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少しずつ形を変えながら、少しずつ前に進んでゆく 【4/28 広島戦○】

風でビニール袋が舞い、グラウンドにぽとりと落ちる。それに気づいたライトの長野が走って拾いに行き、自分のポケットに入れる。さすが長野、と私は外野スタンドからそれを眺めながら思う。球場にはいつも、こういう光景があるものだ。

いつだってたいへん辛い結果になることが多かった神宮でのカープ戦だったけれど、いつだってその真っ赤な雰囲気にのまれそうな気分になるけれど、いつだって悪い残像はすぐ頭をよぎるけれど、でもいつまでもやられているわけにはいかないし、前にも書いたけれどもじゃあ広島戦だけは見ない、というわけにもいかない。結局それがどんな試合になろうとも、開始前は試合を見ることを楽しみにしながらそこに座るのだ。相手が、スガノでも、カープでも。

高梨くんは、上々の立ち上がりを見せる。そうだよな、太田くんと同じだ、カープへの「苦手」意識は、きっと高梨くんにはない。ここのところ序盤に大量に得点を取られることが多かったので、先発が立ち上がりを三者凡退で抑えてくれるだけで私にはかみさまに見える。

急に環境が変わり、よく分からない鬼コーチに囲まれ、練習時間はやたら伸び、好投しても味方のミスで失点が重なる試合があり、無死満塁からは1点も取ってもらえず、「憧れの」神宮はなぜか真っ赤に染まり、だいたいフライがホームランになるような球場で、それでも高梨くんはその環境に心折れることなく、そのまままるっと受け入れ、「前回の登板で迷惑をかけたので」とか19歳の若手のようなことを言い、ピンチを自らしっかり凌いで6回無失点に抑えてくれた。

そこには「立ち向かってゆく強さ」があるよな、と私は思う。

いつもいつも、逆転されまくってきた神宮でのカープ戦で、ピンチを迎えるたび、ノーアウトで塁が埋まるたび、私は嫌な予感が頭をよぎる。あの時も、あの時も、ここで打たれたんだったよな、そのまま逆転されたんだったよな、と思う。

でも高梨くんはそんな残像にとらわれることなく、ただ「今」だけに集中して、「今」そこで背負ったランナーを進めないこと、「今」目の前にいるバッターを打ち取ることだけを意識して、立ち向かってゆく。その姿はファンの心に深く刺さり、そしてもちろん、選手たちの心を鼓舞してゆく。

高梨くんがどんなピンチにもしっかりそこで立ち向かい、乗り越えてゆくたび、誰かがホームランを放った。

打席に立つ選手の表情がバックスクリーンに映るたび、なんだか私は泣きたくなった。てっぱちも、なおみちも、塩見も、みんながそれぞれに、何かを背負った表情をしていた。スターならではの苦悩なのか、レギュラーの座を必死で守るためなのか、一軍で結果を残すためなのか。みんなそれぞれが、その一球に魂を込めてゆく。それは、ピッチャーもバッターも同じだ。

いつものように、何度もピンチを迎えた。失点もした。エラーもあった。これで逆転されるかと何度も何度も思った。でも、そのままヤクルトは逃げ切った。いつものように、逆転されることは一度もなかった。それはとてもとても、大きな成長のように、私には見えた。

去年と同じようにミスをしたり同じようにわけのわからない試合展開を見せたりある日突然に強くなったり弱くなったりするヤクルトというチームが、でも少しずつ、その形を変え続けている。そこを去った人がいて、新しく加わった人がいる。新しい風は、少しずつ良き影響を与えてくれる。もちろん長いシーズンの中で、前に進んだり後ろに戻ったり、上に上がったりしたに下がったりする。それでもまあなにごとも、ある意味において少しずつ前に進んでいるんだと、そう信じていてもいいよなと思える、そんな試合だった。

帰り道、銀杏並木をむすめがくるくる踊りながら歩く。二人で、にこにこ笑う。この時間だって、今しかないんだよな、とわたしは思う。みんな少しずつ、少しずつ、前に進んでゆくのだ。いつかむすめがこの手を離す、その時まで。


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