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弱おじの思考

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2024年1月の記事一覧

死を最大の喜びと定義すれば、今日という日に意味が添えられる。

死を最大の喜びと定義すれば、今日という日に意味が添えられる。

死にたい。
この世界から解放されたい。

死ねなかった。
今日という日は何も意味がなかった。
明日も意味のない1日が訪れる。
死にたい。終わらせたい。

ちょっと待て。
死は喜びだ。
この苦しみから解放されるなんて、この上ない至福の瞬間じゃないか。

ならもったいない。
まだ死ねない。
死にたいけど、死なない。
死にたいからこそ、まだ死なない。
死んでなるものか。

今日という日は一見意味のない空

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あえて流されて生きるという前向きな受動。

あえて流されて生きるという前向きな受動。

流されて生きればいい。

人生はなるようにしかならないが、逆から見ればなるようにはなる。

好きに生きればいい。
やりたいことをやればいい。
結局、辿り着くべき場所に流れ着くようになっている。そういう仕組みになっている。

ある意味で人生を諦めながら、一方の意味では人生を信頼している。

わかってる。なるようになるんだって。

だから気ままに。気楽に。

流されていく人生を能動的に選び取って、この

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どうせなるようになるという楽観とどうせなるようにしかならないという達観の狭間で生きていく。

どうせなるようになるという楽観とどうせなるようにしかならないという達観の狭間で生きていく。

なるようになるさ。
心配なんてしなくていい。

楽観的な誰かは言う。
僕にはそうは思えない。
どう考えたって、どうにかなるようにはイメージできない。

楽観性は天からの贈り物だ。
能天気なあの人に憧れてみるけど、どうやらそんな生き方は僕にはできそうにもない。

悲観して生きていくのも辛い。
悲観してハードルを下げておけば傷つくことは少ないけど、やがて世界に対する感受性は地まで落ちて、喜びを感じるべ

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