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発達障害のある子どもたちにピアノを教えている私は、誰よりもしつこくて気が短い先生です。

発達障害のある子どもたちにピアノを教える先生は、
基本、どんな風にあるべきなのでしょう?

これは難しい質問です。
たくさんたくさん答えがあると思います。

ピアノなんて、弾けても弾けなくても生きていけるし、
それよりも、計算やたくさん漢字を覚えた方が
生きて行くのに直接の役に立ちます。


でも、これほど習得が厄介で、でも、ひとりでも皆んなでも楽しめて、
集中力や理解力など数々の能力を伸ばし、マナーを覚え、
継続することの大切さを親子で学び、発表会などで人前に立ち、
自信をつけ、達成感を得、生きる力を育て、
生き様そのものを表現することのできる楽器は、
他にはないと思っています。

その素晴らしさを知っているからこそ、
超多動の子どもがやって来ても、
ほとんど発語のない子がやって来ても、
「どうにかしないと。」と思ってしまうし、
「どうにかできるんじゃないか。」
「私にできることはないか?」と

神さまでもないのにえらそうに思ってしまうし、

ピアノをツールとして使いつつ、上記のような理想に
近づくことができたら・・と、どこからともない使命感が
勝手に湧き上がってしまうのだと思います。

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私が発達障害の子ども達を教える時に
自然にやってしまっていること。

それは、

❶しつこいこと

❷気が短いこと

です。

愛情たっぷり、も、障害を理解して、も当たり前のことだけど、
自閉症ひとつとっても、一人ひとり違いすぎる。

だから、一人ひとりを理解していくしかない。
支援ではなく、ピアノの先生として。
ガチで伸びていく方法を模索するしかない。

しつこいことは大事。
クリアしてほしい課題に対して、
スッと動けたり、すぐ理解できる子どもは少ないです。

わかるまで、クリアできるまで、しつこくないと教えられません。

でも、ただ単にしつこいだけでもダメです。
気が短くないと。

って言うと誤解されそうですが、同じしつこくくり返すのでも、
ひとつの方法にいつまでも固執しないという意味です。

そこそこやってみて、無理そうなら(合わないようなら)あきらめて、
次の方法を試す、それもだめなら次・・次、次、・・
そのうちどれか上手くいく。

しつこくて気が短いなんて、一見相反しているようですが、
そういう意味での気が短いです。

できないことを、できない方法で、理解できない合わない方法で、
無駄に時間を費やすことはできません。
お金をいただいてやる仕事ですから、結果を出さなくてはいけません。
レッスン時間も、その子に与えられている時間も、
出会っている今の時間も、お互い限られています。

「なんかいいアイデアはないかな?」
「できるようになる方法はないかな?」
「今日は初めての方法に挑戦してみよう!」
「こんなことお母さんにお願いしてみようかな?」


どこが問題なのか?原因は何なのか?
なぜできないのか?
これは、なぜできるのか?👈ここ、大事。

発達障害の子どもたちを初めて受け入れた20年前には
子ども達の反応が理解できなさ過ぎて、
こんな風な子ども達がいることが信じられなさ過ぎて、
いろんなマニュアルも参考にさせてもらってきたし、
音楽療法も学んだし、
悩み過ぎてとうとう福祉の専門学校に通ったし。

・・・でも答えは出ませんでした。

それはご両親の望んでいることとは違ったからです。


昔々のある日、ひとりのダウン症児のお母さんに謝りました。

「すみません。私、福祉も支援もプロになれそうにないし、
何もわかりません。どうしてあげることがピアノを楽しめることに
繫がるのかわからなくて、本当に申し訳なく思っています。」

私より一回り以上も年上だったお母さんは、ニッコリ笑いながら
こんな風に答えてくれました。

「先生、うちの息子のことを大事にして、福祉を学び、経験豊富で
決められた通りのマニュアル通りに接してくださる方々は
たくさんいらっしゃいます。
でも先生は違う。ダメなことは叱ってくれるし、先生は先生が考えて、
良いと思ってくださったことを子ども達に実行してくれています。

それが嬉しいんです。それがありがたいんです。」

この言葉をいただいたとき、しつこくて気が短い先生が誕生しました。
今でも忘れられない、ありがたい言葉でした。

私はピアノを教える!
私は私のままでいいんだ!
揺れない、ブレない気持ちが固まりました。

こんなにクリエイティブで、やりがいのある仕事はありません。

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