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自分を知ることがすべての始まり:『7つの習慣』

今度こそ変わるぞ!と思い立った日は吉日。
さて、何から始めたら良いのでしょうか。

まず、書店やアマゾンで自己啓発本を漁ります。その中で特に目に着くものは、「これだけやれば成功する」「1年で億万長者」「成功するための10の法則」のような書籍ではないでしょうか。

心に焦りがあればなおさらです。

時間は止まってはくれないし、1日でも早く変わりたい気持ちもある。

そう思っているのは、あなただけではありません。
右隣のAさんも自己啓発セミナーに通っているし、左隣のB君はどうやら英会話を習い始めたらしい。

そんな噂を聴くと、「早く」変わらねばと、より焦燥感に駆られます。
どう変わるかより、いかに早く変わるかを重視し始します。

そこで、見切り発車。
でもどこに向かっているのやら...進む道に自信がなくなります。

簡単に結果だけを手にいれようとすると、その場で足踏み、いや、地団駄することになりかねません。

今回紹介する本の著者は「真の成功」について以下にように述べています。

経営者は今日の成果を求める。しかし真の成功は持続性と成長である。

『7つの習慣』は、とても有名な自己啓発として知られています。本を読まずとも、検索すれば7つの項目は簡単に見つけることができます。

なので、7つの習慣を身につける前の心構え、7つの習慣の土台となる大事な考え方を紹介していきます。

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完訳 7つの習慣〜人格主義の回復〜
[著]スティーブン・R・コヴィー
キングベアー出版 2016.12
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原則を知ること

1+1=2である。

水は0°に冷やすと結晶になり、100°まで熱すると沸騰して、水蒸気になる。

自然界にはたくさんの原則や法則があります。どんなに頑張っても、原則から逸れてしまったら、望む結果を得ることはできません。

著者は人の成長においても、原則があるといいます。

そして、その原則を知り、自分自身の価値観やものの見方(パラダイム)をその原則に近づけていくこと(パラダイムシフト)が、真の成功と永続的な幸福をもたらすと述べています。

また、著者は成功に関する書籍や研究を2つに大別しています。
人格主義と個性主義です。

【人格主義】
誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など
【個性主義】
個性、社会的イメージ、態度、行動、スキル、テクニック

第一次世界大戦を境に、成功をテーマにした書籍は、瞬く間に個性主義が掌握していきます。

スキルやテクニックはもちろん大事ですが、それらは優れた人格が土台となった初めて持続的な力を発揮します。

誠意、誠実、節制がないコミュニケーションスキルを想像して見てください。傾聴する姿勢はまるでないおしゃべり人形と大差がないはずです。

正義のない個性を想像して見てください。優れているはずの能力がどんな悪事に使われるか監視の的になるでしょう。

このように、現代はテクニックやスキルの習得に多くの時間を費やす傾向にありますが、それらは優れた人格が土台となって初めて効力を発揮します。

そして、私は真の成功をもたらす原則の中心にあるのは「愛」なのではないかと思います。

すべての人の手に、善または、悪をなす巨大な力が委ねられている。その力とは、その人の人生が周りに与える無言の、無意識の、見えざる影響である。見せかけではない真のあなた自信の影響が、常に周囲に放たれているのだ。
by ウィリアム・ジョージ・ジョーダン


自分を知ること

私たちは、それぞれの色眼鏡を着けて世界を見ています。今までの経験から、物事を解釈します。自分が正しいと信じていることが解釈に影響するのです。

その「信仰」が正しいかどうかに関係なく、無意識のうちにその信仰にとより物事を解釈し、同じ物事を別の解釈で見る人と出会うと衝突することになります。

このようなものの見方(パラダイム)は、自分自身のあり方に直結しています。

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ここで大事なのは、自分のパラダイムが原則とは違うかもしれないと認識することです。その無知と、他のパラダイムがあるかもしれないという可能性を認めることが、自分をメタ認知し、原則を見つける第一歩です。

本書では、原則は全ての人の内側に「すでに」ある、という前提で話が進みます。そのため、原則を見つける旅とは、つまり、自分自身を見つける旅と同義であるといえます。

ただし、原則に価値を置くかどうかは個人の選択にかかっています。正義をわかっていながら罪を犯す、このような矛盾はなにも法廷でのみ見られることではありません。

日常生活でも、違和感を感じながら、さまざまな言い訳をして正しい選択を「しない」場合もあります。

言動に一貫性のある人格を望むのであれば、まずブレない原則を知り、それに自分の価値を置くこと第一歩なのです。

自分自信のパラダイムを知ることや、原則に価値を置くかどうかといった葛藤を通り越して、本当の成長はあり得ないということです。

今の時代の人々を見ると、まるでロボットかと思える。自分自身を知らず、理解しようともせず、唯一わかっているのは自分が社会から求められているイメージだけである。(省略)…自発性および自分らしさの欠乏症を患っている…
by エーリッヒ・フロム

才能(第二の偉大さ)を認められたければ、まずは人格(第一の偉大さ)を高めることから始めなければなりません。


自分のパラダイムの中心にあるもの=習慣

本書は「7つの習慣」を教えいます。なぜ習慣を変えることを説いているのでしょうか。

それは、「人格」が習慣によって作られているからです。

習慣は私たちの人生に大きな影響を及ぼしています。それが無意識に行われているから怖い。

習慣は一貫性のあるものであり、無意識に行われる行動パターンであるといいます。

習慣を変えることが、人格を変えるために最も大事な手段であるということです。

それでは、どんな習慣から変えれば良いのでしょうか。

それは「セルフパラダイム」です。

セルフパラダイムとは、自分が自分自身をどう捉えるかといった自分への解釈と、自分が他者をどう捉えているかといった他者への解釈のことを言います。

このセルフパラダイムを知ることで、他者が自分自身をどう捉えているか、他者は世界をどう捉えているかを知ることができます。

私たちは自分を客観的だと評価しますが、実は無意識のうちに「自分なりの見方」で世界を見ています。それは習慣によるもので、セルフパラダイムを作り上げている習慣を変えることから始めるべきなのです。

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それでは、どのようにしてセルフパラダイムを知り、変えることができるのでしょうか。

それは、無意識のうちに行われていた「反応」を、自覚により選択することで可能だと本書では述べています。


反応を選択する自由

自分自身をどう捉えるか、ある出来事に対する解釈や他人の行動・考え方をどう受け止めるかといった「反応」は、無意識のうちに行われます。

著書『反応をしない練習』でも書かれていますが、ある出来事に対してみせる固有の反応は、その人の選択によるものです。

逆を言えば、どんなことが起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができるということでもあります。

今回紹介している『7つの習慣』では、この裏付けとして心理学者フランクルの体験を紹介しています。

要約すると、決定論者だったユダヤ人のフランクルが、強制収容所の強烈な体験を経て、出来事に対する反応を人間は自由に選択することができる(おおざっぱにいって決定論とは反対の立場)という原則を発見したという話です。

家族全員が収容所で亡くなるという体験をする中で、希望を持ち続けることができたのは、幼少期の経験や遺伝によるもの(決定論者の主張)ではなく、環境や出来事に対する反応を選択する自由があったからだというのです。

ちょっと難しいですね。

要は、人格や性格は先天的に決定され変えられないものではないということです。いくらでも、個人の選択次第で人格を変えることができるという訳ですね。

これが変わらない原則であれば、人生に希望を持てるはずです。

未来はいくらでも、変えることができるからです。

さて、その選択の自由を可能にしている要素があると言います。それは、自覚、想像、良心、意志です。

自覚は、自分自身を客観的に見つめる能力だ。
想像は、現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力だ。
良心は、心の奥底え善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。
そして、意志は、他のさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力である。

これら4つ全ては、人間なら誰でも持っているものです。

あとは、これらをどう生かすか、そして、生かしたいと思うか、です。

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ここまでが、7つの習慣を紹介する「前置き」でした。前置きがとても長かったですね。ですが、この前置きが全てではないかと思います。

つまり、自分自身を知ること、そしてその過程で「正しいとは何か」を知ること、正しいことに自分の価値観を合わせる努力をすること、そのような経験を経て、ブレない軸を持つことができれば、環境の変化や他者からの評価は気にならなくなるのではないでしょうか。

まとめ

最近、さまざまな本を読む中で確信めいたものを持つようになりました。

それは自分と向き合うことの大切さと、その中で見つけた軸は信じるべきだということです。

正直その軸が「正解かどうか」は死ぬまで分かりません。死んでも分からないかも知れません。でも、正解のある人生がないのだとしたら、人生を正解にしていく努力をするしかすべはありません。

強制収容所の過酷な生活を強いられたフランクルは、「生きるとは、問われていること、答えること、――自分自身の人生に責任をもつことである。」という言葉を残したそうです。

日々起こる出来事に対して、または人生の岐路に立った時に、好きかどうか、できるかどうか、これで合っているかどうかと、悩むことは頻繁にあります。でも、このような思考は、自分自身が人生に対して「問うている」状態であり、人生から何かを与えてもらおうという受け身の姿勢なのではないでしょうか。

そうではなくて、正解の分からない問い(人生そのもの)に対して、どうしたいか、どうすべきか、どうすればできるかと、前進するために、主導権を握ること。それが人生に責任を持つことなのではないかと思います。

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