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【何も成せなかった自分が手に入れたもの】日々に追われる人へのメッセージ。

こんばんわ。隼(じゅん)です!

ふとFacebookを見てみるとこんな投稿が、、

もうあれから8年も経ったんだな。

今日は少しだけ僕の過去の話を。


東京で味わった挫折と無力感

2013年11月23日@東京

ちょうど8年前の今日、僕は東京にいました。

当時23歳の僕は福岡に実家暮らしで

東京にいた理由は大好きなアーティスト「ケツメイシ」の

3代目ケツメイシオーディション(次世代育成プロジェクト)に

審査を通過し、三次審査を受けにいっていました。


結果からお伝えすると、この審査で僕は落ちてしまいます。

ケツメイシのメンバーの前で自己紹介(1分)+アカペラ歌唱(1分30秒)をして

歌唱の途中で人生初の過呼吸になり、歌えなくなり終了。(緊張しすぎたのね)


夢の切符を手に入れるために東京に出て行ったけど

てのひらをすり抜けるように切符は通り過ぎていきました。

いま思えば確実に練習の量も足りなければ、見せ方にこだわりもなく

「受かったら嬉しいな〜〜」くらいの自分で圧倒的に準備が足りませんでした。


でも当時の自分にとってはその出来事はあまりに大きくて

音楽の道を志した自分が、

歌を1分半歌いきることも出来ず何がアーティストだよ。と

深く落ち込んだのを覚えています。

「いまの自分が何者にもなれるはずがない」って

目の前がハッキリと真っ暗になりました。


その日を境に僕は一度音楽から距離を置くことになります。


拾ってくれた社長のひとことに気付かされたこと。

一度社会人として働いてみようと思って

応募した会社の面接で社長に言われた一言があります。


「君にとって誇りとはなんですか??」


その質問に対して僕はケツメイシのオーディションのことを話しました。


「自分は音楽の道の上で曲を作り、多くの人に届けるために動いてきた。

先日行われたオーディションで人生で初めて過呼吸になり

歌を届けることも出来ずに終わってしまった。

自分の音楽に誇りを持ってやってきたつもりだったけど

目の前の人に歌を届けることも出来ず、

応援してくれている人に対して応えることも出来ない自分に誇りなんてない。」


自分でもビックリするくらいスラスラと言葉が出てきたんです。

きっとこれが初めて自分について真剣に"言語化"した経験でした。


"認めること"は本当に悔しかったけど、

このままじゃ何も成し遂げることは出来ないって心から思ったからこそ

一度音楽を手放し、何もないとこからひとつずつ積み重ねる覚悟を決めました。


結果的に、面接は合格。後から知ったけど

就職した企業は渋谷道玄坂の上に自社ビルを構える超有名IT企業でした。

そこで働く社員さんですら社長と話すことがないレベルで、

福岡で新規事業をおこすために社長自ら最終面接をしてくれてたようです。

つくづく運とご縁に恵まれているな〜と感じています。

入社当初の自分はオーバーオールを着てスマホを販売してました✨


8年経ってみて思うこと。

就職して、半年後には店長を任されて

中間管理職としてスタッフの子達を教育する側に周り

何度も何度も全て投げ出したく夜を越えては

今できることに集中して毎日走り続けました。


そしたら東京の店舗で働くチャンスをいただき、

2015年春に上京して今年で6年目になります。

上京して3年後にその会社を離れることになり、

その後の2年間は色々とバランスが崩れ地獄も見たわけですが

現状はこの東京で楽しく暮らせています。


2020年7月に自分の会社を設立し、

2021年7月には個人事業主として

"会社員"という枠組みから抜けることとなりました。

全てのことを自分で責任を持つ。

そんな生き方を選んだ僕です。


もちろん不安がないわけではないですが

ストレスもなく収入も上がってるので

なんとかやっていけそうな気はしています。


きっと8年前のあの日が無ければ

今日という日は迎えていないと思うし、

あの出来事が無ければ、

きっと多くの人を悲しませる自分になっていたかもしれません。


ずっと音楽をやってた道もあるかもしれないし

会社に勤め続け家族を持ち、仕事に明け暮れる日々を送っていたかもしれない。


今でも自分が大切にしている言葉のひとつが

「山の登り方はひとつじゃない」です。


多くの人は、もしかしたら目の前の道が全てと思ってるかもしれません。

でも世界は思っている何百倍も広くて、

まだまだ自分の知らないことだらけです。


だからこそ、まだまだチャンスはあります。

年齢も環境も関係なく、必要なのは自分自身を信じれるかだと思います。

この時代に忙しくない人なんかいなくて、みんな必死に生きています。

だからみんな、他の人の心配をしている余裕なんて正直ないです。


誰かの気晴らしに冷たい言葉を投げかけられる時があるかもしれない。

でもその人はあなたの人生の責任なんて1mmも取ってくれないから安心して。

無責任な言葉を気にすることなんてない。

もし気になるのなら、もしかしたらその言葉を動かないための理由(いいわけ)に

したいと心のどこかで思っているのかもしれないね。


誰かのせいにしたくなる時だってあると思う。人間だから。

でも今の状況はあなたのこれまでの選択の上で成り立つものです。

自分の選択に自信を持って。その道はあなたにしか歩けないから。


これからもっともっともっと世の中(日本)は衰弱していくし

街に出れば暗い顔の人は残念ながら増えていくかもしれない。


昭和・平成を生きてきた人達は、改めて違う時代を生きていることを認識して

新しい環境に柔軟に適応し、自分の頭で考えて生き抜いて行かなければいけない。

自分のこと・子供のこと・家族のこと。

何か大切な人がいるのであれば真剣に考えていく必要がある。


世の中に目を向け、物事に寛容になって、今の自分を脱ぎ捨てる勇気を持つ。

変われない人たちが痛い目を見ていくのはいつの時代も同じ。

僕もこんなふうにnoteを書きながら自分を見つめ直しています。


あの日とんでもなくカッコ悪い自分を目の当たりにして

何も出来ない無力さに落ち込んだし、苦しんだ。

でも何もないって知ったあの日からひとつずつ手にしたものは

数え切れないほどあると思う。


これからもたくさんチャレンジして、失敗して

痛い目にあって、それでも前を向いていくと思う。

だから悩みながらでも、転びながらでも

前を向こうとしている人は全力で応援する。


自分ができることを、ひとつずつひとつずつ積み重ねて

多くの人を笑顔にできるようにね。

※8年前の自分を掘り起こしてきましたw


めっちゃ集中して書いてしまった。

なんか自分の中の本音を書けた気がします。

ちょっと自己啓発的な文章になってしまっていたらすいません。

内容に関しても上手く伝わらない部分があったら質問くださいb


僕の思い出話に時間を使っていただきありがとうございます。

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2021年もあと少し。みんなで頑張っていきましょう!

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