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汐見稔幸 インタビュー 〜コロナ禍で見えてきたもの・親子のあり方〜

2020年5月1日
~山梨県北杜市「ぐうたら村」にて~
(ソーシャルディスタンスを取り、野外でインタビューをさせて頂きました。)

2020年春。
コロナ禍は家庭の中へも大きく暗い影を落としています。私たちはこの状況をどう捉え、人間らしさを失わずに生きて行く為にはどうしたら良いのか?その鍵を保育・幼児教育の第一人者である汐見稔幸さんに伺いました。


大友剛:このコロナ禍の世界をどう観ていますか?

汐見稔幸:昔から人間が感染すると場合によっては命を失うようなウイルスが沢山いた。ウイルスの本を読むと、ウイルスとは「人間が作り出した遺伝子のみを持っている、生き物とも言えない、人間や生物に住みつかないと生命が機能しない、太古からいたわけではない、生き物が進化していくと必然的に生まれてくる
〝生き物もどき〟」なんです。

実はかなり沢山いて、動物が感染しても特に心配ない状態で生き続けてきたわけです。けれどもそれが簡単に鳥、動物、そして人間という形で伝播、感染してしまうというのは、きっかけは様々だと思いますが、今回は物凄く早かった気がすします。多分中国から入ったのだと思いますが、それが一気に世界に広がってしまったということは、グローバル化で地球が狭くなったことが関係していると思います。人々の交流というのが昔に比べて桁違いに早く、長くなった。
そういう意味では、良いことも凄く早く伝播しますが、ウイルスも人間が予測している以上のスピードで広がってしまうという事を示しました。

昔の〝スペイン風邪〟などとは違って、医学が発達しているにも関わらず簡単には防ぎきれなかったということは、そのスピードにあったような気がするんですよね。だからグローバル化というのは、いろんな意味合いを人間にもたらす、その功罪というのをよく考えておかないといけないと思います。

大友:経済も教育もコロナを経験し、一から見直さないと…という気がしますが?

汐見:そうです。比較的感染の規模を拡大しないように抑えて、且つ病気になっても死なないように上手にやっている国が実はいくつかあるんです。
これが国単位であったというあたりは、やはり考えさせられるわけです。
つまり、グローバル化で広がりはしますけど、それに対してどう評価し、どう対策を打つのか?ということは政治の仕事です。
やはり国単位で行われていたのだという事がよくわかったんですね。

例えばヨーロッパで言うと、ドイツが比較的死亡率が低い。
それからニュージーランド。アジアで言うと台湾ですね。
フィンランドなどもそうです。
共通しているのが、政治のトップが女性だと言う事です。
それが面白いなあと思いました。

ではなぜ女性が党首で、しかもかなり行動力のあるような、上手にガバナンスを行えるような女性党首、首相がいると比較的(感染が)大きくならなくて済んだかと言う一つの根拠は、日本などと比較するとよくわかると思います。
日本の対応が遅れたのは、例えば東京などを見ると典型的ですが、東京オリンピックをやりたくてしょうがなかったわけです。だから検査もあまりしないでなんとか乗り切りたい。要するに東京オリンピックが中止になると、膨大な経済的な損失が生じるからです。
日本の場合、安倍首相以外に判断して国民に説明しているのは経済再生担当大臣なんです。考えられない事じゃないですか?
なぜ経済産業大臣なんですか?普通は厚労大臣じゃなければいけないはずです。
結局日本の政治が今、経済産業省が実質的に握っていて、それとタイアップしながら動いているのが安倍首相です。
経済が失速することは何としても防ぎたいと言うのが最優先で、それとコロナ対策をいつも天秤にかけてたわけです。それで対策が遅れてしまったと言うことです。
日本だってもっと上手くやっていれば、かなり死亡者も減っていたと思うんですけどね。
だけれど女性当主の国は、経済と人間の命とどっちが大事?となれば「決まってるでしょ!命がなかったら経済もないのよ!」と。
例えば、戦争に対する反対世論は圧倒的に女性の方が多いんです。
これははっきりとデータがあるんですね。
命を産み育てなければならないということ。
人間の命に対する感覚が男性と微妙に違うところがあるのかもしれないですね。
そういう意味では、まずは命を守らなければならないという事が、あらゆる政治の政策の最も根底になければいけないと言う事が、逆に透けて見えてきた。

これから色々総括していくと思うんですけど、政治の基本は、経済成長は勿論色んな局面では大事かもしれませんけど、もっと大事なことはやはり「みんなが命を守れる制度を作ろう!」ということです。
しかもコロナというのは、ある意味では人を選ばないわけです。
階級階層関係なく、金持ちも貧乏人も襲うわけですけど、そこからどういう風に逃れて克服していくかという政策や、やり方に物凄く格差があるわけです。

ニューヨークで沢山亡くなっているというのは、殆どが検査を受けられない人たちですよね。黒人やヒスパニックの人たち。
アメリカの場合は、(コロナに)かかった人の死亡率は黒人が圧倒的に高い。
つまり、同じように感染するのだけれど、そこから命を守り続けるとなるとはっきりとした格差が出てくる。
そういう社会のその後は、最底辺で社会を支えている人たちがいなくなっていく。
社会をどう再構成するんですか?大変な課題を背負うわけです。
そう考えたら結局、人間は平等なハズなのに現実社会の中では極めて不平等な扱いを受けていたという事が、透けて見えてきたという事ですね。
そういうことを絶対にやらないという社会を、どう作っていくのか?ということもコロナが私たちに突きつけている大事な大事なテーマだという気がします。

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大友:私たちはコロナ禍をどう歩んでゆけばいいのでしょう?

汐見:それは大いに議論していいと思います。僕は教育畑の人間ですから、子どもの置かれている状況について考えます。
学校に行かなくなって、家庭で過ごす時間が圧倒的に多くなっています。
だけどやっぱり勉強しなければいけないということですから、どういう風にそれを保障するのか?ということ。例えばテレワークのように、テレ学習というのが可能ではないのか?ということで、やり始めたところがあります。

テレ学習は各家庭に受信したり発信したりする仕組みがなければできないので、経済格差があると必ずしも上手く行かない。
だから全ての家庭にネット学習ができるようなシステムを用意した上でやり始めるとできるんですね。
教室で30人を相手に授業していると、先生は一人一人の子どもを細かには見えませんよね。だけどテレ学習では30人の子ども全員が画面に出てきます。
それぞれの子どもが、解っているのかな?あれ?あの子は今全然違うことに興味を持っているなあとか全部見えちゃう。
すると先生がきめ細やかにやるという意味合いが変わってくるわけです。
同じような授業をやりながら、一人一人が解っている、解ってない、○○ちゃん質問ありそうだねとか、先生質問していい?とか、さっき先生が言ってたのと違ってるんじゃないの?とか。
普通の授業だったら〝One of them〟でいる子どもたちが、一対一で先生と対話ができる。僕は今、先生たちとネットで授業をやっているけれど、一対一の感覚は実はネット学習の方が絶対強いと思います。
集まって議論するということはネット学習ではなかなか難しい。
だから画面上で議論するということを上手く保証していけば、実は学校というところで集めて毎日授業するのとは違う形態の方が、ある子どもたちにとっては、学びが深まるという事が見えてきました。
それは別の言い方をすると「学校だけが学びの場じゃないよね」ということ。
あるいは学びのスタイルというのは、みんなが集まって一斉授業でやる以外に色々あるということが、痛いほど解る経験にもなるんじゃないか。

僕は、みんなが集まってそこでテーマを決めてワイワイ議論してとか、楽しい行事をやるとか、それは色々意味があるので、学校という場は絶対必要だとは思います。
でも〝学び〟というのは本来一人一人が自分の関心を深めて、最終的には〝自分は何に興味があってどんなことをやりたい人間なのか?〟ということを見つける為の営みだと思ってるんです。

だとしたら、みんなが同じものを同じペースで学ぶというのはどこか無理があって、そうなると本来の子どもの時期の学びのテーマに近ずける可能性が、逆にネット学習の方があるかもしれないということなんです。

ネットだと、「それについて興味があるんだったら、こんな本があるよ」と紹介してあげることも簡単にできますよね。
学びのスタイルが多様化していく。それが今回のことで見えてきた。

働き方もそうなんです。
別に会社行って働かなくても、これだったら家でできるじゃないかという事が、どんどん見えてきたんじゃないですか?
みんながいるから、この仕事もしなきゃいけない、お茶くみもしなきゃいけないとか。つまり、本当に必要なのは何かが見えてくる。
我々は実は組織を大きくしてきた為に、無駄なことを一杯してきたという事が見えてきたんじゃないでしょうか。

終息後もテレワークを引き続きやるよという人が出てきても良いし、そうすると必然的に家族の時間が増えてきますよね。

汐見A

大友:家族が家で過ごす時間が増えている今、世界的に家庭内虐待が増えています。

汐見:今、家庭に戻った男性がかなりイライラして暴力的になってるというのは、不安がものすごく強いからだと思うんです。
集まってワイワイした時に自分が発揮できるという、そういう仕事ぶりをやっていた人が、自分が認められる場所がないとか、意見を言う場所がないとイライラしてるという事。しかも先々どうなるかもわからない。勤めている会社が潰れてしまうかもしれないという人が一杯いるわけですから、不安で仕方がない。
それが原因となって、イライラを子どもに向けたり妻に向けたりしてると言うのが、僕は実態だと思っています。

家に帰ればお父さんは暴力的になるなんて必然的な法則はないです。
やっぱり不安だとかそう言うものが強いからそういうことになっちゃう。
逆に今のテレワークを強いられたり、経済的にもしばらくは大変になるかもしれないけれど、生活のスタイルを変えていくことも必要だと思います。

これまでは、子どもが興味を持っていることを一緒にやるとか、やってあげたくてもできなかった。そう言う親子だったのが、この機会をうまく利用すれば、子どもと一緒に色々できる時間って急速に増えわけですから。

あまり外に出たりはできないかもしれないけど、例えば子どもと一緒にテレビを観るとか、それを巡って議論するとかしてもいい。

林家正蔵さんの家族のことを奥さんの海老名香葉子さんに聞いたことがあります。NHKの7時のニュースを家族で観て、終わったらそのことを巡って議論しあうってのを毎日やっていたそうです。
一平君が、こぶ平にいちゃん(今の林家三平さん、正蔵さん)から、
「一平にいちゃん今日は面白かったなあ!」って言ってもらう時が嬉しくてしょうがなかったと。
世の中のことに関心を持っていなければ落語家になんてなれないんだと。
林家三平師匠は8つの新聞を読んで毎日切り抜きを作っていた。
そういうのを見て育っているわけです。
一平君に聞いたら、そうやって何を学んだかといえば、「意見が違わないと面白くない。議論するってことは、意見が違うから面白い。みんな同じ意見だったらつまらないということをお父さんから学んだ。そして世の中のことについて関心を持ってないことは恥ずかしいということを学んだ。」と僕に話してくれた事がありました。

例えば家庭といっても、親密の場であると同時に家庭でないとできないような楽しい議論ができる。それで口論になることもあるかもしれないけど、家族で議論をする事が楽しいっていうか、そういうことって作り出せるんですね。

でも日本の家族ってそういう事が元々できてないような気がします。
それはお父さんが、社会の在り方だとか公的な物事を巡ってどうあればいいか?ということを議論する場を持ってないからなんです。
日本のサラリーマンてその機会を奪われているんですよ。
会社がどうだこうだということしかなくて、家族のことについてはお前に任せたってことになってしまって、みんなが幸せになる為にはどういう社会を作ればいいのか?といことを議論する場が奪われているんです。

それが日本が人間らしさというものを実現するチャンスを奪われている一番大きなところだと思っています。でも、このコロナ渦で少し戻るじゃないですか。

ネットで色々やることに慣れてくると、お父さん同士もネットでウチのことを報告するねなんて事をやり始める。すると新しい繋がりや公共性というのが生まれる可能性がないわけじゃないと思います。

最近はコロナのことでテレビばっかり観ていたら、だんだん気分が上向きじゃなくて、落ちてくるじゃないですか。もういいやと言いながらも心配だから観るというような事をずっと繰り返している。
人間というのは不安だとか心配が長く続いたら、心の中にどんどん染み込んでいってしまって元気が無くなってしまいます。
僕は、人間というのはどんな時でも夢だとか希望というものは必要だと思ってるんです。

社会なんて今まで理想的だったためしが一度もないわけです。
人間というのは社会の中でしか生きていけない。
みんなを上手に幸せにしてくれる社会があれば幸せになれる。
でもその社会って誰かが作ってくれるわけじゃなくて、自分たちで作っていくしかないんです。
そういう意味では、社会のあり方を巡って考えるチャンスが今回は出てきたのだと思えば、夢が少し出てくると思うんです。

夢が戻ってきたら、お父さんも冷静に考えられて家族でなんだかんだ話し合ったりできるようになる。子どもの悩みについても聞いてあげた事なかったなあとか。
夢を聞いてなかったなあとかね。
そういう事を考えたり、実践したりするチャンスにできると私は思ってます。

だから「お父さん、暴力はいけませんよ!」とか説教してもしょうがない。
「お父さん、真面目に生き方や働き方を考え直してみませんか?」と。
現業で物を作る人にとってはテーマが違うかもしれないけど、でも物をつくことと自分の会社が生き残る為に戦略を変えてみるなど、考え直すテーマは色々出せると思っています。

大友:最後に、日本も自粛が長期戦になりそうですが、親子の信頼関係を築くポイントをお聞かせください。

汐見:僕は、お父さんだと思います。
カナダの例ですが、ヨーロッパに比べてカナダは、お父さんの労働時間が長いという事で、20年くらい前に父親の家庭参加を進めるプロジェクトを国家レベルでやられたことがある。
その時の問題はどういうことかというと〝お父さんのメンタルヘルスが損なわれている〟という位置付けだった。
つまり家庭に帰ってみんなと一緒に食事を楽しむ、食事を一緒に作る、洗い物をする、家を季節に合うようにカーテンを変えてみようと考える、子どもと学校のことについて楽しく語り合う。子どもがお父さんを信頼して色々相談に来るなど、そういう役割を果たせることが父親のメンタルヘルスに一番大事だということ。
そこを変えたいというのがカナダの位置ずけだったわけです。
僕は、日本もお父さんのメンタルヘルスを考えた方が良いと思います。
そのプロジェクトの代表だったティム・パケットさんが日本に来て僕が対談した時に、
「カナダのお父さんは何時まで働いているんですか?」と聞いたら、
「酷い人だと7時半まで働いてますよ!」と言っていた(笑)。
〝7時半まで働いたら酷い〟という文化と、〝7時半に帰れたら良い〟という文化と差を感じちゃったんです。

やっぱりお父さんは、人間として心が豊かであるという事を目指すべきです。
この機会に料理の1つ2つ覚えてみようとかね。
歳をとったら場合によっては一人で生きていかないといけないとなった時に、料理も洗濯も何もできないというのでは問題ですから。
うまくいけば皆んなが喜んでくれるものを作れる。食事は単に栄養を摂っているだけじゃなくて、文化ですから楽しみながらできる。
お父さんもピアノをやってみようかとか、なんでも良いじゃないですか。
そういう事をこの機会にやり始めるといいと思います。
子どもが何かあった時に、相談する相手は家族なんです。
だけど日本のお父さんは敷居が高すぎてなかなか相談しないとかあるじゃないですか。何か言った時に上から説教目線で話すから子どもは話さなくなるわけです。
そういう事を含めて考え直す。
家族の関係だとか、夢を語り合う時間を作るとか、そういう形で親子関係、家族関係を作り直す時間に使って欲しいと思います。

汐見F

このインタビューは動画はYouTube大友剛チャンネル【公式】よりご覧いただけます。

「ぐうたラボ」建設プロジェクト

ぐうたら村では、広く保育者や子どもの育ちに興味がある方々のために開かれている研修スペース「ぐうたラボ」の建設プロジェクトを進めています。プロジェクトは2021年4月の竣工を目指しています。現在、夢の実現へ向けて共感してくださる方々のお力添えを呼びかけています。興味のある方は、ぐうたら村HPより (ぐうたラボ建設プロジェクト)「お知らせと寄付のお願い」をご覧ください。


インタビュアー、撮影、編集 大友剛

Special Thanks to ぐうたら村、小西貴士、汐見和恵、島村枝里

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