三十路から現在、晩秋 今成浩司インタビュー2/14(1)
お世話になっております。
色々ありまして日本に帰ってまいりました2004年から今に至るまでの
人生が滲み出る50代男性今成浩司インタビュー。
ぜひお読みください。
前回はこちら
この他にも浩司インタビュー大量にありますので興味ある方は読んでください。
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ー さあ2/14バレンタインということでおめでとう!
浩司 なにがめでたいんだよ。(笑)
ー 餃子でも食いながら楽しくね。
浩司 そうしましょうよ(笑)
ー それでブラジルから帰ってきてどうなの。
浩司 まあそうね。。全然。。ダメですよ。
ー ブラジルの時はあんなに流暢だったのにしどろもどろじゃん。(笑)
浩司 いやいやほんとにもう暗黒時代の始まりですよ。
ー そんなことないだろ。(笑)
2005年に帰ってきて今日まで20年近くあるだろ。(笑)
浩司 苦しい二十年だったね。本当に。
ー 前回は一年近くの話で3時間くらい語ってくれたのに。(笑)
浩司 まあそうなんだけどとっても苦しかったわけですよ。
一応帰ってはきたけどさ。
ー 帰るタイミングっていうのは?
浩司 馬場さんに優勝して青帯もらったってメールしたら
じゃあ巻いてください。
て言われてそろそろ帰国しましょうかって話になったんだけどね。
それで帰って馬場さんが
「実力も上がってるから弟さんとも練習したほうが
いいんじゃないですか。」
と言ってくれてね。
ー 帰ってご家族の反応はどうだったんですか?
浩司 最初帰る時に連絡してブラジル南半球だから
季節逆であったかいのよ。三月が夏の終わりくらいでね。
で、ジーンズとジャージ一枚で帰りの飛行機乗ったんだけど
乗り換えが北半球のニューヨーク、JFK空港で
真冬で猛吹雪だったのよ。
おれなんでジャージなんだろつってね(笑)
成田ついた時も無駄に痩せてバキバキだから寒くてね。
20キロくらい痩せて帰ってきたから。
おやじに「何が食べたい?」って言われてさ。
ー じゃあ元気に帰ってきて喜ばれたのね
浩司 まあ一応そうね。
それでブラジルって美味しい刺身あんま食えなくて
マグロとサーモンとボラくらいしかなくて
刺身食べたいって言ってさ
それでウチの近所の刺身の美味い店で
出してもらった刺身がうまかったねえ。。
それで練習は普段はヒロでやるのと弟が当時高田馬場で
バルボーザトーキョーやってて、そこで柔術の練習
やるから来なよってなって言われて、行ったら
今成正和氏、青木真也氏、吉岡大氏と吉岡さんの
お医者さん仲間で当時青帯の大日向さんで
この人たちとやるのか。。。
って思って。
ー その時は選手として頑張ろうという感じはあったんですか?
浩司 そのときはそうだねやるんだって感じだったよ。
それでチーム何気が主催の何気杯があるから
みんなで出ようってなって。
(何気杯=みんなすごい強い八王子の
ブラジリアンアカデミー団体何気のやっていた大会 )
私青帯でね。
その時は確か所さんが紫で出てすごい遅れてきて…
店主 ほらこれがかの有名な鳥インフルエンザのとりですね〜
浩司 ああどうも
ー 餃子うまいね
浩司 まあ帰ってきて初めての試合がその何気杯だったのよ
ー ああそうなのね。
浩司 それで想定としては仮に負けたとしても
そんなにやられないだろと思ってたの。
もちろん勝つ気満々よ。
それで若かりし頃の金ちゃん(=金原正徳 MMAファイター すごい
強い)と当たるのよ。
ー (笑)
かの有名な立川リバーサルアルファ代表の。
浩司 その時はもちろん若くてDEEPで杉内君と試合してたり
ゼスト出る前頃かな?
試合前はみんな、いけますよとか言ってくれてたんだけど
普通に十字で一本取られてこの人すげえ強いな~って思って。
それが帰国後のほろにが青帯デビューでしたね。
ー ほかの人ともやったんですよね。
浩司 やりましたよ。でもそれもあんまり勝てなかったよ。
ポイント負けとかして。
ー まあ何気はみんなものすごい強いじゃないすか。
浩司 そうなのよみんな当時から10年選手ばっかりでね。
それで試合なかなか勝てねえなあってなってね。
ほかもコパイーストとか出て。
マスターで出て一応決勝まで辿り着いたりとかもあったけど。
ー そうかあなたは最初からマスターなんだね。
(盛大に浩司レモンサワーをこぼす。)
ー ものすごい口にはいってなかったよ。(笑)
浩司 しっけーしっけー、あ、アダルトの試合ももちろん出たよ。
ー その頃はよく大久保のデープジムで柔術やりによく来てましたよね。
浩司 吉岡さんが木曜日夜に来てたのと
弟が柔術の練習やるのにちょうどいいからって
朝練とか昼練でけっこう人数あつまってやってたね。
練習はいっぱいやってたんだけど良くて準優勝止まりでね。
思い出せるのは全日本に紫アダルトで出て
一回戦は勝って二回戦で当時グラバカの大塚さんと当たって
結構ボコボコにされて負けたのよ。
一回パスしたけど思いっきりバックドロップで投げられたのよ。
ー 思いっきりって綺麗にブリッジを描かれたわけじゃないでしょう。
(笑)
浩司 見事にヘソで投げられたよ。(笑)
それで負けて呆然としてたら早川さん(早川光由 トライフォース
柔術アカデミーネットワーク総代表)が通って
一回ブラジルで挨拶してたんだけど
「あっお兄さんまだやってたんですね!」
とか言われてめちゃミジメだな~とか思ってさ。(笑)
そしたらヒロBJJの女子選手の高橋美季(現 中尾美季)選手が来て
「つーかいつまで落ち込んでんのよ。
はやくセコンド来てよ。」って言われてさ。(苦笑)
あの時美季さんは確か優勝か準優勝だったなぁ…。
あと、NOGIであの人と試合したのよ。
頂柔術の坂本さんと。
ー 私和術慧舟會東京本部で一緒に練習してたよ。
私が武道館の前座で試合した一番油が乗ってた時に
よくパスしようとしてできなくてという熱闘をよく繰り広げてて。
浩司 そうよその坂本さんと試合してレフリー判定で勝ったのよ。
そしたら試合見てた弟から、お前の試合はすげえつまんねえ。
って言われて(苦笑)
ー どういう流れで?(笑)
浩司 その時レフリー判定でレフリーがゴーゾーさんで
う~んどっちかっていうとこっちって口に出して言われて。(笑)
その時私がずっとヒール仕掛ける形で終わったんだけど
それで試合終わって坂本さんが
「流石、十段のお兄さんですね」って言ったら
オレの横に居た弟が「こいつヒールなんかできないっすよ。」
って言って。
坂本さんは「えっ?」って言っててさ。(笑)
まあそれを坂本さんと会場で会うたび話して
懐かしいっすねって言ってんだけどね。(笑)
まったく輝かしくはないけど楽しい時期だったよね。
試合や練習に没頭して。
ー 仕事はどうしてたんですか?
練習していきたいから肉体労働だと練習できなくなっちゃうから
コールセンターだと体使わなくて練習できるかなあと思って
それから生活の糧は電話になりましたね。
それで当時お付き合いした女性が仕事がそんなんだと困るって
話で一回就職したのよ。
工場の品質管理の仕事で。
鶴見に東芝の凄いデカい工場があって
原子力発電所のタービン作ってて街みたいにデカい工場で。
それで一年半ぐらいで別れちゃうんだけどね。
仕事は色々任されて定時は早いんだけど帰れなくて八時九時まで
仕事するようになっちゃって…
彼女と別れてからこれ一体何の為に残業してんのか
わかんねえなって思ってるうちに体壊しちゃってね。
ー 根が真面目なのかね。バカのくせに。
浩司 まあそうね(笑)
それでやめてまたコールセンター入って仕事しだすんだけど
そこで知り合った人とまた付き合って
一緒に中央林間に住み始めるんだけど
その人が俺以上に身体の弱い人でね。
ー 嵐のファンの人ですね。
浩司 そうなんだよ。DVD観ながらお前もペンライト振れって言われてさ。(笑)
ー そうだよ。いつかの大晦日で今成さん一本勝ちした時に
私セコンドついてて試合後観客席に行ってあなたに会ったら
「良かったね~。じゃあジャニーズのカウントダウンに
嵐出るから帰るね~。」
って言ってまだ他の試合やってるのに
そそくさと去っていったよね。(笑)
浩司 やばい遅れるとか言ってね。(笑)
それが今考えたら長くてさ、通算6~7年一緒に住んでたんだよね。
練習行こうとすると彼女が具合悪くなりだして
デープにもヒロにも行けなくて家から出られなくなっちゃって。
ー そういうのは中年柔術戦士の定めですねえ。
浩司 で、実は紫帯になってから馬場さんに
ヒロの鶴見の支部で週一日だけ指導してくださいって言われて
マスターが言うんだから、やりますって言って
初心者クラスを始めたんだけど
その時に初めて担当したクラスに来てくれたのが
牧野さんっていう人で。
のちにデープでも練習一緒にしたりもするんだけど
そのワタシの同棲した彼女の面倒を見るのが大変になって
その鶴見の指導もできなくなっちゃってさ。
ちょうどその頃に牧野さんも結婚して中央林間の隣の
町田に引っ越して鶴見行けなくなって
あんまり練習できないってお互い言って
練習しましょうかって言ってね。
バイクで10分の所に成瀬の体育館があってさ。
ー コンバットレスリングでおなじみのね。
浩司 そう。それで町田の練習が始まるんだけどそれが結構楽しくて
ヒロの人も来てくれたりしてたのよ。
それで電話の仕事を
辻堂でしてたんだけどそこのサーファーの人が柔術教えてくれって
言いだして藤沢の体育館で練習し始めてっていう風に
練習がまたちょっとできるようになったんだけど
もうそろそろ潮時なのかなぁなんて感じててさ。
その頃になんとかして行ったデープで吉岡さんに
「やめるのもったいないすよ~。やりましょうよ~。」
って言われてまあ続けようかなとか思ったよね~。
まあ日本帰って来てから吉岡さんの影響が大きかったよね。
ー なんで吉岡さんと練習する様になったんでしたっけ?
浩司 弟と練習したいって吉岡さんが練習来るようになってだね。
それで柳沢さんともちょっと練習できたしね。
ー それからあなた、所さんとこ金ちゃんとこ
K太郎のとこで色々教え始めたのはどういう経緯ですか?
浩司 それは指導を頼まれたからじゃあやりますってだけよ。
後は横須賀ですよね。基地の中で指導しましたよ。
ー それは仕組みがそもそもよく分かんないんだけど
浩司 ヒロに横須賀基地の軍属の凄い偉いカイルって人が会員で居て
その人がヒロの支部を基地内で始めて
指導を依頼されたのよ。
それで空母のロナルドレーガンが来ると
クラスもものすごい人なんだけど
空母が行っちゃうと閑散とする感じね。
多い時40人くらいいて大変でしたよ。
全部英語でやってね。
まあちゃんとできなかったから終わったんだけどね。
まあまた私が心身ともに調子崩して一か月くらい休ませてもらって
その間に何人かほかのアメリカの人がクラス始めてて
バラバラになっちゃって厳しいなって感じになっちゃってね。
ー そして今ですけどね。
浩司 なにもかもコロナのせいって訳ではないんだけど
それで仕事も指導も休みばっかりになっちゃってね~。
自分よりも大変な人もいるわけだけど。。。
何なんだろなと思ってまあ色々考えちゃいますよね。
仕事も派遣で嫌がらせされたりもしたし。
思いだすのはテレビのワンコーナーみたいな
仕事中呼ばれて行ったら会議室に一人きりで
宮本武蔵の映像一時間ぐらいみさせられて。
それで「どう思いますか?」とか言われて。(笑)
なんもねえよと思うけどそんな事言えねえしさ。
まあ格闘技でも色々あったけど
なんで今も柔術やってるかって言ったら
好きでやってる以外にないよね。
ー すいませんギョーザ一皿。
浩司 聞けよ。(笑)
ー まあナイーブなんじゃない?
浩司 ナイーブですよ。
ガラスの50代。光ゲンジ。
ー 30年過ぎちゃってるね。(笑)
浩司 壊れそうなものばかりあつめてしまうよ。
ー うるせえな(笑)
じゃあ将来の夢は?
浩司 将来ってなんだよお前。
ー なんで物申す感じなのよ。(笑)
浩司 これから歯が抜けるとかそんなんばっかだよ。(笑)
ー いやもっと話広がらないかなと思って。
岩田さんの話したいって言ってたじゃん。
浩司 岩田の話したいね~。(イキイキと)
あいつはお前の考えてるよりはるかに面白いよ。
もう俺はどんだけ世話になったんだって感じよ兄弟そろって。
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色々あって今に至ったインタビューですが
次回は今成浩司そして今成正和が格闘技を始めるのに深くかかわるという
50代男性岩田さんについて伺います。
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面白い人に話を聞いてみたいです。 リアクションあるとはげみになります。 メッセージ添えて頂けたらなお嬉しいです。