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今成浩司半生を語るインタビュー2021/11/16(3)



回を追うごとに

「哀愁が凄い。」

と好評の横浜の中年男性今成浩司インタビュー三回目


第一回はこちら



第二回はこちら


   デザインの専門学校出て浩司青年が社会にはばたく所から

   始まります。


浩司 それで専門出て指輪作る彫金の仕事を

   実家の近所の人の仕事のつてで始めたのよ。

   どうしようか色々考えたけどけど

   物を作る仕事がやってみたくて。

   その途中で横浜に引っ越したのよ。

   高校の頃から親父が具合悪くて脳下垂体に

   腫瘍できたから手術したりして

   通勤が赤坂だったから秦野からはきついなとか言って

   保土ヶ谷引っ越したのよ。

ー  なるほど。

   そんでその専門学校の時の彼女との

   ドロドロを言える範囲でお願いします。

浩司 言える範囲か~。

   お互い就職して彼女は画廊に就職してんだったかな。

   デートして絵売りつけるようなよろしくないやつね。

ー  よろしくないですねえ。

   そこのオーナーと彼女ができちゃったのよ。

   それでキープされてそれで俺が二番手になって。

ー  え?

浩司 それで次は

   「美容師と付き合う事になった。」

   って言われて三番手になって。

   更に別の若い男の子も出てきて

   私は四番手になりまして。

ー  大したもんですね。(笑)

浩司 凄いのは彼女が四人それぞれと海外旅行行ってるのよ。

   俺はサイパンで40万位使ったもん。

ー  それは全部なんでしってるの?

浩司 会うと彼女が全部言ってくるんだもん。

ー  全部聞かされたの?

浩司 だって向こうから言ってくるんだもん。

   だから他の人は知らないらしいけど

   聞かされるから俺は全部知ってるの。

   やになって別れるって言って半年とか一年とか経って

   また連絡来てを繰り返してて。

   なぜか四番手の俺と三番手のその若いが仲良くなって彼女と

   三人で飲み行ったりしたもん。

ー  なかなかいい思い出ですね。(笑)

   それで彫金の仕事はどうだったんですか。

浩司 その時俺まだ21だよ。

ー  道のりながいですね。

浩司 まだ30年位あるよ。誰がよむんだっつってね。(笑)

   真面目にやってたけど俺は彫金の専門の学校

   行かないで仕事始めたから大変だったね。

   彫金のメインというか花形の仕事は製品の原型制作なんだけど

   修理の方の仕事に回されちゃって

   そういう自分のやりたいことができなくて。

   その頃当時の直属の上司が37でバイク事故で死んじゃったのよ。

   そしたら修理とか雑用みたいないろんな仕事が

   全部自分に回ってくるようになっちゃって

   土日休みなし残業して三日職場泊まったりしてたね。

   難しいやりがいある事したいんだけど

   自分に技術も足りないし会社の方針だから仕方ないんだけど

   比較的簡単な仕事を大量にやるような形に

   なってきたからだんだんきつくなってきて

   更に俺の後から入ってきた子が才能あるから俺飛び越して

   大事な仕事やるようになって

   それで散々働いても残業代つかないしボーナスないし

   なんなんだろって思ってきて。

   それで池袋で飲んでる時に無名塾出身で

   俳優やってる友達に顛末を話したら

   「今ちゃんやめちゃえよ。」って言われて

   それがやけにかっこよくて。(笑)

   「じゃあ明日から行かない!」

   って言ってやめたの。

ー  なるほど~。

浩司 その次の日から行かなくて後から会社に連絡はして

   「まあしょうがねぇなぁ」

   って感じになってやめたのよ。

   それで横浜で派遣社員やってたりしたけど

   やっぱちゃんとした事やろうと思って

   自分のやりたい事考えたのよ。

   それで「おれ音楽やりたかったんだ。」

   って思って。

   ちょうどその頃専門学校いた頃の友達が連絡くれて

   「お前音楽やってたよな。」

   って言われてそいつとやりとりしてるうちに

   そいつの仲間とスタジオ集まる事になりまして。

   俺は顔合わせ程度のつもりだったんだけど

   みんなその日からやる気満々で

   「俺たち今日から上目指そうぜ!」

   っていう雰囲気で。

ー  ちょっと温度が違ったんですね(笑)

浩司 俺はちょっとセッションしてどんな感じか様子見て

   ってつもりだったんだけどみんなは  

   「今日からプロです!」

   って感じで。(笑)

   それで話は前後するんだけどその時のギターの男とキーボードの女の       

   子が付き合って一緒に住んでてさ、それで飲み行って終電なくなった   

   時だと思うんだけどその二人の家に行く流れになって

   その人たちの家でみんなでこたつ入って

   ギターの彼氏がギターをつま弾きながら

   「俺、ジミヘンみたいなギタリストになりたいんだよ。」

   って言って

   彼女の方が

  「もうなってるじゃん。」

  ってうっとりした目で彼を見つめながら言ってて

  おれは

  何だこの空間もう帰りたい。。。

  って思っててまあそういう空気のバンドだったから

  一歩引いた感じで段々やめたくなっててさ。   

  それでそのバンドの音源カセットテープで

  弟に聞かせて酷評されて。(笑)

  弟がほんと辛辣で才能ねえよとか言って笑って。

  そんでテープ巻き戻して聞いてまた笑って

  「なんもねえよこれ。」とか言われてさ。(笑)

ー  その頃はまだカセットテープなんですね。(笑)

   それでバンド内では俺たち行けるぜみたいな感じなんだけど

   おれは全然これから探っていくって感じだと思ってたから

   みんなの勢いについていきたくなくなって。

   俺はもうやだなとか思ってきて

   曲も別の人が作ってるし

   それでもうだめだこれって言ってバンド離れて

   ひとりでやろうと思って

   高津で一人暮らし初めて一人でやりだすのよ。

   それで一人でしこしこシンセサイザー弾いて

   音楽作ってるうちにだんだんと病んできちゃってさ。

ー  人と会ったりはしなかったの?

   女性とかは?

浩司 全然知らないダイヤルQ2で出会った女性が来たよ。

   後は友達が彼女つれて来ただけだね。

   友達の彼女にちょっかいだして友達にすごい怒られちゃって。

ー  あなたらしいエピソードですね。   

浩司 仕事は警備員とかやってたんだけどね。

   病んでるから寝れねえとか言って。

   弟とは連絡取ってたんだけど。

   それでもう精神がやばいって言って実家戻ったんだけど

   通院はしてたけどもう食って寝るだけの生活だったのよ。

   だからデブになって

   たまに弟に夜げんこつラーメン食おうって誘われて

   更に太っちゃって。(笑)

   それ以外は家の外でなかったもん。

ー  弟とは話はするんですね。

浩司 多少するけどとにかく意欲がなくて。

   死にたいとかはなかったんだけど死なねーかなと思ったりして。

   まあ今の方がデブなんだけどね。

   その頃普通に失禁してたもん。(笑)

   それ弟に言ったら。

   「お前ももう終わりだな。」

   って爆笑されて。(笑)

   そうして20代が終わって30になり

   ずっと山ほど薬飲んでた薬が2001年になると薬の量が減って

   だいぶ調子良くなって不安な感じがなくなって来て。

   それまでは誘われたらなんとか頑張って人にくっついて

   外出ていくようにはなってたんだけど

   それで国立競技場でやったdynamite!!観に行ったのよ。

ー        ボブ・サップとノゲイラとかシウバと岩崎さんとか。

浩司   そうそうそれで猪木がパラシュートで降りてきて

   「猪木だ~!!」

    とか言ってけっこうはしゃいだね。

   誰と行ったか全然思い出せないけど。(笑)

   PRIDE1は弟と岩田と三人で行ったね。


(※岩田 今成浩司氏の同級生で今後も今成兄弟に深くかかわる。

 CARPEDIEM鎌倉所属)   


   その時水道橋で弟が「俺ヒクソンより強くなるから。」

   って語ってたよ。(笑)

   それで良くなってきたから工場で働きだすのよ。

   金はそんな良くないけど

   リハビリ程度にはちょうどよくって。

   それでヒロブラジリアン柔術アカデミーが2003年にできるのよ。

   それで弟が2002年にブラジル行ってて


   「ブラジルいた時に代表の馬場さんの名前聞いたことある。」


   って言っててじゃあ行こうって言って今に至る。

ー  飛躍がすごいですね(笑)

   飛びすぎだからもうちょっとお願いします。(笑)

浩司 まあその時は弟はもう茶帯で

   二人で一日目行こうとしたら場所がわかんなくてね。(笑)

   それで翌日行って俺は入ろうってなって週4~5練習してたね。

   仕事は工場で鉄柵作ってましたね。

   工事現場によくあるやつよ。 

ー  やりがいは?

浩司 ありません。(笑)

   まあ職場はおじいさんおばあさんが多くて

   土曜にみんなでNHKの仁鶴の番組みちゃったりして。

   だから居心地良かったよ。

ー  社会復帰してどうでした?   

浩司 体力的にはきつかったね。

   まずフルタイムの仕事がきついし

   それから練習行ってたからアップの走ったりとか

   基礎運動から辛くてね。

ー  でもそこまで動けるようになったんですね。


浩司 それで半年位やって試合出る事にして

   初めての試合が相手がアマ修斗出てる人でこっちはまだ半年だから

   9-0でボコボコにされて勝ち名乗りで相手の手が挙げられた時に

   俺のズボンが足首までズドーンて落ちてパンツが見えて

   さっきの岩田とか来てくれた友達全員爆笑したっていう話です。(笑)

   それで応援来てくれた友達がみんな同じ日にやってた正和のZST

   観にいっちゃって俺は負けたから会場残ってしょんぼりしてたら

   岩田から電話かかって来て

   「正和ブラジル人取ったよすげえ!!」

   とか言って電話来て。

ー  あの人そんなに強かったんですね。

浩司 確かマーカスアウレリオの黒帯だよ。

ー  後にそのマーカスアウレリオに抑え込まれるなんて

   因果を感じますね。

ー  それであなたはブラジルはいつ行くんですか。

浩司 道場入ってから横浜アリーナのPRIDE見に行った帰りに

   馬場さんと飯食って

   「ブラジルいいっすね~。」

   とか言ってたら「本気なら紹介しますよ」

   って言われて弟にいったら「チャンスだろ。」

   って言われて親も行った方がいいよとかなぜか言われて。

   この人たちすごいなもう31だよ俺この前まで寝込んでた人間だよ?

   とか思って。

   それで行ったの。

ー  身体とかは大丈夫だったの?

浩司 それでホベルトマツモトのとこで

   一日に二時間を三コマ練習して

   スパー最低一日12~3本やれって言われてさ。

   最初は薬飲んでたんだけど薬飲むと眠くなっちゃうから

   全部捨ててやってましたよ。

   一人で向こうでやってたから練習するしかないし。

ー  今日はここまでにしましょうか

浩司 疲れたでしょう?

ー  あと17年ありますからね。

   今何歳?

浩司 来年50です。(笑)

   人に歴史あり。

ー  だね。(笑)


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今成浩司

横浜在住

ヒロブラジリアン柔術アカデミー所属

ブラジリアン柔術茶帯

特技 ギター

弟は総合格闘技 今成柔術の今成正和 



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