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わたしの帰る家は

「じゃあまた。次は年末くらいにね」
そう言って笑って車に手を振った。
そこから一時間くらい電車に揺られ、見慣れた最寄り駅で降りる。
一人暮らしのアパートまでの道は長くて急な下り坂で、そのいちばん高いところからは遠くの街灯までよく見渡せた。15時すぎの空が、お昼と夕方のまんなかくらいのやさしい色をしている。

帰ってきた。

そう思ったら、ほんのすこしだけ涙がでた。
悲しいわけじゃなくて、寂しいわけじゃない。

数ヶ月ぶりに実家に帰省していた。電車で一時間で行ける距離なので、逆にそこまで頻繁にではなく、でもなんとなく数ヶ月に一度は帰省している。
地元はそこまで田舎というわけでも都会というわけでもなくて、数ヶ月単位では革新的な変化も特に起こらない街なので、いつ戻っても久しぶりという感じはしない。
家族仲はわりといい方(一人暮らしをはじめてから前より仲がいい気がする)なので帰省を結構喜んでくれて、いつもささやかにもてなしてくれる。
おろしたての歯ブラシで歯を磨いて、お風呂の順番を譲ってもらって、客間のベッドで寝ているわたしは、この家にとってはもう「お客さん」なのだなと思う。
それでも会話は一緒に暮らしていたときと変わらず、息継ぎなしで話題は移り変わり笑いも絶えない。一瞬で戻れてしまう。

娘であること、姉であることはたぶん一生変わらない。
でも、実家を出て自分の住んでいる最寄り駅に着いたとき、いつもの長い下り坂の先の遠い街灯を見下ろしたとき、わたしは「帰ってきた」と思った。わたしの帰る家はここなのだ。

一人暮らしはとても気楽で我ながらとても向いていたし、なんなら実家には多少窮屈さを感じていた。離れても寂しさもそんなに感じてこなかった。
だけどもうあの家で家族みんなで暮らしていた時間は、二度と戻ってこないのだと、今日はっきりと気づいた。「子どもでいられる時間」は、もうあの家のどこにもないのだと。

機嫌が悪い日も母の作る夕食を黙って食べた。
妹とお互いの推しの話を何時間も語り合った。
雨夜のバイト帰りは父が、車で迎えに行こうか?と連絡をくれた。
みんなでソファに座って、テレビをやいやい言いながら観た。
厳しくて、あたたかくて、しあわせだった。
それを思って、すこしだけ泣いた。
戻らない時間のやさしさが、今のわたしの基礎をつくっている。

いつかわたしも、誰かの帰る場所になれるのかな。
「帰ってきた」と思える場所に。


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