ご自愛の本質。すべては”ひとつ”であること。
こんにちは。
またまた、箱根の思い出。
箱根ロープウェイに乗って、早雲山というところに行きました。
この早雲山の駅につながっているカフェ「cu-mo箱根」というカフェで、
期間限定で販売している「ミルキーウェイソーダ」をいただきました。
天の川をイメージしたドリンクで、ブルーハワイのソーダにラムネのソフトアイスがのっていて、中には黄色や青の星形のナタデココが入っているという豪華な飲み物。
さわやかなソーダとラムネの甘さ、ナタデココのむにゅっとした食感が口の中に広がる・・・夏!を堪能できる飲み物でした。
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タイトルの画像は、瞑想アプリ「Meditopia」のメッセージ画像です。
さて、わたしが最近「ご自愛」についてnoteにたくさん書いているのは・・・。
いま、わたしにもみなさまにも必要だと感じているから。
メンバーシップの7月のテーマとして取り上げている「無価値感」については、「ご自愛」とは対極の関係にあるような感覚で、noteを書きながら「無価値感」という感覚にどっぷりとつかっている自分に気づく瞬間があるからです、汗。
書いている時は、書いている内容に自分自身が入り込んでしまうもの。
人にとって、基本装備である「無価値感」という感覚のことを探っていると、なんだか自分が”無価値な存在”だと決めつけてしまっている自分がいることに気づいてしまうんです(それは大変だ・・・)
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「客観視」とか、「俯瞰視」といったメタ認知をしていくと、
こういった感情は一時的なものなので、いずれ消えてしまう感覚であること、そしてこういう感覚は自分自身のものではないことなどを気づいていくのですが、深堀りして文字に書き起こすアウトプットという作業というのは「こういう感覚をもっていますよ、あなた」という思いを再確認しているような感じにさえなってしまうのです。
まぁこれも、繊細さんあるあるなものなのかもしれないけれど、
この繊細さんも、わたしの一部分であるだけで、わたしそのものじゃない。
そして、幼少期に親から伝達されたきた価値感も、
”親”の考えであって、”わたし”の考えではない。
こういった感じで、観察を続けていくと、
価値感そのものが修復されていきます。
それでも、いったん受け入れてしまった価値観は、
ことあるごとにわたしの心の中を占領するので、そんなときには、
この価値観からくるネガティブな反応(思い)を”小さな子ども”だと思うこと。
そして、その子どもは”幼少期に癒されなかった自分自身”だということ。
今の言葉でいうならば、「インナーチャイルド」っていうのでしょうか。
この「小さな子ども」は、ただ安心したいだけなんです。
親に「よしよし、大丈夫だよ」と言ってもらいたかったのに、言ってもらえなかったから、今でも癇癪を起こすのです。
心のメカニズム、幼少期から子ども時代にどんな環境で生きてきたかということがこんなにも大人になってから影響するんだ、ともっと早く知っていたら・・・、現実は違うものになっていたかもしれない・・・なんて思うけど、これも自分で選んだ人生だと客観視できれば、それでオッケーなのです。
時々癇癪を起こすわたしの中の”小さなこども(インナーチャイルド)”は、ただ安心したくて、自分を信頼したくて、いまわたしの心の中に存在しています。
安心させてあげられて、信じてあげてさえいられれば、
それがイコール「ご自愛」ということなのです。
これは、自分自身にしかできないこと。
他人からもらうのは、承認欲求というエゴ(自我)からくるもの。
このエゴ(自我)は、エスカレートするのでけっこうやっかいだし、ここにも根底に「無価値感」という落とし穴がある。
安心や信頼は、”もらう”ものではなくて、育てるもの。
自分からはじまり、自分に終わる。
自分の”傷”を知ることは、相手の傷にも気づいてあげられる、ということにつながっていきます。
「ご自愛」って、自分だけにあるものではなくて、
結局のところ、まわりのみんなのためにもなる、ということだと私は感じています。
もともとはわたしたちはみんなつながっているのだから・・・。
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ。
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