何食わぬきみたちへ 新胡桃 障害者の存在をどう見るべきなのか、傍観者と関係者の視線で描いた問題作。
少し荒っぽい描写もありわかりにくいが、前作よりも切実に
モチーフに対して真摯に立ち向かっている
その生々しい感覚が、僕はとても好きで、とても良い作品だと思いました。
この物語には、二つの視線がある。
一つは、伏見という傍観者の視線だ。
冒頭、へんな男の子と出会う
障害者だ。
泣いてしまう。
女の子が現れて、坪井さんに何をしたのと怒られた。
この女の子、坪井さん
障害者の男の子の妹がもう一人の視線
思わず、兄のことを坪井さんなどと他人のように呼んでしまった。
伏見の話しでは、友達の古川という男が、分室。つまり、障害者教室の生徒をイジメていた
それについて親友が怒る
友達の女の子も不快に感じる
しかし、伏見自身はまったくの傍観者なのだ。
そこが本作のすぐれたところです。
故に、物事を読者は俯瞰的に見ることができるのです。
親友の大石は、障害者差別について怒りを隠さない。
それについて、伏見は、イジメをしている古川よりも
よほど暴力的だと感じている。
伏見が好意を寄せている絵の上手い明石さんには、絵の上手な障害者の友達がいた。
明石さんも大石も障害者差別やイジメへの怒りを隠さない
純粋な正義感に伏見は驚きを隠せない。
そんなことはしたくないと言う
イジメっ子の古川の話しを聞く、また、景色が変化していく
集団に馴染めない彼と、かっちゃんは波長があったというのだ。
正義感の塊の大石と障害者イジメの犯人と決めつけられている古川の会話が面白い
古川は障害者のかっちゃんと遊んでいる感覚だった。
しかし、客観的にはバカにしているイジメていると見えた
大石は、古川の孤独も理解した。だから、弱いものをイジメたんだなと理解した。
しかし、それは違う。
古川はイジメてない。
逆に、責めない大石の態度に傷つく。
人間の心ってのは本当に難解だ。
古川の激白が心にしみる
障害者と友達になるなんて考えがないから、普通の生徒が一緒にいたり
少しからかったりするとイジメと深刻に受け止められる
古川もまた被害者なのかもしれない。
しかし、カツオの真似と言って、魚のカツオみたいに、くねくね地面でのた打ち回るなんて
他人から見るとバカにしている身体障害者イジメに見えるのです
障害者のカツオ君の妹の坪井さんのこのセリフがすべてだと思う
ドラマや映画では、障害者は美談として祭り上げられる
現実には、僕たちの視線から隠される
僕は障害者をリアルに見たことがほとんどない
中学の時、塾に行く電車の中で、一度見た。
その男性は保護者同伴だったが、目の前にいた女子学生の背中に鼻水をなすりつけていた
女子学生は泣いていたが、周りの大人たちは、しかたないよという感じだったのを覚えている
悪いことをしても、しかたないと許される存在
普段は、どこかに隠されていて見えるところに現れない
メディアでは、嘘の像を作り上げて聖人君子みたいに印象操作されている
それは無視しているのと同じであり
存在してなかったことにされているということだと作者は言いたいのだ
古川は悪ふざけをしてイジメみたいに結局なった
正義感の強い大石は、被害者にも加害者にもいい顔をしようとして
結局、どちらも見てなかった
何くわぬきみたちへ
というタイトルが意味深だ
これは、もしかすると、障害者をそのへんの石みたいに扱い無視している大人たちへの提言なのかもしれない。
一番、まともな大石が、最終場面において、一番、違和感のある存在に見える。
つまり、大石は大人たちなのですよ。
そして、大石みたいな人たちが、古川やかっちゃんを本当は無意識に排除しているように思えるのです。
僕は、こういう小説は好きですよ。
2023 10 21
+++++
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?