「スピ系」と欲望の渦に巻き込むしくみ
ここ数日もずっとこの世のしくみや今までなんとなくアヤシイと思っていたことについて独自に情報収集をしていました。あまりに夢中になって没頭してしまっていたので昨日はnoteの更新すらできず(笑)、他人のあれこれもどうでもよくなり、興味のある対象に集中するってこんな感じなのか…と感じた次第です。私自身、スピリチュアルや目に見えない世界の情報収集をずっとしてくるなかで、「引き寄せの法則」や「ワクワク」、チャネリングやバシャールのメッセージなどに対して少々疑問に感じることもあるなぁと感じていて、これって本当のところどうなの!?ということをずっと調べていました。もちろん今も継続中です。
いつも物事をうがった見方で見てしまうので、これだけ引き寄せやチャネリングが流行るということは、流行らせる思惑があるのだろうなということはうすうす感じていました。色々な情報を調べてみて、ざっくりと自分なりに直観で感じるのは、支配側には私たちを「欲望の渦に巻き込みたい」という思惑があり、とにかく「エゴ・欲・自我」の意識でいてほしいという思考操作があるのだなということです。そして、「楽しいことだけをしましょう」的な教えもそれはそうだけれども、受け取り方を間違えるとある意味3S愚民化政策につながりかねず、真実から目を背けさせるためのトリックなのではないかとも感じるようになりました。また、チャネリングができる人を崇拝するように仕向けさせるような操作もあるのではないかと感じますね。選民思想的な発想に誘導している感じがしました。
おととい、このnoteにもよく登場する友人とまた会っておしゃべりしていたのですが、その時にも「自我」や「エゴ」のバカさ加減についての話題になりました(笑)。頭で「こうなればこうなるだろう」と想像したことはまず起こらないし、予想もしなかったことしか起こらない上にそれが超重要な人生のターニングポイントになったりするという話になり、そもそも自分で何かを成し遂げられるとか自分の能力がどうのとか自分がすごいとか…そういった発想が幻想なんじゃないか、その意識が傲慢さを生み、この世が腐敗している根源なのではないか、という結論に至りました(いつも言ってることですね)。本来のスピリチュアル的な教えって、そのエゴ意識をハートの意識、愛の意識に変容させるようなものであるはずなのですが、広い「スピリチュアル」カテゴリにはかえって「エゴ・欲・自我」意識や選民思想を増大させるようなものも混ざっているわけですね。私がスピリチュアルな資格商法や組織・グループに対して疑問を感じるのもその辺りのことが関係していると思います。
私がこの世を支配する存在だとしたら、庶民にはずっとバカのままでいてほしいと思うだろうし、本当のことは絶対に言わず、嘘や単なる娯楽をばらまいて人々をだまし続けるだろうなと思います。この世はあまりにも完璧な支配システムが出来上がっていて、しかもその歴史が長すぎるので、ちょっとやそっとじゃ変えられないだろうなと思う部分も正直あります。しかし、そんなことを言っているから世の中が変わらないのであって、支配されている側にも責任があると思っています。
今回改めて自分が集めてきた、信憑性があると思ってきた情報を疑ってかかってみて、スピリチュアルな情報への向き合い方が少しずつ変わってきたという実感があります。巷にあふれている情報は本当に表面的なことを言っているにすぎず、玉石混淆の中から真偽を見極めることの難しさというものをひしひしと感じています。「目に見えない世界なんてない、信じない」という唯物論的な批判は論外として、その世界の情報を集め出してからのワナやトラップの方が大きいんだなと思いましたね。前々から言っているように、光の仕事をしているように見えて実は闇側に加担していた、ということが結構あるので、その辺りが自分で確信を持てるまで勉強に専念していきたいと思っています。
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