宇宙の規模でマイホームについて考えたら小腹が空いて時間の流れを改めて感じたというだけの話
酔いが回ってくると、意識の中心が円錐になって宇宙と繋がる感覚になることがある。ブラックホールとホワイトホールの境目に自分の脳みそがあって、そこから空と地面に向かって無限の口が広がっていくような感覚。
↑こんなかんじ。
ほぼ毎日酔っぱらっているけれど、こういう感覚に陥る日はわりと少なくて、運良くその感覚を得られた日は嬉しくなって大抵妙な言葉を紡ぎ始める。といっても、実際に口に出してブツブツ言うわけではなくて、後から見返すと少々気恥しい文章をしたため始めるのだ。
丁度ここに、つい先日そんな感覚になったときに残したメモがあるので書き起こしてみよう。
「世界の輪郭は不断の連続性のもとに再構築され、病的な意識はその存在を
不可逆に定める」
「成熟した意識は未熟な感情に等しい」
「境界という他者に依存することで存在できる抽象の実存可能性に似た、
感情を飼いならす社会性」
うーん。分かるような、分からないような。基本的に偏屈で理屈っぽい自分の特徴が、酔いによって先鋭化した帰結なんだけど。少なくともこれを書いているときは凄く気分が良かったことは覚えている。でも、何を思って書いていたかはメモを見てもよくわからない。地球が生まれてから今日まで過ぎてきた46億年という時間の中には、そんな数分間もある。
人類の歴史は地球上の歴史の中ではとても短いとよく言われる。地球の歴史を24時間に喩えると、現生人類の誕生は23時59分ぐらい、約20万年前らしい。24時間に喩える理由はよくわからないけどとにかく新参者なのだ、我々は。
で、大抵こういう壮大な時の流れに想いを馳せたときは、今目の前にある悩み事が凄くちっぽけに思えて気が楽になったり、逆に自分の存在そのものが無意味に思えてちょっと凹んだりすることが多いのだけれど、今日は家について考えてみる。何故ならテーマが「夢のマイホーム」だから。宇宙が誕生して137億年、こんな強引な導入があったっていい。
夢のマイホーム、その歴史
夢のマイホームという響き、もはや若干死語な印象もあるが、マイホーム神話は根強く生き続けている。「一国一城の主」とか「男はマイホームを買って一人前」という言説、まだまだよく見聞きする。別に男も女も買いたくて買えるなら買えばいいだけだと思うのだが、厄介なことに「女がマンションを買うと婚期を逃す」という通説があって、このあたりはジェンダー論的に面白いけどちょっと趣旨が違うので割愛。とにかく働く世代にとってマイホームというのは分かりやすいベンチマークなわけです。
ところで、人類が場所を決めて定住を始めたのは約1万年前だそう。物凄く最近だ。鎌倉時代から現代までの時間を10倍するだけで辿り着けてしまう程度の過去。つまり我々が「家」と呼ばれる、場所を固定して日々の煮炊きと宿泊を快適にするための人工建造物に価値を見出したのは、地球にとってみればいまこの瞬間と言ってもいいレベルなのだ。いわんや「夢のマイホーム」においてをや。
日本において、マイホームが夢の代名詞になったのは、たったここ数十年、戦後の話。随分短いスパンの「夢」だなあ。戦前戦中まで、家は基本的に代々受け継ぐもので、男の夢の具現化としての役割を背負わされることはほとんどなかったのだ。
マイホームが夢になった舞台裏
しかし、戦争によって日本の国土の多くが焦土と化し(民間人を標的にした無差別空襲は明らかにハーグ陸戦条約違反なのだけれど、この国でそれに言及する人はあまり多くない。勝てば官軍の典型ですね)、日本はそのまま敗戦。そして、戦後の焼け野原にとりあえずバラックというほったて小屋を建てて雨風をしのいでいた当時の日本人が、次に求めたのは「もう少しまともな家」だった。そこで昭和26年、1951年に公営住宅法が成立して住宅の効率的な確保のための間取りの規格化が行われる運びとなった。いわゆる「食寝分離(食事をとる部屋と寝室が分かれていること)」と「就寝分離(親子が別々の部屋で寝ること)」を基軸に「51C型」といわれる間取りが多くつくられ、今の「nDK」という間取りの先駆けとなった。
こういう風に読むと「ふーん」と思うだけで終わりがちだが、物凄く重要なポイントが3つある。
①:戦前の日本には、「nDK」という間取りがなかった。
②:「nDK」は、「食寝分離」と「就寝分離」のために考案された。
③:公営住宅法が成立した1951年の日本は、GHQの占領下だった。
1つずつ見ていこう。
①について、いわゆる古民家といわれる建物に、一般的なLDKの概念を当てはめようとするとしっくりこないのはよく理解できるのではないかと思う。もともとの日本の家は、「夏をもって旨とすべし」と吉田兼好が徒然なるままに硯に向かってブツブツ言っていた時から、風通しの良い平屋が基本。そのせいで冬の寒さはとんでもないことになるので吉田兼好にはめちゃくちゃ反省してほしいけれど(兼好もきっと酔っぱらって頭がブラックホールになってたのだろう)、とにかく効率重視の詰め込み型間取りであるnDKは日本の家屋には存在しない形態だったのだ。
②「食寝分離」と「就寝分離」を基軸とした間取りを推し進めたのは西山卯三という建築家で、熱心なマルクス主義者、社会主義者だったことが知られている。イデオロギーの在り方を論点にするつもりはないので、「食寝分離」と「就寝分離」が進められたことで生まれた単なる事実を以下の通り確認しておく。
イ:食寝分離による部屋数増加とそれに伴う汎用性に富む部屋の減少により
多世代同居が困難になった。
ロ:食寝分離による確保すべき居室の増加に伴い、神棚や床の間等が
「非効率」とされ設置されなくなった。
ハ:就寝分離によって「プライバシー」の概念が一般化した。
③日本がアメリカとサンフランシスコ講和条約に調印するのは1952年である。よって、公営住宅法が施行された1951年はまだ日本はGHQの施政下にあった。当時の日本政府の在り方を鑑みても、GHQの何らかの意図が反映されている可能性は高い。
お分かりいただけるだろうか。要は、
GHQの何らかの意図反映された法律を基に②が進められ、日本中にnDKの集合住宅が作られた、ということなのだ。そしてその集合住宅への入居が当時の若者の「夢」になった。何故か?そりゃあ、バラックよりはきれいな新築の「家」に入りたいだろうし、アメリカっぽいものが全てカッコいいと思わされていた時代だったから。そして、その夢をひとまず叶えた若者が、集合住宅でサラリーマンをしながら次の夢を「マイホーム」に定めたのが高度経済成長期だった、という構図なのである。
夢との引き換えに
そういう「夢」を無意識下に醸成させたのは当然メディアであるわけだが、メディアは使われた側で、日本政府、ひいてはアメリカ政府の思惑が強くあったと考えるのが自然だ。どういうことか?
これまでのように家族として一軒の家を受け継いでいく場合、人口が増えても宅地面積はそんなに変わらない。もともとの家にいる人数が増えるだけだからだ。だが、「夢のマイホーム」を多くの人が建てはじめたら、どうだろう。あっという間に宅地が足りなくなる。
では、どうする?
農地を潰すことになるだろう。
なぜ、農地をつぶす?
日本の食料自給率を下げて輸入に頼らせるためだ。
何故?
日本は自動車をアメリカに売りたくて、アメリカは小麦とトウモロコシを日本に売りたかったからだ。
当時は今みたいに変動相場制じゃなかったので、基本的に物凄い円安がベースだった。つまり高額商品の輸出には最適な条件だった。その分、輸入はベースの価格が安いけど需要が見込める物が良い。なので、手っ取り早くカロリー摂取ができる穀物を輸入するのは日本にとってこれまた好都合。
これだけ書くとアメリカ側に利益がなさそうだけど心配無用。酷い品質のものを送りつけてくださったので、小麦アレルギーがあちこちで発症して花粉症に発展、めでたくアメリカの製薬会社の儲けになりましたとさ。
めでたしめでたし…んなアホな
かくして、そんな思惑など露知らず、日本のサラリーマンは額に汗しながら真面目に働いて未曾有鵜の好景気と驚異の復興と、マイホームという「夢」を手にいれました。2000年以上の伝統と、豊かな耕作地と、二度と訪れることのない春先の平穏な鼻腔と引き換えに。これが私の「夢のマイホーム」観。うーん、我ながら偏っている。夢も希望もありゃしない。
ちょっとお腹空きませんか
結局のところ、マイホームが夢になったのなんて物凄く最近の話で、マイホームが夢とされるようになった理由もなかなか酷いもんだけど、マイホームを夢見るぐらい素直な性格だったらもう少し生きやすいような気もする。
そんなことを考えていたらお腹が空いてきたのでカップヌードルを食べることにした。これもまた「手軽に美味しいものを食べたい」という戦後日本の夢そのものといえるよなあと思いながらお湯を注ぎ3分待つ。
地球ができて46億年、宇宙ができて137億年。壮大な時間の中でじっと待つ空腹の3分間は、まるでブラックホールに吸い込まれたときみたいに永遠に感じられるのであった。先人の夢の結晶、ありがたくいただきます。最近はシーフード味より醤油味が好きになってきた。歳のせいですかね、地球パイセン。