バタフライ

末期癌父を家で家族で看取った記録です

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末期癌父を家で家族で看取った記録です

最近の記事

抗がん剤治療

倦怠感がなくなり、食欲も戻り 癌の治療法に関しても考える余裕がでてきた。 癌治療に関する本を何冊か読むうちに 抗がん剤治療を行うことに迷いがでてきたのだ。 結果… 抗がん剤は行わないと、父が決めた。 家族は、父の意思を尊重することにした。 もしもあの時…と、思うことが無いといったら ウソになりけれど、父は残された人生をどうするか、自分で選んだのだ。

    • 無事 ステントが機能する

      内視鏡を使ってのステント交換でしたが、 「一回目より楽だった」と父。 数日後の血液検査で、黄疸の値もかなり改善され、熱も出ていないので、退院許可がおりた。 コロナ禍で、入院中は面会不可。同室は高齢者が多く、看護師との意思疎通がままならない方、夜に大きな声を発する方など、快適には過ごせなかったそう。食欲はでてきたものの、病室でひとりで食事をする寂しさ、虚しさなどもあり、早い退院を望んでいた父も家族としても待望の退院となった。 ステントが無事入り、胆汁が流れて食欲が出てきたことで

      • 退院

        普段とは違う病室での環境は、年老いた父には なかなか適応できす、待ち望んだ退院の許可。次のステップへすすむため、いったん一週間ほど家で過ごすことになった。が、、、 胆管にステントが入り、黄疸や食欲が 改善されているはずが、入院前とさほど変わらない状態。こんなものなのか…?! 食欲不振、倦怠感が残ったまま家で過ごし、血液検査を迎えることになった。 結果…悲しいかな、黄疸がまだ出ていて、ステントがきちんと機能していない可能性が高いとなった。そして、即入院、内視鏡でのステント交換。

        • 抗がん剤治療

          抗がん剤治療が、父の身体に効くか効かないか、また副作用の有無は、はじめてみないとわからないこと、副作用の症状など丁寧な説明があった。 ただ、食事がとれず栄養状態がよくなかった父は、現状では抗がん剤治療を直ぐに開始する事は 難しいので、胆管のステントが機能し、食欲が増して、栄養状態が改善されてからになるという事だった。 日頃から、いつ死んでもいいんだ、というような 発言をしていたので、緩和ケアを選ぶのかなとも 思っていたけれど、 「その、抗がん剤治療に挑戦してみようと思います」

        抗がん剤治療

          胆管癌

          お待たせしましたと、先生に案内され 廊下を歩くと、向こう側から病院着姿の 父がやってきて、一緒に面談室に入った。 兄がいることで、アレ?!と思うかなと 想像していたけれど、特段その様子はない。 部屋のPCにはCTの画像が用意されていて、 病名が告げらた。 「胆管癌です。肝臓にも転移が見られます」 続けて、 治療方法は…と選択肢は、抗がん剤のみで、 それを行わないのであれば、緩和ケアとなると 説明があった。 父は、家族も一緒に話を…と言われた時に、 癌という事は思ってもいず、手

          病名を知る権利

          これから何度も正解のない"選択'を することになるのだけれど、 まず、父に癌を知らせるか否か。 これは、兄の 「残りの人生をどう生きたいかは、本人が 決めるべきこと。治療方針も含め、本人が 知らないことには、本人の意向が反映されない」 という言葉で、告知することに決まる。 結果的に、これは正解だった。 先生から連絡が入り、本人に話をするので同席をして欲しいとの内容だった。同時に、父からも、先生に明日家族と一緒に話をすると、言われたと旨の電話が入った。 父は、どんな内容が伝え

          病名を知る権利

          1月14日 ふたたび病院へ

          昨日、内視鏡てステントを入れてもらった父。 これで食欲も少しずつ出てくるとよいのだけれど。 様子を伺いがてら、朝刊を持って病院へ。 卓上カレンダー、腕時計、スリッパが欲しいと 看護士さん経由で聞き、翌日届けることに。 その次の日も行ったのだけれど、 面会も出来ないし、大変だから気をつかうなと い父からの伝言を看護士さんから聞く。 そして主治医から、20日に父にこれからの 治療方法の話しをしたいので、家族も同席して 欲しいとの連絡がはいる。 ついに来たか、この日が。

          1月14日 ふたたび病院へ

          心配するな

          主治医から父が胆管癌だと言われたあと 廊下のすみで母、兄に連絡。声が震える。 それから少しして、母は入院準備をととのえ 病院にやってきた。2人で椅子に座り 待っていると、検査を終えた父が車椅子に 乗り戻ってきた。 まだ何も知らない父に、「検査お疲れ様」と 声をかけた。 私の顔に何か書いてあったのだろう。 「オレは大丈夫だ。心配するな」 逆に励まさることに。 そうだ、そうだ、父はこういう人なのだ。 コロナ禍で、病室への出入りが不可だったため 病室のある8階まで、一緒にいき、

          癌宣告 2022年1月13日

          血液検査から始まり、消化器内科を案内され、CT、MRI…と複数の検査が行われる。 その度に同意書にサインを求められ、 落ちつかない。 看護士さんは、どこか痛むところはないか、 お腹が張っていないか、何度か父に聞いていた。 ※そのような症状は特には無かった 途中、「このまま入院です。いつ退院できるかわかりません」と担当の医師より淡々と言われる。 退院目処がたたないのは、よほど悪いのか。 検査結果を告げられたのは、正午を過ぎたころ。 先程の医師とは別の若い先生だった。 原発癌は、

          癌宣告 2022年1月13日

          癌じゃないよな

          病院からの帰路の車中で、 「癌とは言ってなかったよな」と父。 「そうだね…明日は市民病院に行くから治療方法が決まるかもね」とこたえたけれど、黄疸とあのカゲが気にかかる。 癌だったとしても進行していませんようにと願う。 帰宅後、ひと通りの説明を母にする。悪いところがわかってきてよかったじゃない、といつもながらの大らかさに救われる。食欲が無い父は、ベッドで休む。

          癌じゃないよな

          2022年1月12日 内科で診療

          体調を崩していた父が漸く重い腰をあげ 胃腸内科の診療をうける。待つ側にはとても長く感じられた。名前を呼ばれて診察室に父と一緒に入り、結果を聞いた。医師の顔がかたい。黄疸がでていること。肝臓の影は画像を見ながら説明を受ける。7センチぐらいとの事だった。 「今まで黄疸に気づかなかったのですか」と 言われドキリとする。 そう言われてみると、父の肌が黄色くみえる。が、日々の暮らしの中では気が付けず。これは、母も同じだった。 大きな病院で更なる精密検査が必要で、その様子から、緊急性が高

          2022年1月12日 内科で診療

          末期癌の父を家で看取った記録

          約8ヶ月にわたる父の闘病期です。 わからない事ばかりでしたので、 この記録がどなたかの役に立ちますように。

          末期癌の父を家で看取った記録