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ライトスタンドのあたたかい空気もまた、この試合の風景だ 【4/18 阪神戦⚫️】

「なにごとも、負ける時は思いっきり負けた方がいい」と、オットはいつも言う。私はいつもそれがよくわからないと思っていたのだけれど、ただ今日の「思いっきり負けた」試合は、なんだか楽しかったというのは、それは確かだ。

むすめは、「きょねんの、あめのひのかーぷのしあいみたいだねえ」と言う。あの日もぼろ負けだったのだけど、こどもたちは今でも去年あの試合が一番楽しかったと言う。

打たれるたびにそりゃ胸は痛む。なんてこったいと思う。向こうのボールは簡単にスタンドに届くように見える。こちらのボールは、スタンドまでがやたらと遠く感じる。野球には裏と表がある。向こうの景色と、こちらの景色は180度違うのだ。

でも、ライトスタンドの周りの人たちは、楽しそうにビールを飲んでいた。打たれても、打たれても、同じように声をあげていた。「大下がんばれー!」という声が響いた。子どもたちはそれを見ながら、楽しそうに応援歌を歌い、攻撃が始まる時には周りの大人たちと同じように、「ぜったいかつぞー!」と言っていた。にこにことても楽しそうに笑いながら。

それは紛れもなく、この試合を彩る一つの風景だ。もうてっぱちもエイオキもココちゃんもいない、いつかの下町スワローズみたいなメンバーだけれど、あほみたいに点差は開いているけれど、4月の夜風はまだ冷たいけれど、でもみんながにこにこ何かを信じて応援していた、それは紛れもない真実だ。そういう一つの試合がそこにはあった。

それはもちろん、「捨て試合」なんかじゃない。そこにいた人たちはみんな、いつもと変わらず声援を送っていたのだ。

ばかすかと点が入るたび、こりゃむりだわと私は笑いながら、でももしかしたら万が一何かが起こるかもしれないな、と、心のどこかで思う。

そういうチームだもんな、ヤクルトは、と。そう思わせてくれるだけで、このチームはなんだか楽しいチームなのだ。

どんな試合にだって、小さくてもここぞの見どころや、希望みたいなものは、いくつもあるものだ。それを私は、ヤクルトが大型連敗をするたびに見てきた。小さな希望のようなものをつないできた。いやたぶん、ヤクルトファンの人たちはそれを見つけるのがとても上手なのだろう。

今日のライトスタンドのあの風景は、きっと私の中に、そして子どもたちの中に、残っていくのだろうなと思う。いつまでも、ファンの人たちが何も変わらず声援を送り続けたことを。てっぱちもココもエイオキもいないチームを、にこにこ眺めていたことを。打たれまくるピッチャーたちにがんばれと声を送り続けたことを。子どもたちがそれを見ながら楽しそうにバットを振り続けたことを。

私はとてもとても甘いファンなので、というか他人に甘く自分にも甘くというのがモットーなので、もう究極の事を言えばみんなが怪我せずそこで元気にプレーしていてくれたらいいよ、と思う。だからたまには、今日のような試合があったっていい。これが続くとまたこちらの精神修行が続いていくわけだけれど、まあ仕方ない、好きになったのはこちらなのだから。

でもまあ今度こそ、20点取っていただければとは心の底から思っています。ナゴドで20点。うん、がんばれ。


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