母の好きなもの
長女が生まれた年に母の乳癌が見つかった。
入れ替わりという文字が胃の下の方から薄い狼煙みたいに立ち昇ってくる。不安の煙が口から漏れ続ける安定しない日がしばらく続いた。
落ち込んでばかりはいられなかったので、もしものときに備えて写真を整理しようと思い立ち、棚に埋め込まれて埃をかぶったアルバムを広げる。
*
古い写真につい手がとまる。
水底の砂のような記憶が指の腹で撫でられて揺れている。
掬いとれない埋もれた記憶は一体どこにいってしまったのかしらと思いながらページをくりくりするもんだからいっこうに作業が進まない。
こういうのは普段からコツコツできてたらいいんだけど。ねぇ。
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引っ張り出したアルバムの中で母の最期の姿は10年以上前の写真だった。
まだ若い。
母は昔のアルバムを開くと必ず父の姿に見惚れた。
「かっこいいわ」といつでも言った。
父が母を褒めているのを聞いたことはない。母も美しかったけど。
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父と母の間には、闇より暗い帳が降ろされ、冷たい雨に打たれたみたいに関係が冷え切ることがあった。
それをなぜかは私は知らない。
離婚だなんだと言っていたのかもしれないが、聞いたことはない。
私は両親について何もしらない。
子供が生まれる前の父と母を知らない。
何十年も一緒にいて、死にかけた母が父に何を思っているか私は知らない。
*
母の好きなものについて考える。
彼女はよく父をからかっていた。
1にスイカ、2に子供、3にミッキーが好きなのよと、よく言っていた。
あなたがTOP3に入る日がくるのかしらと言っていた。
今いったいどうなってるんだろう。
明日聞いてみよう。
まだスイカが一番好きなのか。
サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。