「あなたはまだまし、幸せ」はハラスメント

コロナ禍において、仕事を失ってしまったり、店を閉店せざるを得なくなってしまったり、逆に需要が増えすぎて忙しすぎて疲弊してしまったりと、大変な思いをしている人がたくさんいると、メディア、ネットなどで盛んに言われています。コロナ騒動で世界中、社会全体がストレスフルになり、いつも以上に人々の心に余裕がなくなっているのは確かであり、誰もが何かしらの怒りや不満、不安や緊張などのネガティブな状態を抱えながら生きていることだろうと思います。

これはコロナ禍だからとかではなく昔から思っていたことですが、ちょっと不満や不安、ストレスを打ち明けると、「それでも○○よりはましでしょ、恵まれてる、幸せだ」と相手に返されることがありますよね。高校の時に友人が、彼女の親に何か悩みを打ち明けた時に、「それでも世界には貧困で苦しい人もいるんだからあなたの悩みなんて…」的に返された、と言っていたことを思い出します。彼女は「それはわかるけど、そういうことじゃないよね」と怒りながら言っていたように思います。私も同じように思いました。そりゃあ世界の貧困で苦しむ人に比べたら、日本人として生きているというだけで何の悩みもないレベルに恵まれていますが、だからといって私たちの悩みが無視され、軽視されていいとも思えないし、友人も親に自分の悩みをまともに取り合ってもらえなかったことに腹を立てていたのだと思います。

以前にも子育てを変えずして、パワハラ・いじめはなくならないという記事で紹介した、『ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書) 』(安冨 歩、本條 晴一郎著)という本に書かれていたことを思い出します。目の前の人が感じているありのままの素直な感覚や感情を否定し、我慢しろ、感じるな、と言うのはハラスメントであると。その人から見ればもっと苦しんでいるように見える人(世界の貧困の人)と目の前の人の苦しみを比較はできないわけで、「さらに苦しい人と比べたらましだから我慢しなさい」はおかしいですよね。それでも、世の中にはそういった言説、思考回路があふれているようで、ちょっと苦しいなどと言おうもんなら、そういった(クソ)リプが飛んできたりもするわけですね。

そりゃあ誰かの悩みなんて誰かから見たら何の悩みでもないようなことであったりします。私はいろいろと人間の類型論や占星術を学んできたこともあって、人それぞれ何から何まで本当に違うのだ、自分スタンダードで生きていては道を踏み誤るわ、と何度も思ってきました。性格、容姿、家柄、才能、親の性格、とらわれがちな想念やパターンも違うし、人生の目的のようなものも全部違います。だから自分スタンダードで、「そんなのたいしたことじゃないじゃん」などとは絶対に言えないわけで、その人が本当に深刻に悩んで苦しんでいるのだということをとにかくちゃんと受けとめることが大事だなと感じています。身近にそういう人がいればいいけれども、親や友人は「そんなのたいしたことないじゃん」と言ってきたりすることが多いので、専門のカウンセラーやセラピストという職業があるのでしょうね。

これは以前に書いた「○○は甘え」言説では誰も幸せにならない という記事とも似ているかもしれません。自分だって辛いんだから、そんなことで苦しいとか辛いとか言ってるんじゃない、と。自分は辛い中堪えて乗り越えたんだから、そんなのは「甘え」だと。残念ながら、そういう考えの人も結構いるようです。真面目な人ほど、「そうか、貧困の人もいるんだからこんなことで辛いとか言ってちゃダメだ」「こんなことで弱音吐くなんて甘えてるのかな…」などと、自分を責めがちになってしまいます。そしてますます本音を押し殺し、感情鈍麻で何も楽しくない平凡で退屈な人生になっていきます。精神薬なしでは働けない社会に問題があるに書いた薬漬け社会、そして、 「平凡」「退屈」を仕事とお金で解決する消費社会化がさらに進むということですね。世の中には様々な形でハラスメントメッセージが隠れて(隠れてはいないか…)いるので、気づくとすぐドツボにハマってしまいます。これを読んで、その通りだ!と思われた方は、是非自分が素直に感じている感覚を大事にしてほしいなと思います。

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