ヤフーのプロダクトマネージャーをしていた私が事業開発者としてリクルートに転職してみて
はじめに
初めまして!現在、株式会社contento というコンサルティング会社で代表を務めている小川正樹と申します。
noteでは、これまで私が複数の会社で働き、そこで得てきた経験について会社ごとに紹介しながら、プロダクトマネージャーとして学んできたことや日々の持論について書いていきます。
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前回の記事から少し間が空いてしまいました。
楽しみにしていた方がいましたら、本当に申し訳ないです。
ここからnoteへの投稿もペースアップしていきたいと思います!
今週と来週にかけて、私のこれまでの経験について残りの部分をお話しさせていただいた後、
6月からは「プロダクトマネージャー(PdM)」に関する内容について、記事を書いていきたいと思っています。
ぜひそちらもお読みいただけると幸いです!
前回の記事の振り返り
前回の記事では、私がヤフーで働いてきた中で経験した挫折や、
そこから得た成長課題について振り返ってきました。
今回は、そんな私がそこから得た知見や課題をもとに、
どういった経緯で、ヤフーからリクルートに転職することになったのか、
また、リクルートではどんなことを経験してきたのかについてご紹介したいと思います。
リクルートに転職した理由
リクルートへの転職を決めた理由は、大きく2つあります。
1つ目が、前の記事で書いた通りビジネススキル不足を補いたいから
2つ目が、キャリアをリセットしたかったから、というものです。
もともと、ヤフーで現場リーダーくらいの役職だった頃は、
上下関係など気にせず、是々非々で物事を判断して実行してきました。
しかし、役職が上がっていくと、いろいろと制約があって、、
「今の小川さんの立場でそれを言ったらだめ」
「もっと上司を立てたほうがいいよ」
みたいなことを言われる回数が増えていきました。
「そうかダメなのか」と思い、率直な言動を控えるようにしたら、
今度は「小川さんの良さがなくなります」って言われるようになり、、、
自分が得意な仕事の進め方をすると、周りから反対される一方で、
自分のやり方を控えると、逆に物足りなさを感じられる。
このようなジレンマに陥り、私はもがき苦しんでいました。
今思えば、当時の自分の能力というのは、
経営陣に求められる意思決定力やコミュニケーション力が足りない
結果的に、スピード感をもって仕事をこなすことができない
これくらいのレベルだったと思います。
経営層と一緒に仕事するような、偉そうな役職を得るのが早すぎたのです。
そこで、不意に上がってしまったキャリアをリセットし、
もう一度、現場でやり直したい、勉強し直したい・・・
このように考え、新天地を求めるようになり、
たまたまご縁を頂いたリクルートへの転職を決めた、というわけです。
リクルートでやってきたこと
顧客中心主義の重要性
ビジネススキルをゼロから学びたかった私は、
希望通りFintechで新規事業を立ち上げる部門に着任しました。
リクルートの新規事業には、
明確ではないものの、「暗黙の期限」が定められていて、
その期間内に何かしらの成果を出さないと、
新規事業自体を会社の判断で止められてしまいます。
そのため、現場としては何かしらの成果を出さねばなりません。
システムが出来ました
ある程度売れています
有名な企業と協業をしました
メディアに出ました、などなど
一定の期間内にこうした成果を出さなければならなかったのです。
私が取り組んだFintechの新規事業についても同じように、
何かしらの成果を出さないといけなかったので、
顧客が求める価値の追求が不十分なまま、プロダクトを作り始めてしまいました。
しかし、このような状態のプロダクトはもちろん売れません。
そもそも顧客が欲しいと思わないからです。
このようなプロダクトの販売を推進すると、
営業先からは・・・
「なんでわざわざリクルートの金融商品を買わねばならんのだ!」
と怒られ、
会社に戻ると・・・
「なんで売れないんだ!売ってこい―!!食らいついてこい―!!!」
と怒られる。
こんなことが起きます。
営業先に断られた理由を聞いてみたところ、
「金利が高いから」と率直に言われました。
こんな誰でも簡単に分かって、かつ致命的な事実、
プロダクトを作る前から分かっていたはず・・
この学びから、会社がしたいこと・自分がしたいことをプロダクトにするのではなく、顧客が求めるプロダクトを創ることの大切さを実感しました。
そもそも必要ないものなど、どんなに頑張っても売れないのです。
このシンプルな事実に向き合った1年でした。
「お前はどうしたい?」
あるとき、
「どうして僕に対してアドバイスをしてくれないのか?」
と上司に聞いたことがあります。
すると、上司からは
「小川さんからアクションするのを待っている。お前はどうしたい?」
という言葉が返ってきました。
「お前はどうしたい?」
この言葉が意味するところは、
上司から言われたことをそのままにこなす『受け身の姿勢』ではなく、
「自分で考えて、自分で行動する『能動的な姿勢』を求めるよ」
ということです。
ヤフーはじめ一般的な会社では、上司から指示が与えられて、
その通りにやらないといけないのが当然なのですが、
リクルートは誰からも指示されず、自分たちが動かないといけません。
それはリクルートが起業家を輩出する会社であるからです。
上司から何もしてもらえなかったのではなく、
自分で考えて何か行動を起こすことが求められていたのです。
「自分で考えて行動する」
これはとても怖いものです。
自分の挑戦が失敗したときに、ダイレクトに成果が自分に返ってきます。
元々いたYahooでは自分が失敗しても、上から任されたことだったので、
リクルートほど責任を大きく感じることはありませんでした。
だから最初、私は辛くて怖くてたまりませんでした。
サラリーマンというものは、失敗するのを恐れている生き物です。
ただ、新規事業は100回中99回が失敗するものです。
失敗するものに挑戦しているから、失敗しても仕方がないことなのです。
新規事業はスキルが必要ですが、それ以前にやるかどうか、
気持ちの問題である、とこの会社で働いて気づかされました。
人の成長に期待するカルチャー
上記のような酸いも甘いもありましたが、
約2年間、新規事業開発に集中できたことで、事業開発の進め方・考え方・マインドセットを身に着けることができました。
これでリクルートに入った目的は達成したので、
そろそろ私も次のキャリアを考え始めていました。
新規事業部門は、リクルートの歴史的なカルチャーみたいなものが薄く、
本当の意味での「THE リクルート」的な部分に、あまり触れることができていませんでした。
せっかくリクルートに入りましたし、そうした部分も見たかったので、
私はSuumoや住まいカウンターを手掛ける部署(旧リクルート住まいカンパニー)に異動しました。
ここでは私の目論み通り、リクルートの人材育成のすごさを感じる瞬間に立ち会うことができました。
前職のヤフーでは、リーダーやマネージャーに相応しい
「仕事のできる人」を責任のあるポジションに選んでいたのに対し、
リクルートでは、若くて仕事はまだまだ出来ないけれど、
今後伸びそうな人が積極的にリーダーに選ばれていたのです。
そして、その若手リーダーに対して、上長は何もアドバイスしません。
見ているだけです。
不安になって「放置でいいの?」と、上司に聞いてみたら
「成長に期待している(だから見ているだけ)」
「彼が失敗したとして、リクルートの事業はびくともしない」
「損失が出たら、成長して取り戻してもらえばいい」
「本人が無理って言わない限り、任せ続ける」
「彼の失敗は上長の責任、彼の減点ではない」
こういった言葉が返ってきました。
すげーと思いました。「こんな会社はない」と。
普通の一般の会社だったら、役職者が失敗したら減点され、
ダメだったら役職を外されるだけです。
しかし、リクルートでは一度や二度の失敗などあってないようなものです。
そこから成長することの方が、むしろ重要なことなのです。
一方、こうした環境下で仕事を任されるストレスも尋常ではありません。
だからこそ、お化けみたいに仕事をできる人が、リクルートから定期的に排出されているのです。
これこそまさに、リクルートがもつ「異能の登場を待つカルチャー」だと、
短い期間でも身に染みて感じることができました。
この「THE リクルート」の部分を見れたので、私はこの2年間に満足し、
今度はこの経験を活かして、より挑戦できる環境へと飛び込むことに決めました。
最後に
リクルートで働いたのは2年~3年ほどの短い期間でしたが、
そこで経験したことはどれも濃いものばかりで、多くの学びがありました。
特に、新規事業立ち上げのスキルやマインドセットを学べたことは、
今の私にとっても、非常に大きな財産になっていると思います。
次回の記事では、そんなリクルートでの経験を踏まえて、
より挑戦できる環境に飛び込むことを決めた私が、次の会社ではどのようなことに取り組んできたのか、
「リクルートで事業開発を務めた私が、ベクトル創業社長の直下で働いてみて」というテーマで、当時の経験を振り返っていこうと思います。
よろしければ、ぜひそちらもご覧ください。
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