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がん体験備忘録 ♯32 声の復活編 ⑤〜リハビリ そして今


 声帯ポリープを切除して、私の声のリハビリはさらに加速した。声帯がしっかり閉じるのを邪魔していたポリープがなくなり、しっかり閉じるようになった。
「地声でしっかり出しましょう」ということで、「あー」や「のー」で一音ずつ長く伸ばす練習を続けた。出せる音が少しずつ増え、「ゲロゲロいってしまう時は喉の力を抜く」などの自己調整が少しずつできるようになっていった。また、「お腹の息が必要」ということで、「ホッホッホッ」と喉の力を抜いて息を勢いよく吐き出す練習などもした。

〇子供と共にリハビリ

 リハビリが軌道にのってきたころ、ちょうど学校でもコロナ禍でできなかった「歌唱」を再開する動きが出てきた。
 卒業を目前にした6年生は、3年生の3月の一斉休校から今日に至るまで、全くと言ってよいほど歌っていない。「それなら声のリハビリ‼️」と授業中に一緒に練習をした。
 6年生といえば、ただでさえ声を出すのに抵抗感をもつお年頃。歌うのが嫌なわけでは決してないのだが、3年間もの間全く歌っていないので声が出ない。リハビリで教えてもらったメニューを子供達とやってみることにした。

「何秒伸ばせるか、競争だよ」

 テレビ画面にストップウォッチを表示させたら、喜んで取り組んだ。
「一番大きな声」「小さな声でなるべく長く」「高い声で」「低い声で」。いろいろなバージョンでとにかく声を出すことに慣れさせようと思ったのだが、何を隠そうと一番得をしたのはこの私。2クラスでこれをやったら相当な練習量になった。

 この4月からは他の学年でも歌唱をこれまでと同様に行うようになり、結果毎時間、相当なリハビリをすることができた。
 ↓こんな下手な絵でも子供は大喜び。「ほー」と口を縦にして、このイメージで思い切り声を出す。噴水が噴き上がるイメージ。

普通の声で→高い声で→もっと高い声で思いっきり!
「おへその下から頭の上まで思い切り息を通す」の絵

 子供はすごい。これをした後歌うと、それはそれはきれいにのびのびと歌える。
 私自身もとてもよい練習になった。この4・5月、毎時間全ての学級でこれをしたので、そのためか私の声は飛躍的に回復した。言語聴覚士のY先生も驚くほどだった。
 柔らかさには欠けるが、声楽をやった人らしい声で高いラ、調子が良いといわゆる「ハイC」という、以前出していた高いドまで出る。すっかり忘れていた「体を使って、お腹で支えて声を出す」感覚が戻ってきた。もう十分だ。

〇K先生の見立て

 ポリープの手術をしてくれたK先生の元には、いまだに通い、時々音声検査もする。言語聴覚士のY先生曰く「おそらく経過を見たいのだと思います」

 行くたびに「すごいすごい」と言ってくれる。「うまいこと声帯を適応させて使ってる」と感心してくださる。カメラの画像を見ると、声帯が合わさる時にうねるような動きをしているのだが、この動きがなかなか特殊らしい。「片方の声帯麻痺してて歌ってる韓国の有名な人いるけどねー」 と、先生の方から件のベー氏の話が出たほどだ。☟

 音楽的に優れているわけでは決してないが、声の機能として「これだけ歌えるようになった」ということを、いつか先生にお伝えできたらと思う。

〇子供からの一言

 ポリープ切除をして半年ほど経ったころ。四年生の授業で共通教材「まきばの朝」を扱った。コロナ禍で「口ずさむ程度」という指導だったので、私も小さな声で範唱CDに合わせて歌っていた。この頃は、「調子が良ければあまりゲロゲロいわずに歌える」という程度だったのだが、この日は調子がよく、マスク越しではあるがかなりよい感じで歌えていた。

 授業が終わって子供達が帰り始めたその時、Tさんが来て私に言った。

「先生、なんでそんなにきれいな声で歌えるの?」

 この言葉。前任校で何度も言われ、「この仕事をしてよかった」と思わせてもらったこの言葉を、まさか再び聞く事ができるとは😭

 そして学期末。今度はYさんが手紙をくれた。

「5年生でも音楽教えてください。だって、先生の声、高くてキレイだもん」

 ここで私は、自分の声がキレイだということを言いたいのではない。全く声が出なかった時をほとんど知らないこの子達が、なんの違和感もなく心地よいと感じるほどに、私の声が回復したということを言いたいのだ。

心も晴れやか

 4年前、手術から目が覚めた時、喉に穴が開いていて息がスースー漏れて、全く声にならなかった。この仕事はもうできないかもしれないと思った。
 喉の穴が塞がったあとも、声を出すのがしんどかった。話すのが精一杯で、歌どころではなかった。
 披裂軟骨内転術をしたあとは、「話せればそれでよい」と思っていた。

 それがどうだろう。今はあの「Ave Mria(グノー作曲)」が歌えるのだ。歌っているときは感情を無にする。そうじゃないと、歌える嬉しさで泣いてしまうから。

 麻痺した声帯は元には戻らない。しかし、声が出るようになる方法はある。
 私の例は、一つのケースにすぎないのかもしれない。でも、どこかで「こんな人もいるよ」と言われる材料になればなと密かに思う。

 甲状腺がんの手術の時に片方の声帯を死守し、またこの上なくうまく内転術をしてくださったS先生、あきらめずに3回も声帯ポリープ切除に挑んでくださったK先生、そして、明るく励ましながら的確なリハビリ指導をしてくださったY先生。ここまで回復したのは、先生方のおかげです。

   本当にありがとうございました。

次回 最終回。

♯声のリハビリ
♯声帯ポリープ切除
♯披裂軟骨内転術
♯声回復
♯小学校音楽教員
♯先生方ありがとう



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