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がん体験備忘録 ♯27 肝臓がんからの鬱⑦ ~回復までの道

GW明けから休職。そして7月に完全復職。
私の鬱らしきものは

寝たら治った!

なんと単純な!! (ただし、寝るには薬の力が不可欠だった)

以下、回復までの経緯の記録。


夜が明ける 朝が来る

 もらった薬でも寝られず、次の予約まで待ちきれずに心療内科に駆け込むこともあった。話を聞いてほしいわけでも考え方を指南してほしいわけでもない。とにかく脳を休めたかった。気絶して寝たかった。薬を使って、無理やりにでも意識をなくしたかった。

 休職し、仕事に行かなくてよいと思って、ようやく安心して薬を飲むことができた。
「睡眠薬だけでは寝られるようにはならない」と、抗不安薬、抗うつ薬も併せて出してもらっていた。

休職中の一日

 朝、とりあえずベッドから出る。
 少し食べ物を口に入れる。
 薬を飲む。 
 ソファーに倒れこむ。
 昼過ぎまでウトウト ゴロゴロする。
 運動がてら、実家まで歩いて行く。(1時間弱)
 実家で夕飯を食べる。(無言)
 帰ってお風呂に入る。
 薬を飲む。
 ベッドに入る。
 朝まで横になっている。

 以下繰り返し

 実家に帰る途中、歩き続けるのが辛くて、ベンチに座り1時間ぐらいじっとしていた。
 一人で近所のお寺に散歩に行き、2時間くらいじっと座っていたこともあった。

 6月上旬、肺の生検のためにがん専門病院に行った。ドキドキしながら待っていたら「肺の影は認められませんでした。生検はしなくてよいです。」と言われて、あっけにとられた。これを手放しで大喜びするほど鬱は回復してはいなかったが、なんとなく「よいこと」が起こったような気がした。

 6月も終わろうかというある日、「図書館に行ってみよう」と思い立った。
 私は従来本が大好きで、本が手元にないと落ち着かない性分だ。病気をしてすっかり忘れていた。久しぶりに病気に関係のない小説を読んだ。

 ウトウトする時間は脳が休んでいる。「ウトウト」が少しずつ「寝る」につながり、脳の休息が進んでいる気がした。あれほど辛かった動悸が次第に気にならなくなっていた。仕事の心配もそれほど浮かんでこない。病気のことも考えていない。気が付けば、実家でしゃべれるようになっていた。

 7月上旬。心療内科の先生に、「だいぶ楽になりました」と告げると、薬を1種類減らしてくれた。8月上旬まで休職できることになっていたが、7月、1学期の終業式の日に合わせて復職することにした。

 終業式の日。久しぶりに職員室に入ると、「元気そう!」「なんだか顔がすっきりしてる!」と皆が口々に言ってくれた。肝臓の手術後に復帰した時よりも、はるかに気持ちは晴れやかだ。
 コロナ禍であることは変わらないが、授業をどうすればよいかという不安は不思議に浮かんでこない。「仕事をこなせるか」という不安も全くない。

 「5年生存率『-』なんて知ったこっちゃない。私が生存率を上げてやる!」

そんな気分だった。

 復職後は、寝る前に薬を飲んで、静かに眠くなるのを待てばかなりしっかりと寝られていたので、日常生活や仕事には全く支障がなかった。

 その後も定期的に心療内科に行き、回復ぶりを伝えた。そのたびに薬を少しずつ減らし、最後に残ったのが睡眠薬半錠。

 11月の下旬。

「きっともう大丈夫。睡眠薬はお守りとして持っていて、ダメな時に飲むようにしてください。これで終診としましょう

と言われた。

私が

「二つの手術の後もきつかったけれど、これはもっときつかった。先生に助けてもらったと思っています」

と言うと、

「つらかったですね。自分は薬を出しただけ。あなたの場合は、明らかに脳が異常を起こしていたから、薬がよく効いたんですよ」

と言われた。

「万が一この後再発があったとしても、今度は受け入れられるような気がします」

と伝え、先生に心からのお礼を言ってこの心療内科を後にした。

 この晩、最後の半錠の睡眠薬を飲むのをやめた。さすがに緊張して寝つきは悪く眠りも浅くなったが、全く寝られないということはなかった。そして、翌日、翌々日、そのまた翌日と、次第に普通に眠れるようになった。以来、一度も睡眠薬のお世話にはなっていない。

 鬱は、長引くことがままあるという。治らず苦しんでおられる方がたくさんいらっしゃる。私のケースはあくまでも一つのケースに過ぎない。「薬を飲めば皆治る」といった単純なものではないだろう。

 しかし私の場合は、心療内科で出してもらった薬を飲み、2ヶ月間完全に休む事で、すんなりと完治させることができた。

 あくまでも一つのケースとしての記録。

♯鬱あけ
♯がん体験記








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