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言霊(コトダマ)を信じて子どもと向き合う。

私が初めて「言霊」という言葉と意味を知ったのは、高校2年の現代国語の授業の時。どんな授業内容だったのか?もうあまり覚えてないけど、少し神経質そうな顔つきで生徒に説明してる先生の顔と、黒い縁の厚い眼鏡をかけていらっしゃったこと、友達の制服の背中・・みたいなものだけ、何となく覚えている。

今、意味を調べると、「古代、言葉は、発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力があると信じられていた」と書いてある。
だから、不安に思っても心配しても、言葉は創る力があるから、良い言葉を意識して話しましょう!ということだと理解してきた。
この考え方には基本賛成。自分から発したポジティブワードは、やっぱり自分も聞いている。
と言っても、なかなか気持ちの切り替えって難しい。
それに、不安や悩みを吐き出してスッキリってことも多々あるから。

でも、やっぱり楽しい言葉をチョイスしながら、それが習慣になって生きて行けた方が、幸せの量が多くなる気がする。

もうひとつ、私の考える言霊は、言葉にはそれじたい何語でも、理解できなくても伝える力があると信じている。例えば相手が、まだ日本語をあまり理解しない小さな子どもでも、真剣に伝えることで、内容を理解できる力を、言葉は持っていると思う。今日書きたいのは、そんなこと。

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次男が1歳前後の頃、インターナショナルプリスクールに、一時通わせていたことがある。先生はアメリカ、オーストラリア、フィリピンと多国籍で、先生方は誰も日本語を話せなかった。
ご両親を英語圏に持つ子ども達や、ハーフの子ども達ならまだしも、うちの子は日本語もどこまで理解してるのやら?という状況で、通っていた。

でも、心配はいらないことにすぐ気づいた。
子ども同士のコミュニケーションは、子どもだけに通じる言葉で、(どっぷり日本語の私には、賑やかな小鳥のさえずりみたいに聞こえてたけどw)どうにか成り立っていた。

そして何より感心したのは、子ども同士のトラブルや、危険なこと、ルールを守らなかった時の先生の対応。

先生方は、決して叱ることなく、子どもの目線までひざまずき、目を合わせ、真剣に、子どもが理解したであろうと感じられる、その時が来るまで、これでもかというくらい筋を通し、言い聞かせていた。
英語がわかる子もわからない子も同様に。
発語の少ない小さな子にも同様に。

そしたらなんと、子ども達はとても反省をし、全員が「YES」と答え、次からは同じことはしなくなっていった。

あれ?これ、なに?
私ならきっと、「アイドントノー」と、「アイキャントスピークEnglish」をくり返すだろう。そして、どちらにせよ、全くわからないで笑ってごまかすだろう。

でも、子ども達はみんな、その年齢が低ければ低いほど、理解し、納得できている。

なに?これ。

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で、その時、思い出した。
高校の国語の授業で習った「言霊」を。
言葉って、魂を持ってるの?まだ世の中の様々なことに揉まれていない純真な魂の子どもには、伝わるの?伝えられるの?

答えは、YES!だと思った。

発達障害のある子ども達にピアノを教えることになったとき、私はまず、このことを思い出した。

彼らはきっと、まだまだ小さな、幼い子どもみたいな、そんな心のopenな状態で、理解していることもわからないことも、それを受け取ることも伝える術も、まだ未発達で、我々大人には「わからない」「わかっていない」と決めつけられてしまうこともあるはずだ、と。

ここに想いが馳せられた時、その子の年齢に応じた語り掛けをする先生が誕生した。何度も繰り返す。できるだけ平仮名に直して言う。難しい熟語は避ける。でも、その子の年齢でわかっていなくてはいけない内容と言葉で、言い換えをしながら、何度も説明をする。

だから私の生徒さんは、知的遅延があっても、多動であっても、みんな両手でピアノが弾けるようになる。そこまでたどり着く。
もちろん、ご両親と本人の、熱心な努力があってのこと。

言葉は、現実を創る力がある。
そして同時に言葉は、語る人の心底(魂に近いところ)から発せられるなら、障害のある子ども達にも、届くって信じてる。

私のささやかな言霊論。

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