれは解散ライブなのか?と思うぐらい、向井も他の3人も自由にのびのびと演奏していた。

アンコールが終わり、4人が舞台を後にする。鳴りやまぬ拍手。手拍子。再びのアンコールにメンバーが答える。おそらく予定外のダブルアンコール。再々度、4人が舞台に上がった。

「客電はつけたままでええです」と向井。メンバーが各々の楽器を手に取る。これが本当に、NUMBER GIRLの最後の演奏になる……最後の最後にやるなら、あの曲しかない。

向井がスタンドマイクに向かって口を開いた。

「やっぱりやっぱり結局、あの娘は、『透明少女』」

ひさ子の強烈なギターのストローク。向井のギターが重なる。アヒトのカウント「ワンツッスリッフォ!!」。アヒトのドラムと中尾憲太郎のベースが爆発し、超満員のぴあアリーナがその日いちばんの熱気に包まれる。

これが本当に最後の『透明少女』。もう二度と演奏されることが無いかもしれない『透明少女』。この曲と共に青春時代を過ごしてきたオーディエンスはみな、泣きながら笑顔でそれを見届けた。向井の目にも涙が浮かんでいた。あの向井が泣いている。目を真っ赤にしながら声を振り絞る向井の顔がモニターに大映しになったとき、オーディエンスはNUMBER GIRLの終わりを受け入れた。

透き通って見えるのだ
狂った街かどきらきら
気づいたら俺は夏だった風景
街の中へ消えていく

NUMBER GIRL『透明少女』

そして最後の『透明少女』が終わった。メンバー4人の顔は最高に晴れやかだった。福岡博多のアンダーグラウンドから始まったバンドは、その歴史の最後の最後に強烈な光を放った。客電がついたままのぴあアリーナは、真夏の正午のように明るかった。

中尾憲太郎が、向井が、ひさ子が、アヒトが、笑顔でステージを後にした。ひさ子が中尾憲太郎のベースに足をぶつけてゴーンと音が鳴ってしまった。これがNUMBER GIRLの最後の音。慌てて小走りでステージに戻ってミュートしたひさ子は、さっきまであんなにも狂暴にギターを掻き毟っていた人だとは思えないぐらい可愛らしかった。日本一ジャキジャキな轟音バンドの幕引きは、あまりにもほっこりしていた。

最高のバンドだな、と思った。

僕たち1万2000人のオーディエンスは明るい顔でぴあアリーナを後にした。おそらくあの場にいた誰もが、こんなにも暖かく満たされた気持ちで帰宅することができるとは思っていなかっただろう。

間違いなく、今夜のライブは伝説になる。そんな気がした。

僕の下宿に帰ってNと二人で飲んだスーパードライは、これまでに飲んだどのスーパードライよりもキレッキレっだった。

NUMBER GIRLは再び”透明”になったのか

NUMBER GIRLは再び解散した。2023年の今、NUMBER GIRLというバンドはこの世に存在していない。向井秀徳は再びZAZEN BOYSの、田渕ひさ子はtoddleの、中尾憲太郎はART-SCHOOL等の活動に戻り、アヒト・イナザワは福岡に帰った。

でも、NUMBER GIRLはいまだ”透明”になっていない。

あの『無常の日』のライブで、NUMBER GIRLは伝説になった。彼らの伝説は永遠に色あせることのないOMOIDEとして、僕たちの心に残り続ける。OMOIDE IN MY HEAD。NUMBER GIRLというバンドは「最高にジャキジャキしているけど最高にあったかい伝説のバンド」として、日本のロック史にその名を残し、これからも多くのミュージシャンたちに影響を与え続けるだろう。

17年間”透明”だったNUMBER GIRLはその色を取り戻し、鮮烈な色を放つOMOIDEとなった。あの夜、ぴあアリーナでその伝説の色の一部になれたことを僕は誇りに思う。

NUMBER GIRLは僕の人生の色彩を豊かにしてくれた。ありがとうNUMBER GIRL。これからも僕はあなたたちのジャキジャキの轟音を浴びながら、前を向いて生きていきます。

朝日は今だ白く眩しくて
俺は俺を取り戻すのをじっと待っている
だんだんクリアになっていく
頭の中の思い出が遠ざかる

さあ、もう目を開けて
感情の渦巻きに沈んでいく俺を
マボロシに取りつかれた俺を
突き飛ばせ
そして、どっかに捨てちまえ

Omoide in my head
In my in my in my head

NUMBER GIRL『OMOIDE IN MY HEAD』



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