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「答え」はないのに「結果」はひとつ。でもそれは、「結末」じゃない【8/9巨人戦●】

答えのないものを好きになってしまったよなあ、と、思う。でも、答えがないのに、結果はひとつなのだ。それは時に、とても残酷だ。

答えがあるのなら、それに向かって努力すればいい。例えばそれが遠回りでも、いつか答えには必ずたどり着く。それは「答え」だから。数学であればどれだけ難問であっても、答えはひとつだ。

だけど野球において、答えなんてものはきっと存在しない。投手交代のタイミングも、守備固めのタイミングも、もちろんスタメンも、ひとつのエラーもひとつの失点も、そのどれが「間違い」だったのかなんてわからない。そのどれにも、正しい答えなんて存在しないのだ。

そして残るのは、答えじゃなくて結果だ。ただ、結果だけがそこに残る。

どこで間違えたのかはわからない。そしてその「間違い」は、きっと一つだけじゃない。残されたたったひとつの結果には、いろんな要因が重なり合う。

コータローは確かにエラーをした。だけど、そのあと持ち味の俊足を生かして、3点分くらいはしっかり守った。そこに立つのも、打球を追うのも、怖くなってしまうかもしれない、その場面で。

審判は確かに、それはストライクじゃないのか、という球をボールにした。だけど当然、その判定が10失点すべてを招いたわけじゃない。

こんちゃんは同点の3ランを打たれた。だけどあの時ハフが投げ続けて、失点しなかったのかどうかはわからない。逆転されていた可能性だってないわけじゃない。

どの1点も取られちゃいけない1点だったし、どの1点も取らなきゃいけない1点だった。確かなことは、それだけだ。野球とは、相手より、1点でも多く点を取った方が勝つスポーツなのだ。知っていましたか。私は今日初めて知りました。

だけど人生なんて、答えがないことの連続だ。それなのに、いつだって人は決断していかなきゃいけない。今日何を着るのか、何を食べるのか、転職するのか、会社に残るのか、サラリーマンでいるのか、フリーランスになるのか、どの球を投げるのか、交代するのか、走るのか、バントするのか。

いつだってそれは、ひとつの結果につながっていく。ランチに選んだお店は、ハズレかもしれない。転職先の仕事が、うまくいかないかもしれない。決断が、いつも良い方に向かうとはもちろん限らない。

あまりにつらい結果は、すべての果てに思える。ここですべてが終わる気がする。だけど、今日うまくいかなかったその「結果」は、すべての「結末」なのだろうか。もうこれが、本当の終わりなのだろうか

もちろん、そんなことはない。物語には、続きがあるのだ。

例えば、自分のミスで今日、最後の夏を終えた高校球児がいるかもしれない。甲子園に出るチャンスは、もう巡ってこない。でもそれが、すべての終わりというわけじゃ、もちろんない。甲子園という場に立ったという経験を胸に、これからの長い人生を、球児たちは歩んでいく。(だから大人たちはその人生を邪魔したり、下手に美化したりしちゃいけないといつも強く思う。)大切なのはむしろ、そちらの方だ、と私は思う。

そこはいつだって、始まりの場所かもしれないのだ。当たり前だけれども、変えられるのは過去ではなく、未来だけだ。

今日の決断が、うまくいかなかったのなら。今日の結果が悪いものだったのなら。できることは、また考えることだけだ。考え抜いた結果がうまくいかなかったのなら、さらに考えるしかできない。そうして積み重ねていくしかない。いつかもっと良くなると、そう信じて。

今日負けた誰かが、傷を負った誰かが、責任を感じてしまう誰かが、でもここは終わりじゃないと、どうか気づけますように。そしてまた、新しい日を、全力で戦っていけますように。

その結果は、結末じゃなくて、ただ一つの結果でしかないのだから。


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