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がん体験備忘録 #23 肝臓がんからの鬱③~休職まで

前回は、初めて心療内科にかかるまでのことを書いた。

 今回は、初めて心療内科にかかった2月半ばから休職する5月GWまでのことを書きたいと思う。

 甲状腺がんにはじまったここまでの3年間の中で、この3か月ほどが一番きつかった。
 いろいろあったが、まずは仕事以外の場面のこと。

1 動悸

 2月にもらった心療内科の薬は、効いているのかいないのかよく分からない感じで、飲むのをやめてしまった。
 動悸がひどくなっていた。朝、体を起こした瞬間早鐘のように心臓がドキドキいう。ドキドキするからじっとしていられずウロウロしてしまう。
 寝ていないのに神経が張り詰めて、眠気はゼロ。

2 無口になる

 3月ころには、雑談は全くできなくなっていた。理由は分からないが、しゃべれない。家族の前にいても全く口がきけない。
 話すことがうかばない…
 話す気力体力がない…
 気が付けば黙っている…
 考えていることは何もない…
そんな感じ。
 両親は、そんな私をおそらく心配した思うが、何も聞かないでくれたのはありがたかった。
「しゃべれなくてごめんね」
 と言ったときに
「いいよ いいよ」
と言ってくれたのもありがたかった。

3 再発の可能性を指摘される

 3月の卒業式をどうにか終えた日、病院から電話がかかってきた。

「肝臓の近くに影があるのを見落としていました。申し訳ありませんが、来てください」

 普通であれば、大きなショックを受けたり、「見落としてただと?!」と怒ったりすると思うが、こともあろうに全くショックではなかった。
「そうですよね」くらいの感じ。もっと言えば

「これで仕事を休める」

と思った。

4   通院が増える

 春休み、新学期あたりに病院に行き、CT検査とともに、PET検査を別の施設で受けてくるように言われる。予約、予約、予約………。
 仕事の調整を考えたら、頭が狂いそうだった。 一度に3回分の通院及び検査の予約を入れられた時は、頭がフリーズした。

5    CT機械の上で寝た!

 その流れでCT検査を受けたのが4月半ばか終わり頃だっただろうか。
 病院に来るとホッとした。今の自分には、病院が一番居心地のよい安心できる場所だ。そんな風に感じる自分に驚いた。
 そして、なんとなんと!CT機械に横たわった時、

 眠気が来た!

 
これには本当に驚いた。
 検査を終えて立ち上がったとたん、眠気が吹っ飛んだことも言うまでもないが… 
 病院に来て安心して神経が緩むなんて…💦 喜んでいいのやら嘆くべきやら… もうぐちゃぐちゃ。

6 PET検査の結果を受けて

 PET検査では、肺、乳房に集積が見られた。先生は乳がんも疑ったようだが、15年ほど前に「乳管内乳頭腫(良性腫瘍)」と診断されたこと、今もフォローしてもらっていることを伝え、こちらは深追いしないことになった。
 しかし、肺の影は怪しい。転移を疑い、がん専門病院での肺の生検を命じられた。また予約…
 ただしこの時、肝臓から肺に至る途中には集積が見られなかった。これには先生も首をかしげていた。
 ※この後のがん専門病院での再検査で肺の影は認められず、生検は結局やらないことになる。

7 そして、ついにドクターストップ

 何度目かの診察のある日、先生が何やら看護師さんと話している。そこへ新たな看護師さんが登場。胸には確か、「何やら(名称は覚えていない)」という専門職であることを示す名札が付いていた。つまりは、「がん患者の生活の相談にのる専門の人」という意味のことだったと思う。

 はたして、その方による説得が始まった。B先生も隣で聞いている。
 「今のMusiklehrerinさんの様子では、仕事は無理です。」
 「これからいろんな治療が入ってくるから、もっと調整が大変になる」
 「仕事は元気になってからまた返せばいい。」
 「あなたがいなくても、職場はきっとどうにかなる」
 「それよりも、今は治療に専念すべき」

B先生
「そりゃ、鬱にもなるよ」

 私が「休む」と首を縦に振るまでは解放されない気配だった。
 心の底では休みたくてたまらないのに、おっしゃることはすべて正しいと分かるのに、なぜか素直に「休みます」と言えなかった。
 言えないのは、自分の考えを言葉にする力がなかったから。先生方の問いかけにも答えられない。言葉が出ない。

「いい? 診断書書くよ」
と迫られ、ついに私は首を縦にふった。

♯不眠
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