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人は価値観の違いで別れたりしない

なんで釜石に来たのか

釜石東ロータリークラブで講演した。

友人のマツが会長してるので、
「お願い」「はいよ」ってな感じで決まったんだけど、
何を話すか。
経営者の集まりだから、リーダーシップか。
それともいまハマっている越境学習かアンラーニングか。

マツは、
「むらさんがなんで釜石に来たのか、ってことで」
お願いします、と。

そこか〜〜〜。

自分にとっては必然のことだったんだけど、
やっぱり地元の人たちからすると、
「なんで?」、
なんだ。

価値観じゃなくて人生観

簡単にいうと、
2020年8月に移住した。
きっかけはコロナ。
リモートでずっと仕事をしていたら、
「東京にいる意味なくない?」
そんなときに、かみさん(蓮舫)から離婚を提案された。
かなりびっくりしたが、
「おお! それはちょうどよかった」
心理的柔軟性のテキスト通りに柔軟思考で、
抗おうにも抗えないことには抗わないでやり過ごし、
人生の「プランB」に舵を切る。

家族であることをやめ、家を出る。
人生舵を切った先には、釜石がある、と。

さらにいうと、
離婚の原因は価値観の違い、という報道があったが、
それは違う。
価値観は結婚前、付き合っているときから違っている。
価値観なんてすべての人がそれぞれ違ったものを持っている。

離婚の原因は、人生観だ。
お互いの人生観が変わったことが、いまに至るもととなっている。


出家的折り返し点をつくる

昨日、そんな講演をしたあと、今朝の黙読会で、
ちょうどこんな箇所があった。

昔の人は、出家という形でみずから折り返し点をつくった。妻子を捨て、職を捨て、頭を剃って仏門に入るということは、いかに生きるかという考え方から、いかに死ぬかという考え方に転じることだ。ところが、歴史上、そういう人がしばしばライフワークを完成している。後世に残る仕事だ。
(『こうやって、考える。』外山滋比古 P123)

妻子とは別れた、職も少しずらした、頭は元から剃っている。
仏門に入るつもりはないが、生きてるうちに戒名を書いてもらおうかと考えている。
いかに死ぬか、なるほど。
でもまだ、いかに生きるかに最高に興味を持っている。

いかに生きるかをアンラーニングして、いかに死ぬか、にできるか。
これも人生観か。
課題を見つけることができた。


『こうやって、考える。』 外山滋比古 PHP文庫 2021年