見出し画像

南宮大社 ~メタル(金属)の神さまと日本神話についての考察

先日名古屋の熱田神宮や岐阜の関市など日本刀に絡むスポットを巡ってみたのですが、その一環としてこの南宮大社を訪れました。

この旅行に関しては↓の投稿も読んでいただけると嬉しいです。

岐阜県不破郡垂井町、関ケ原の合戦が行われた関ケ原町のすぐ隣…というかこの地域でも吉川広家や池田輝政あたりが関ケ原の合戦のときに陣を敷いていました。最寄り駅の垂井駅のコインロッカーもこんな感じなのですが↓

関ケ原合戦後の彼らの行く末を思うと切なさに落涙を禁じえません(苦笑)5人中処刑が3人、改易が1人…?

この南宮大社は美濃国一宮とも言われ、金山彦命を主祭神として祀っている神社。金山彦命が鉱山の神様と位置づけられていることから「鉄の神様」、さらに広く鉱山・金属関連の産業における総本宮として古くから信仰を集めています。

重要文化財の楼門。1642年建立
この橋(石輪橋)は重要文化財。先述した楼門や本殿と同じく1642年建立
高舞殿
高舞殿の手前にはこの神社の名物にもなっているらしい風鈴も。
高舞殿の背後にあるのが拝殿。撮影しづらいのです。


境内図

この主祭神の金山彦命(同神社ではカナヤマヒコノミコト。日本神話ではカナヤマビコノカミ)がとても面白い存在でして…

日本神話ではイザナキノミコトとイザナミノミコトによる国生みが日本を作り上げていくうえで非常に重要な出来事となっていますが、土地を生み出した後に神々も次々と生み出していった女神のイザナミが火の神ヒノカグツチ(火之迦具土)神を産んだ時に死んでしまいます。

生まれてくる火の神のせいで陰部が焼けただれてしまったのが原因ですが、イザナミはその苦しみを味わっている時に嘔吐してしまい、その吐瀉物から2柱の神が生まれる(化成)します。それがカナヤマビコノカミとカナヤマビメノカミという1対の神様。南宮大社はそのうち男神のカナヤマビコノカミ(以下金山彦命)を主祭神として祀っていることになります。

吐瀉物から生まれた神さま!けっこう衝撃的な展開で「昔の人はどんな発想してるんだ?」なんて疑問もよぎりますが…おそらくこれは「ハイヌウェレ型神話」と関わりがあると考えられます。

ハイヌウェレ型神話とはこんな感じですWikiページ

東南アジアやポリネシアにこの形の神話が多いらしく、名称もインドネシア神話から採られています。

日本では古事記に登場する「オオゲツヒメ(大宜都比売など)」と日本書紀に登場する「ウケモチノカミ(保食神)」のエピソードがハイヌウェレ型に該当する話型としてよく知られています。どちらも話の枠組みは同じ、神(古事記ではスサノオ、日本書紀ではツクヨミ)をもてなそうとしたオオゲツヒメ/ウケモチノカミが口や鼻、尻から食料を生み出した(吐き出した?)ところ不潔な印象を抱いて怒ったその神に殺されてしまうという話。さらに殺された死体から食料となる農作物が発生した…という結末になっています。

排泄物もしくは死体という一般的には「汚い」と感じるものから人間にとって価値のあるものが生み出されるというちょっとひねくれた展開を持つ話型となっていますが、それが広く世界中に見られるというのですから面白いですね。

まっさきに脳裏をよぎるのはかつて(現在でも)農業では排泄物を堆肥として使用されていた状況でしょう。あと個人的には以前桜の世話をする桜守の人が「花見のときに桜の木の下で酔ってゲ◯を吐くのも、小便をするのもいい、でも木の根元に座り込むな。木が窒息する」と言っていたのを思い出します。

イザナミの話では死の原因となった火のほか、金山彦命が生まれた吐瀉物、さらに大便から生まれたハニヤスビコノカミ(波邇夜須毘古神など)とハニヤスビメノカミ、尿からはミツハノメノカミ(弥都波能売神など)とワクムスヒノカミなどが生まれています。

とくにミツハノメノカミは水神として知られていますし、ワクムスヒ(ワクムスビ。和久産巣日神など)は穀物と養蚕の神であるとともに伊勢神宮の外宮に祀られている豊受比売神の親(母親?)でもあります。

このように死に際したイザナミの体から排泄されたものから重要な神々が生まれている、それも水やら穀物やら鉱物やら人間の生活に欠かせないモノと関わる神々が生まれていることからも「古事記」におけるイザナミの死もハイヌウェレ型の派生バージョンと考えてよいと思われます。

あとこの話からは昔の人たちにとっての食べ物(とくに穀物)と鉱物の扱いや立ち位置も見えてくるような気がします。どちらも地中にある(または地中から生えてくる)ものを採取して、最終的に火を使って「使える」状態に仕上げる点で共通しています。

もしかしたら、昔の人たちは穀物と鉱物は同じカテゴリーに含めていたのではないでしょうか?現代人の価値観では食べ物と鉱物・金属はまったく別のものですが、それはわれわれ現代人の多くはそれらがすでに完成した(作られた)状態で、「使うだけ」の形でしか接する機会がないから共通点をほとんど見いだすことができないからではないか?

採取から製造まで自分たちで行う必要があった昔の人たちにとってはその「採取~製造」の過程での両者の共通点(土や火を媒介にした)のほうが強く意識されていたのではないでしょうか?

例えば稲荷神社はもともとは豊穣の神さま(しばしば保食神が祭神として祀られることも)ですが、中世には刀鍛冶の間でも信仰を集めていました。この点は刀剣ファンにはおなじみ京都の刀匠、三条宗近の「小狐丸」の伝説などでも確認することができます。

↓は緒方月耕が小狐丸の伝説を描いた「稲荷山小鍛冶」の図。Wikiより転載

これも穀物と鉱物を似たようなカテゴリーに入れていた昔の人たちの発想(連想)が理由のひとつとして挙げられるのではないか?(稲荷信仰を築き上げた秦氏が製鉄の技術も持っていた、というのもあると思いますが)

そんなわけで、この南宮大社には末社として稲荷神社もあります。千本鳥居ならぬ「百連鳥居」を抜けた先にある南宮稲荷神社。


あと製鉄の際には大量のスラグ(鉄さい)、いわゆる「カナクソ(金屎)」が生じます。日本刀の原材料となる玉鋼ともなると純度を高めるために大量のスラグが生じるはず。

おそらく鉱山・製鉄を司る金山彦命が吐瀉物から生まれた、という設定もこの製鉄に必ずついてまわるスラグ(金屎)からの連想があったのでは、と考えてみたい。

境内には金属&刃物産業系の人たちからの奉納品も多数。

社伝では崇神天皇の時代に創建されたとなっていますが…奈良時代、聖武天皇が大仏建立を行った時にこの南宮大社におとずれて大仏建立の成功を祈った…との伝説とそれを記念する碑も立てられています。これが事実かどうかは資料上の制約もあって確認が難しいようです(続日本紀に記載されている聖武天皇の行幸地がここだ、という説が根拠になっているらしい)

左側に「聖武天皇大仏建立勅願所」の碑

平安時代の延喜式には記載されているので少なくともその頃までには存在していたことになります。

ほかには境内には瓦を供養するために建てられた「瓦塚」なんてものもあります。稲荷神社へ行く途中にあるのですが、なかなかデザイン的にも優れているうえに雰囲気もよくて同神社の見どころのひとつにもなっています。

かように見どころも多い南宮大社。なにしろ「鉄の神様」として信仰を集めている神社です。そうなるとわたくしのようなヘヴィメタルファンとしては重低音が似つかわしいヘヴィな世界観を期待してしまうのですが…実際に境内で出迎えてくれたのは軽く心地よい風鈴の響きでした。

心地よさを味わいつつも「え~、なんか違うなぁ。これじゃメタルじゃないよ」と思っていたら、何やら空から重低音が聞こえてきて…

それは飛行機の音。

今度は「聞きたかったのはこんな重低音じゃないやい!」とツッコミのひとつも入れざるを得なかったのでした。

何やら勇ましい感じの絵馬が奉納された絵馬垣も↓

関ケ原ゆかりの地で敗者の太閤を名を冠してます…このあたりは秀吉びいきなのでしょうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?