Musiklehrerin

甲状腺がんステージⅢ、肝臓がんステージⅣ,ついでに鬱病らしきものまでを40台後半の3年…

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甲状腺がんステージⅢ、肝臓がんステージⅣ,ついでに鬱病らしきものまでを40台後半の3年の間に経験し、今はピンピン元気に過ごしている小学校の音楽教員(Musiklehrerin)です。生きている嬉しさを忘れずこれからの日々を送っていくために、この備忘録を綴ることにしました。

最近の記事

がん体験備忘録 ♯33 最終回

 書きたいことを書いてきたら#0から数えて33回かかった。合計文字数 61934字。原稿用紙にしたら、およそ155枚分だ。これでスッキリ、頭の中のメモリーが空いた。思考が前に進みそうだ。  その人自身を形づくる要素は様々あるだろうが、この一連の経験は50歳を前にしてなお、新たな自分を形づくる一つの大きな要素となった。  書き連ねたのは、心のどこかに「自分を分かってほしい」というエゴがあったからだと思う。思いのたけをぶつけたおかげで、そのエゴは十分に満たされた。  私の周囲

    • がん体験備忘録 ♯32 声の復活編 ⑤〜リハビリ そして今

       声帯ポリープを切除して、私の声のリハビリはさらに加速した。声帯がしっかり閉じるのを邪魔していたポリープがなくなり、しっかり閉じるようになった。 「地声でしっかり出しましょう」ということで、「あー」や「のー」で一音ずつ長く伸ばす練習を続けた。出せる音が少しずつ増え、「ゲロゲロいってしまう時は喉の力を抜く」などの自己調整が少しずつできるようになっていった。また、「お腹の息が必要」ということで、「ホッホッホッ」と喉の力を抜いて息を勢いよく吐き出す練習などもした。 〇子供と共にリ

      • がん体験備忘録 ♯31 声の復活編 ~④声帯ポリープ手術

         ふ~ 長かった(=_=) ようやくここまで到着した。最後の手術。声帯ポリープ切除だ。  甲状腺がんが見つかったのは、そもそも声帯ポリープの手術が必要になったからであった。  内転術で片方の声帯が真ん中に固定されているので、二本の声帯が開いたときの隙間が狭くなる。まずポリープを切除してから真ん中に固定する内転術をした方がよかったのかもしれない。  しかし、ポリープ手術のためにまた大学病院に通って、1泊の入院をして、落ち着いたら内転術…というのは、もう面倒だった。とにかく息

        • がん体験備忘録 ♯30  声の復活編③〜リハビリを始める

          「声帯を中央に寄せて固定する」披裂軟骨内転術のことは前回書いた通り。  声は、声帯を自分の力で閉じたり開いたりさせて二本の声帯が合わさることで出る。片方が麻痺して、もう片方と合わさる真ん中までいけないので、強制的に糸で引っ張って真ん中で固定したのが上記の手術だ。  声帯が合わさるようになったのだから理屈としては声が出るはずなのであろうが、やはりそう簡単にはいかない。声を出す許可が出ても、細々とした声にしかならず、劇的に良くなったという実感はあまりもてなかった。  それでも

        がん体験備忘録 ♯33 最終回

          がん体験備忘録 ♯29 声の復活編 ②~披裂軟骨内転術

           今からちょうど2年前、鬱から明けた夏休み後半、ギリギリ始業式までには退院できるであろうという某日、甲状腺がんでお世話になっている大学病院に再び入院した。  執刀してくださるのは、甲状腺がんの手術と同じ主治医。病棟も同じだ。前回もお世話になった副看護師長さんがいらっしゃって心強い。  翌朝手術室へ。「始めますよー」という先生の声が聞こえて、首のあたりに麻酔の注射。鼻からカメラを入れられた。  この手術、喉にある披裂軟骨に糸をかけて声帯を引っ張り、一番よい場所で留める(??

          がん体験備忘録 ♯29 声の復活編 ②~披裂軟骨内転術

          がん体験備忘録 ♯28 声の復活編 ①~先駆者に励まされて

           甲状腺がんの発覚から始まり肝臓がん、それに続く鬱病と、覚えておきたいことを書き連ねてきた。あとは、「声が復活した事」を残すのみ‼️  甲状腺がん摘出のため、甲状腺、副甲状腺を全摘、左右リンパ節郭清をして、反回神経も切断せざるを得ず、その影響で片方の声帯が完全に麻痺した。結果、声帯が合わさらず、息がダダ漏れ、シャーシャーと息漏れをする聞き苦しい(話すのはもっと苦しい)声になっていた。  甲状腺の手術直後から「声帯を真ん中に寄せて固定する手術がある」とは聞いており、ぜひお願

          がん体験備忘録 ♯28 声の復活編 ①~先駆者に励まされて

          がん体験備忘録 ♯27 肝臓がんからの鬱⑦ ~回復までの道

          GW明けから休職。そして7月に完全復職。 私の鬱らしきものは 寝たら治った! なんと単純な!! (ただし、寝るには薬の力が不可欠だった) 以下、回復までの経緯の記録。  もらった薬でも寝られず、次の予約まで待ちきれずに心療内科に駆け込むこともあった。話を聞いてほしいわけでも考え方を指南してほしいわけでもない。とにかく脳を休めたかった。気絶して寝たかった。薬を使って、無理やりにでも意識をなくしたかった。  休職し、仕事に行かなくてよいと思って、ようやく安心して薬を飲む

          がん体験備忘録 ♯27 肝臓がんからの鬱⑦ ~回復までの道

          がん体験備忘録 ♯26 肝臓がんからの鬱⑥~支えてくれた人のこと Part.3

          最後は、勤務校の校長先生のこと。 注) 本来であれば「…してくださる」と敬語を使うべきところだが、その連発で文章がうるさくなるので、敢えて常体でいきます。おそらくこれを読んでくださる校長先生、失礼お許しくださいm(__)m 甲状腺の手術後、自問自答していた。  息も絶え絶えの話し声、しかも全く歌えない自分が、学校の音楽授業を担ってよいのか しかもこの時は、「歌は無理」と言われており、歌えるようになる見通しは全く立っていなかった。  ところが、「声が出なくなるかもし

          がん体験備忘録 ♯26 肝臓がんからの鬱⑥~支えてくれた人のこと Part.3

          がん体験備忘録 ♯25肝臓がんからの鬱⑤〜支えてくれた人のこと part2

          ♯6で、甲状腺がんの時に支えてくれたTさん、Hさん、校長先生のことを書いた。 肝臓がんからの鬱が明けるまで、これらの方々にはまたもや支えてもらった。 TさんとHさんのこと  肝臓がんが発覚したのはコロナ禍真っ只中。お見舞いはもちろん、外で会うことも憚られるご時世だ。肝臓がんと診断されたこと、手術が無事終わったことなどをLINEで定期的に連絡していた。  診療内科に行くことを迷っていた時に背中を押してくれたTさんは、春休みに「気分転換になれば」と、ドライブに誘ってくれた

          がん体験備忘録 ♯25肝臓がんからの鬱⑤〜支えてくれた人のこと part2

          がん体験備忘録 #24 肝臓がんからの鬱④~休職まで その2

          ふと、なぜこんな読んで楽しくないこと、一番つらかった時のことをつらつらと書きたいのだろうと考えた。 一番の大きな理由は 鬱の時の思考や行動は、その人本来のものと大きくかけ離れたものになることを記しておきたい から。 もしも周囲に「いつもと様子が違う」「思考がその人らしくない」という人がいたら、不眠や鬱傾向を疑いたい。「考え方」や「性格」の問題ではないこともある。 休職する直前は、仕事もかなりつらくなっていた。 1 春休み  春休み。本来であれば一息つけるこの期間

          がん体験備忘録 #24 肝臓がんからの鬱④~休職まで その2

          がん体験備忘録 #23 肝臓がんからの鬱③~休職まで

          前回は、初めて心療内科にかかるまでのことを書いた。  今回は、初めて心療内科にかかった2月半ばから休職する5月GWまでのことを書きたいと思う。  甲状腺がんにはじまったここまでの3年間の中で、この3か月ほどが一番きつかった。  いろいろあったが、まずは仕事以外の場面のこと。 1 動悸  2月にもらった心療内科の薬は、効いているのかいないのかよく分からない感じで、飲むのをやめてしまった。  動悸がひどくなっていた。朝、体を起こした瞬間早鐘のように心臓がドキドキいう。ドキ

          がん体験備忘録 #23 肝臓がんからの鬱③~休職まで

          がん体験備忘録 ♯22 肝臓がんからの鬱②〜心療内科にかかるまで

           今日は、T大学病院での3ヶ月に一度の甲状腺がんのチェック。異常なく安心した。  さて、前回は、心療内科を初めて訪れた事を書いた。  今回は、それに至るまでの事を記しておきたいと思う。  病院でよく眠れないのは仕方がないのかもしれないが、それにしても入院中、ほとんど眠れなかった。「眠るのも治療のうちですよ」と言われ、数回睡眠導入剤をもらったが、効果はそれほどなかった。眠れないのは痛みのせいだと思っていた。  家に帰り、痛みはあってもそれに慣れてきていたが、ぐっすりは眠れ

          がん体験備忘録 ♯22 肝臓がんからの鬱②〜心療内科にかかるまで

          がん体験備忘録 ♯21 肝臓がんからの鬱①〜初めての心療内科

          退院して順調に回復したと言いたいところだが、この後もう一山来る。 不眠に端を発する鬱(らしきもの) になってしまったのだʅ(◞‿◟)ʃ 甲状腺がんの手術、肝臓がんの手術、そして鬱の3つの中でどれが一番キツかったかと聞かれたら、私は迷わず「鬱」と答える。 このことについて、どこまで書けるか分からないが、やってみよう。  肝臓がんの手術を終えて退院したのが8月下旬。初めて心療内科を受診したのが翌2月。約半年間、ぐっすり眠れた夜は一晩もなかった。「眠れない」「眠りが浅い」

          がん体験備忘録 ♯21 肝臓がんからの鬱①〜初めての心療内科

          がん体験備忘録 ♯20 肝臓編⑦〜退院に向けて

          手術は無事終了。先生に「まずは退院が次の目標です」と言われた。 胃腸よ 目覚めよ ①  個室に入って3日目か4日目だっただろうか。「少しずつお腹を動かしましょうね」ということで、栄養ドリンクを出された。手術後は、口からは何も入れていなかった。  100mlの小さな紙パック。これをチビチビと飲むのだが、あり得ないくらいゆっくりのペースでしか入っていかない。  1回目はほとんど飲めず。3回目でようやく完食(飲?)できたが、なんと2時間かかった。大げさな話ではない。小鳥だっても

          がん体験備忘録 ♯20 肝臓編⑦〜退院に向けて

          がん体験備忘録 ♯19 ちょっと寄り道 ~小学校における 「がん予防教室」

           「がん体験備忘録」ではないが、今日、勤務校でちょっとおもしろいことがあったので、記録しておきたい。  自治体の教育委員会から「がん予防教室」の開催通知が届いた。地区の小学校で順番に実施しており、今年は本校の番らしい。対象は6年生。  これは聴かねば! 子供達に交じってしっかり聴いてきた。講師は地域の健康サポートセンターの保健師さんだ。 「がん」って知っていますか? から始まり ・2人に一人がかかります。 ・4人に一人ががんで亡くなっています。 ・ステージが進むご

          がん体験備忘録 ♯19 ちょっと寄り道 ~小学校における 「がん予防教室」

          がん体験備忘録 ♯18 肝臓編⑥ 手術後のあれこれ 

          入院中に思ったことのあれこれ。今だに覚えているので、書いておこうと思う。 病院の空間のこと  肝臓を半分切除する手術をして一晩HCUで過ごした後、一般病棟の個室に移った。個室を希望したわけではないが、要観察ということでそのようになったらしい。  入った個室は縦長で、ベットがようやく入る広さ。両腕を伸ばせば壁に手がつきそうだ。頭側に小さな窓があるようだが、体が動かないので外を見ることはできず、自然の明るさを全く感じられない。不安な気持ちがますます塞ぎ込む。  甲状腺で入院

          がん体験備忘録 ♯18 肝臓編⑥ 手術後のあれこれ