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【さとり#11】One Heart流「さとり」の探求。 「脳」はさとりを理解できない

こんにちは。


ピアノ講師、メンタルコーチの「One Heart」です。


今日は有料マガジン『”差”取りプロジェクト!ひとつの世界で生きていく』の内容になります。


わたしたちって、「変化」を嫌う生き物なんですよ。


というか、「脳」がね・・・。


”コンフォートゾーン”って言葉、知っていますか?


コンフォートゾーンとは、ストレスのない居心地の良い環境や精神状態のこと。


「いまの状態」が安心でいいよね、みたいな感覚。


言いかえると、「成長が止まった状態」ともいえます。(ちょっとスパルタな表現ではありますが・・・ご了承ください、笑。そのぐらいキツめに表現しないと、私たちは本当の意味で変わることができないのですから・・・)


✧˙⁎⋆振り返りnote
「コンフォートゾーン」から抜ける怖さ、について書いています。
お時間あればぜひ読んでみてくださいね。


誰でも変化は怖いし、変わるには「ストレス」がかかるんです。


でもその一歩を”えいっ!!”って超えたら・・・、
意外とやれるのかもしれません。


前置きが長くなるので、このあたりで本題に入っていこうと思います。


さて、今回は「いま、この瞬間に在る」ということについて。


これは、ひとことで言ってしまえば、
思考の範囲では言い表せられないこと、となってしまいます。


つまり、言葉で〇〇です、とはっきりした定義ができない、ということ。


それでもまずはきっかけとして、メカニズムを頭で知ることが入口だと思うので、今日は書いていきたいと思います。


前回のnoteはこちら。(最後までお読みいただけます)


✼••┈┈┈┈••✼


1.エゴは「さとり」を理解できない


思考を「ほんとうの自分」とみなすと、
「大いなる存在」につながれないために、
「ほんとうの自分」の代用品として、「にせの自分」をつくりだしてしまうのです。
エゴとは、恐れと欲望の世界に生きているからです。
思考(感情を含む)を「ほんとうの自分」とみなすことが、
「無意識状態」のそもそもの出発点であることさえ認識できれば、
「無意識状態」から抜け出すことができる。

エックハルト・トール著「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」より


思考を「ほんとうの自分」とみなす=「無意識状態」


思考=自分とみなしてしまうことで、エゴを強化してしまう。


そしてこの同一化が思考そのものを無意味なものとしてしまうのです。


思考は「自分」ではありません。


まずは、これを頭で理解する。


理解、という段階があって、行動(実践)へと移る。


そして、そのあと体感する。


脳(エゴ)は、「さとり」を理解できないのです。


たとえできたとしても、それは限定的な「さとり」という状態になったという体験であって、エゴにとってはそれも栄養という材料にすらなってしまうから。


ことあるごとに、「あの境地(さとり)を体験したい」と思ってしまうんです。


一側面でしかないエゴに、「さとり」を知ることはできないのです。


普段のわたしたち、「母親」とか「妻」とか「〇〇の社員」とかのいわゆる”顔”も、エゴである自分がつくった人格にすぎません。


「ほんとうの自分」からみたら、”一側面”でしかないのです。


わたしで例えると、
「ピアノ講師」も「noteを書く自分」も、”ほんとうの自分”ではありません。


「ピアノ講師」というエゴがつくった人格が、
ピアノを教える、伝えるという行為をしている、ということ。


じゃ、多重人格なのか、わたしたちは・・・という疑問が出てきますが、
ある意味そうなんだと思います。


  • 妻、夫

  • 母親、父親

  • 職業(肩書き)

  • 長男長女など


妻を演じながら、母親を演じ、時に職業としての顔となる。


いろんな”わたし”を演じている。


だから、

  • 怒っているわたし

  • 悩んでいるわたし

  • 落ち込んでいるわたし

  • 楽しそうなわたし


これらも、「ほんとうの自分」ではありません。


そう思うと少し楽になる感覚があるかもしれません。


しかもその人格たちは、生まれてから自分でつくってきた人格なので、変えたかったら、いつでも変更可能です。


たとえば、「妻」は家事をきちんとやらなければいけない、と思っているとします。


だから、妻である人格は、きちんと家事をこなすよう頑張るわけですが、
ここに違和感を感じているならば、それは自分がつくったアイデンティティ(人格)がそうさせているだけで、いつでも変えることができる。


妻だからといって、きちんと家事ができなくてもいい、というように。


家事ができないとダメ=妻失格、は
何か外側の情報でそれが正しいと教わってしまったこと。


常識のように私たちの脳にはインプットされていますが、
それが正しいかは、自分で決めることができるのです。


真実は、「わたしの中」にある。


そのことに違和感を感じたのならば、自分の思いに正直になればいいのです。


上記はあくまでも例にすぎませんが、
他にもたくさんのアイデンティティが外側の情報(常識)によって、歪んで解釈されています。


そういった観念がわたしたちを苦しめるのです。


このブログに来てくださる方は、こういった違和感にすでに気づいている人だと思います。


観念は、あくまでも観念であって、自分の中の真実ではありません。


では、自分にとって真実は何なのか?という問いを出してあげてくださいませ。


答えはみんな違うし、違っていていいのです。


むしろ、「ほんとうの自分」は、いつでもそんな自分自身を
「信頼してほしい」と願っているんです。


2.時間は幻だとさとること


時間と思考は、ひとつ。
互いに離れることのできない存在。
頭から時間の概念をとりはらうと、思考活動はぴたりとやむ。
「過去も未来も幻である」
これが真実。

エックハルト・トール著「さとりをひらくとシンプルで楽になる」より


時間は幻。


エゴは時間はセット。


言いかえると、エゴは時間がないと生きられない。


過去の行いやその時に思いに執着をする。
そして、未来に向けて不安を感じる。


私たちが起きている間にしている思考活動は、常に過去や未来について。
”いま”しか生きられない”わたし”という本質からしたら、「幻」だということがわかる。


「幻」だから、その思いに執着するとき、エネルギーを多く使い疲れてしまうんですね。


疲労感を感じている時は、からだが疲れているというより、頭が疲れていることが多い。(肉体労働をしている方は、からだを使っているので疲れたら休ませてあげてくださいませ)


そんな時は、頭をリセットする。


寝る、とか、ぼーっとする、とか。


思考がぐるぐるし始めると、瞑想もなかなか集中しづらくなる。


でも根気よく瞑想を続ける。


ぐるぐるしていた思考が少しずつ、離れていく感覚がする。


「わたしはこういう人」というアイデンティティも幻。


思考が作り出したもの。


また、すぐに時計を見るクセのある方。


○時になったら、〇〇をする、とルーティンを決めて行動している方。


それはそれでいいと思いますが、そのルーティンが、何かの観念に縛られてやっていることであれば、気づくことも大切。


毎日同じお店にお買い物に行くことだったり、食事の時間だったり・・・。


ルーティンから抜け出すのも、「エゴ」からの解放の大きなミッションです。
(コンフォートゾーンから抜けるわけだからね)


また、毎日のルーティンに”違和感”を感じているのなら自問してみてくださいませ。


人生は、「いま」という瞬間だけです。


「いま、この瞬間」を疎かにする、ということは、
未来も疎かにするということなのです。


ちょっと、理解するのが難しいと感じてきましたか?
みんなそうだから安心してくださいね。
脳はなかなかこれを理解できないから・・・。


「体感」しか、ないんです。
(行動しろ、ということ。そしてその結果みえてくることがある、という話ね)


今日は、ここまでです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


6月末は少しペースアップでこの内容をほりさげていきたいと思います。
予定ではあと2つ、続けて投稿していきたいと思います(有料も含む)。


今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。

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