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小説を書くのに、どれくらいの知識があれば良いのか?

学生時代の自分には「完璧主義」的なところがあり…

よく「この程度の知識ではこの小説は書けない」「もっと知識を集めてからでないと、書いてはいけない」と、自分で自分にストップをかけ、小説を書くのを躊躇ためらっていました。

ネットで書評やブックレビューを見れば「作者の知識不足」をつつくコメントがあちこちに散見されます。

「商業で書籍化されたプロですらこの有様なのだから、自分なんてもっと駄目に決まっている」…そんな思いが、小説を書けなくしていたのです。

ですが、今は違います。

なぜなら「知識」とは、掘れば掘るほどさらにディープな知識が見つかる、底の見えない「底なし沼」。

どんなに深い知識を得ても、それより「さらに深い知識」を持った人がどこかに必ずいるという、「上には上がいる」世界。

極めようと思えば際限がなく、それだけに一生を費やしても足りないくらいです。

「もっと知識が無ければ書けない」などと言っていては、いつまで経っても小説を書くことなどできないのです。

きっと世の物書きさんたちも、日々勉強し、1つ1つ知識を増やしながら、懸命に小説を書き続けているのではないでしょうか?

それに、知識はただ集めて蓄えるだけでは意味がありません

それを上手く小説の設定や描写に取り込み「活かす」テクニックが無ければ、せっかくの知識も「宝の持ち腐れ」。

使えない知識ばかりが無駄に頭や本棚を占拠する、非常に「もったいない」状態になってしまいます。

どうすれば上手く知識を活かせるのか――それは実際の創作を通して探っていくしかありません。

つまり、書かないことには何も始まらないのです。

■どの知識がどの程度必要かは、創作を通じて見えてくる

タイトルの問いの答えを結論から言えば「必要な知識量は、書く人と書く内容により変わってくる」ということになります。

そもそも必要な知識のジャンルが、書く人と書く内容により変わってくるのです。

たとえば同じ「江戸時代」が舞台の小説であっても、「武士の世界」なのか「町人の世界」なのかで必要な知識が変わってきます

(武士と町人とでは髪型や服装からして違っている時代ですので…。)

さらに、物語中に「食事の描写」が出て来るとしたら「当時はどんなものが食べられていたのか?」といった資料が必要になるわけですが、食事シーンなど一切出ないなら、べつにその資料は要らないわけです。

書く前にどんなに資料を準備したとしても、実際に書き始めてから「このシーンにはこういう資料が必要だったのに」と気づく…なんてことが出てくるでしょうし…

逆に「使える」と思って用意した資料に全く「出番がない」ということもあるはずです。

人それぞれ、書く小説の内容にはクセがあり、食事シーンなどの「日常描写」が多く出て来る作家さんもいれば、ほとんど出て来ない作家さんもいます。

その「書き方のクセ」により、必要な資料の種類や量も変わってくるのです。

自分の「物書きとしてのクセ」は、数をこなせばだんだんと分かってくるでしょう。

そうすれば自ずと「自分はどんな資料をよく使うのか」「どんな資料をそろえておけば便利なのか」が見えてくるのではないでしょうか?

■欲しい知識が全て手に入るわけではない

人間には、時間も予算も限りがあります

欲しい資料の全てを探し尽くす時間も無ければ、全てを買えるだけの財力もありません。

知識はニッチでディープなものであればあるほど、資料の数が減っていきます

そしてそんな数少ない貴重な資料も、絶版で入手不可能ということが少なくないのです。

(見つかったとしても、プレミア価格でとんでもない金額になっていることも…。)

創作に必要な知識であっても、時には「手に入らない」こともある…そのことは覚悟しておかなければなりません。

知識が手に入らない時に取る選択肢は2つあります。

1つは「その知識が手に入るまでは書かない」という選択。

もう1つは「その知識はあきらめて、今ある知識だけで何とか回していく」という選択肢です。

入手不可の知識が作品の根幹に関わるものなら、前者を選ぶしかないわけですが…

「ここのシーンをカットすれば何とかなる」「設定を少し変えれば何とかなる」という場合もあります。

そうやって「手に入らなかった知識」を上手くスルーする方法を見つけていくのも、物書きのテクニックの1つなのかも知れません。



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