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【百物語】あの夏の日が再び

 六歳の夏、私の両親が死んだ。
 死んだ現場に私も居合わせたというが、私はそのときのことをよく覚えていない。
 八月の上旬に親子三人で海水浴に行った帰り、岬沿いの細道で私たちの乗った乗用車が大型トラックに正面衝突したのだという。前の座席に乗っていた両親は即死。後部座席に座っていた私は、大怪我を負ったものの、死には至らなかった。そのことは後に叔母から聞いて知った話だ。
「そのときのことがあまりにもショックだったから、記憶をなくしてしまったのね」
 両親の死後、私を引き取り一緒に暮らすようになった叔母から、私は写真を見せてもらった。
「事故に遭った車の中にカメラがあってね。そのなかのフイルムを現像した写真よ」
 そこには海水浴場で戯れる私と父と母の姿が写っていた。浮き輪を腰にひっかけたまま、砂浜で父の腕にまとわりついてカメラに向かってポーズをとっている私。両親と私の三人で並んで写っている写真もある。砂浜での記憶は私の中で途切れ途切れにしかない。ただあの夏の日はとても天気がよくて、太陽が海面をキラキラと輝かせていた記憶は、うっすらと残っている。

 それから私は、叔母の保護のもとに中学も高校も無事卒業し、勤めはじめた会社で、ある男性と知り合った。父と面影が似ていたせいもあって、何かしら彼に親しみを感じていた私は、すぐに彼とつきあい始めるようになった。そして21歳のときに彼と結婚した。
 結婚して一年後に私は女の子を産んだ。そして私はその子に「佐都子」と、母と同じ名前をつけた。私の子供の頃の写真と佐都子を見比べながら、夫はよくこう言った。
「佐都子はキミの子供の頃と本当によく似ているね」

 佐都子はスクスクと育って、やがて六歳になった。
 八月の上旬に三連休のとれた夫は、「佐都子つれて、海にでも行くか」と言った。私はさっそく海水浴に行く支度をして、夫の車で三人で出かけた。
「K岬の向こうに海水浴場があるんだ。知ってる?」
「なんだか子供の頃、行ったような気がするわ」
 家を出て2時間もすると、車は海沿いの道に出た。後部座席ではしゃいでいる佐都子。そう、あの夏の日も確かこんなふうだった…。

 海辺で佐都子と夫と三人で戯れ、持ってきたカメラで時々スナップ写真を撮った。日差しが強くて、海面がキラキラと乱反射している。そう、あの夏の日も…。
 佐都子が遊び疲れたのか、夫のうでに頭をくっつけて眠そうな顔をしている。
「もうそろそろ帰るか」
 夫の言葉で私たちは車で帰路につくことにした。
「K岬を少しドライブしよう、景色がいいんだ」
 岬沿いの曲がりくねった細道を、私たちの乗用車は走ってゆく。大抵の車は新しくできた有料道路の方を走るので、ここは通行量が少ない。狭くてアスファルトの所々にひび割れができているが、道から海を一望できる点で、確かに眺めがいい。
「少しスピードを落とした方がいいんじゃない?」
 30キロの制限のある道路を50キロ以上ものスピードを出していることに気がついた私は、夫に忠告した。
「大丈夫だよ。すれちがう車なんかほとんどないだろう?」
 夫はスピードを落とそうとしなかった。あるカーブにさしかかったとき、私の心がざわついた。私は途切れていたあのときの記憶がまざまざと蘇ってくるのを感じた。そう、あのときも……。道沿いのカーブミラーに巨大なトラックの影が映った。と同時にトラックの警笛が鳴った。それまで海をながめていた夫はあわててブレーキを踏み、ハンドルを切ろうとしたが、トラックの大きな車体はすぐ目の前にきていた。記憶はスローモーションで蘇ってくる。激しい衝撃が車体とその中にいる私たちに伝わり、フロントガラスが粉々に飛び散り、体に堅いものが激しく食い込んでくる。思い出した。そうだった。あの夏の日も、このカーブでこんな風に突然大きなトラックが目の前に飛び込んできたのだ。私の目の前が赤くなり、やがて白くなっていく。激しい痛みも何もかもがだんだん遠ざかってゆく……

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「佐都子ちゃん、佐都子ちゃん」
 私は病院のベッドで目が覚めた。
 目の前には叔母の顔があって、それはちょうど六歳の夏だった。
 私は何があったのか何も覚えてはいなかった。
 ただあの夏の日はとても天気がよくて、太陽が海面をキラキラと輝かせていた。



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