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どうせなるようになるという楽観とどうせなるようにしかならないという達観の狭間で生きていく。

なるようになるさ。
心配なんてしなくていい。

楽観的な誰かは言う。
僕にはそうは思えない。
どう考えたって、どうにかなるようにはイメージできない。

楽観性は天からの贈り物だ。
能天気なあの人に憧れてみるけど、どうやらそんな生き方は僕にはできそうにもない。

悲観して生きていくのも辛い。
悲観してハードルを下げておけば傷つくことは少ないけど、やがて世界に対する感受性は地まで落ちて、喜びを感じるべきところでさえ感じ取れなくなる。

なるようになるさ!
じゃなくていい。
なるようになっているさ。人生とはそうゆうものさ。
楽観できずとも、達観して生きていけたらいい。

あれだけ不安だったイベントの結末を、きっと今のあなたは覚えていない。
その壁をどうやって乗り越えてきたのか、はたまた壁自体がある時どこかへ消えていってしまったのか、そんな成り行きを何一つ覚えていない。

確かなことは、なるようになってきたということだ。
これば事実であり、実績だ。
なるようになるさ!と思えなかった日々も、確かになるようになってきた。そうして今がある。

きっと歴史を振り返ってもそうなのだろう。
不安を抱えない人間などいなかった。
だけどどうにか乗り切って、やり過ごして、ただ日々を生きて、子孫を残して、今の僕たちが存在して。
何食わぬ顔をして歩いているあのおじさんだって、きっと色々な障壁を乗り越えて生きてきたのだろう。もうダメだと思える夜を何度もこえてきたのだろう。でも確かに今、何食わぬ顔して歩けているんだ。

元来、僕たちはネガティブな生き物だ。
そしてタチの悪いことに、悪いことは脳裏に焼き付けて、良かったことはいとも簡単に忘れ去ってしまう生き物でもある。
だから覚えていない。
なるようになると思えないことも、結局はなるようになるという事実を、今日も忘れてしまい苦しみを抱える。

一つの手段が言葉にすることなのだろう。
なるようになった!
その成功体験を、こうして文字に綴っていく。
書くことで記憶は定着し、それを見た誰かが勇気づけられたならそんな素敵なことはない。

今、新しい一年が始まった。
不安なこと、どうにもならなそうなこと、たくさんあるだろう。それを書き出してみたらいいと思う。
綺麗な言葉の書き初めなんかより、うんと有意義な行動になるはずだ。

今年の終わりに、その文字を読み返すのが楽しみだ。
あれ?こんなことで悩んでたんだ。
なんだ。全てはなるようになっていくのではないか。

僕も苦しめられてきた。
何度も繰り返して、人生の真理が少しだけ見えてきている気がする。

なるようにならなそうで、人生は案外なるようになる。
逆に言えば、なるようにしかならない。
ならばやれることだけやって、あとは肩の力を抜いて、流されていけばいい。

楽観とも達観ともつかないこのバランスの中で、僕は今日も生きていく。
ほら、今日もなるようになった。
そうゆうもんだと、言葉にして紡いでいこうと思う。

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