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子供の頃の夢


誰しも子供の頃に
ぼんやりと憧れる職業があったのではないか

ケーキ屋さん、保育園の先生、警察官や、
今の時代だとユーチューバーとかも人気だろう。
そうやって、純粋無垢に将来を夢見た。


子供の頃のわたし

何歳の頃だったか忘れてしまったが
ある時、母親に聞かれた
「まいは将来なにになりたいの?」

私は、はっきりとこう答えたことを覚えている。
「人の役に立つ仕事がしたい」

なぜ、こんなことを言ったのか
ケーキ屋さん、お花屋さんになりたい。
そう思っていた時期も確かにあった。

当時の心境はわからないけど
子供なりに何か考えていたのだろう。


私のことをご存じの方は驚くかもしれないが、
小学校低学年までの私の性格はとにかく明るかった

いつも笑顔で笑っていたし
人を笑わせることが大好きだった

毎日、夕方の鐘が鳴るまで近所の子と外で遊んだ。
間違っても、家の中でシルバニアファミリーごっこ
をするような女の子らしさはなかったと言える。
男の子と混ざってサッカーをしたり、木登りをして落ちてケガをしたりするような、活発な娘だった。
一言でいうと「天真爛漫」そんな子供だったと思う。

比較して今は、物静か、冷静、
何考えてるかわからないなんて
言われることもある。
※酔ってるときは、該当しません。


優等生からグレるまで

時系列で話していく。
途中までは前述通りで、
小学5年生の時、転機は突然訪れた。
両親が離婚した。
父は婿養子で、祖父母も一緒に住んでいたのだが
父親ひとりが家を出ていくことになった。
最初のうちは、養育費を払いに来ていたのに
ある時から来なくなったのを私は知っている。

どんな父だったか少し話させてほしい。
トラックの長距離運転手だったので、
週末にしか家に帰ってこないような人だった。
家族なのに変と思われるかもしれないが、
子供ながらに父親に遠慮があり、
少し顔色をうかがうような接し方をしていた。
両親は顔を合わせると、喧嘩していた。
聞きたくなくて、夜は布団にもぐり眠りについた。


語れる思い出といえば、
近所の酒屋やコンビニに一緒に行って
籠いっぱいにつまみやお菓子を買ってくれて、
4リットルの焼酎ボトルをいつも横に置きながら
お酒を飲む父の横でつまみを食べていたってことくらいしかない。
お酒が好きな私は、抗いようもなく父の娘なのだ。

まったく家に近寄らなくなった父に対して私は
「もう私達はどうでもいいんだ、捨てられたのか」と傷ついたんだと思う。
子供の頃の経験は人格形成に大いに影響する。
今はもう大人だし、なんとも思わないけど、、、

まだ固まっていないアスファルトに足跡をつけられ
そのまま固まったら、その足跡(傷)は消えない


そこから私は、わかりやすくグレていったと思う。
中学1年生の頃まではわりと優等生だった。
100満点のテストだったら、80~90がザラで
周囲に勉強を教えるような生徒だった。

子供の頃から、周囲の大人達によく言われた
「まいちゃんはしっかりしてるね」
その言葉が、プレッシャーになっていたんだと思う
私は兄弟の誰より"しっかりしなきゃいけないんだ"とそんな思いを抱えていた。


中学2年生になって、それがプッツリと切れた。
ちょっとやんちゃな子達とつるむようになった。
家庭環境も似ていて、傷の舐め合いていったら
聞こえは悪いけど、強い仲間意識が芽生えた。
「この子達なら私の気持ちを分かってくれる」
そう、お互いに感じていたのだと思う。

生活が昼夜逆転した、この年にしてお酒も飲んだし、学年の中で浮くグループだった。
いわゆる不良。不良といっても犯罪はしないし、
田舎のちょっと尖っているかわいい不良だ。
先生にも目を付けられて、進路指導室によく呼ばれたっけ。けど、手の掛かる子ほどかわいいっていうよね(自分で言うな)

笑って、泣いて、怒って、悩んで
とても濃い時間を過ごした
反抗期は中学生で、青春も、この時だった。

いつの間にか、心を閉ざす性格に変わっていた。
だれも私の気持ちなんかわかってくれない。
そうやって、壁を作るようになっていた。


エスパーじゃないんだから自己開示しないと
わかるはずないのに、まだ青臭くて、とても若かった。



変わりたいと決意

まぁ、こんな感じで20台前半まで、
自分でいうのもなんだけど、
楽しかった事より辛い事が多い人生を歩んできた。
わたしは幸せになっちゃいけないんだって
本気で思っていたこともあった。

大人になってからの話は割愛するとして、
見事に性格が変わった。

23歳の時の私はというと、
自己肯定感が低く、自分に自信がなかった。
寂しさを男で埋めては、自己嫌悪に陥った。
ひとりになると寂しさで押しつぶされそうになって
ネガティブ思考で、常に病んでいたと思う。
嫌われないように、相手の顔色をうかがっていた。
そんな自分が嫌いだった。

変わりたい、こんな自分は嫌だ

ある時、強くそう思った。

でも、人間すぐには変われはしないことを
すでに一度経験して、分かっていた。
それでも、もがいてもがいてもがいた。
今思い出すと笑っちゃうけど、初対面の人に
説教されに行ったこともあった。笑

結局、自分のこと好きかもって
思えるようになったのは、ほんの数年前の話。



心境の変化


こんな感じで、私なりに生きることに必死だった。
自分の事で精一杯な奴が周囲に気を配れる訳もなく
その後も苦労したが、いろんな経験を通して
今は日常にも、心にも余裕を持てるようになり
人に寄り添えるようになったと思う。

何もできなかった自分を思い返せば
そうできる自分でいれることが嬉しい

わたしを必要としてくれる人がいるなら
全力で力になりたいと思うし
何もできなくても話を聞いて
気持ちを共有したいと思う


ツイッターの裏垢で、
最初は軽い感じで、男性との体験談を公開した
それを読んで興奮してくれる人がいた
(もっとみんなを興奮させたい)

ちょっとした失敗談を面白おかしく書いて公開した
面白いと笑ってくれる人がいた
(もっとみんなを笑わせたい)

ほんの少しずつだけど、
私の綴る言葉に反応の声が増えた。
「勇気が出ました」「共感します」「面白いです」すごく嬉しかった。

こんな、ど素人の書いた文章を楽しみにしてくれる
ファンていったら生意気でおこがましいけど
そんな人も出てきた頃。
それは、ただ面白いだけの気持ちではなくなっていた。


私には、優れた頭脳も知識もノウハウも何もない。
けど、人よりちょっと濃い人生を歩んでいるので
人の痛みを理解して、寄り添えることが
強みだと思った。


上辺の"わかる"ではなくて
心からの"わかる"が言える

あ~このためだったのか。
死にたくなるほどつらい日々もあったけど
ここに辿り着くためだったのか、そう感じた。


そりゃ、費やした人生の時間が長々ければ長いほど
無駄だと誰もが思いたくない。
ブラック企業に勤めただとか、ひどい彼氏(彼女)と付き合っただとか
家庭環境が複雑だとか(全部自分のことやん)
そういった経験と引き換えに強靭なメンタルを手に入れた。


いつか、笑って話せる日がきます
遠回りしても、無駄なことは一つもない
それがあなたの人生の糧になっていればいいんです


もし、大人になっても
家庭環境のせいにしている人がいるなら
今すぐ考えを改めた方がいい。それこそ時間の無駄だ。周りの環境のせいにしていいのは成人するまで

甘えるな!あがいてもがけ!自分で何とかしろ!
失礼、少し熱くなってしまいました。



いろんな経験を経て、優しさとは強さなんだと
他者の辛さや悲しみが分かるから優しくできる
いろんな事を乗り越えた先の優しさなんだと考えるようになった



マイストーリー


子供の頃に、私が発した
「人の役に立つ仕事がしたい」とは
これなんじゃないか、と気づいたんです。
数十年を経て、点と点が繋がった。
そんな感覚だった。


私にしか語れない

マイストーリーがきっとあって

読んでくれた、たった一人でも

勇気を与えたり、救えたりしたら

そんなに嬉しいことはない

気持ちを込めた言葉は

誰かの心に響くと信じてる


じゃあ、「まいは具体的にどうしたいの?」
と言われると、今はっきりした事は言えないけど、
ただ、楽しい。

自分が感じたままに言葉を綴って
それに反応してくれる皆がいて、
すっごくありがたくて、
書くことを続けたいなと思うんです。


継続することでしか気づけない事や
変化しない気持ちってあると思うから。


だから私はこれからも

マイストーリーを届けて生きます。





これからもどうぞよろしく(お願いします)ね
こんな私だけど笑って許してね
ずっと応援してね


長ったらしい長文をお読みくださり
ありがとうございました。


それではこれにて、ばいちゃみ~☆


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