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邪悪な地底人の恐怖と地球空洞ロマンを掘り、シェイヴァーの声を聴く!/初見健一・昭和こどもオカルト回顧録

昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想!
今回は「地底世界」と「地底人」の邪悪さのルーツと、その差別的ポジションの原点となった「シェイヴァー・ミステリー」へ掘り進んでいく。

文=初見健一

昭和の「地底人」たち

 数年前、元CIA及びNSA職員のエドワード・スノーデンが「地底には地底人が棲息し、高度な文明を築いているっ!」と驚愕のリークをした、といったネタがメディアで話題になったとき、「あ、なんだか懐かしいな」と思った人は多いのではないだろうか?

 僕もこの話を聞いたときに、最初に感じたのは自分の子ども時代への甘酸っぱい「郷愁」だった。
 そう、思えば僕ら世代の子ども時代は、「地底人」が今よりもずっと元気だったのだ。いや、現在の地底人の元気がなくなっているかどうかは知らないし、そもそも存在しているかどうかも僕には知る由もないのだが、少なくとも小学校の低学年くらいまでは、仲間内でよく「地底人」のことが話題にのぼっていた。

 70年代のこどもオカルトの世界で、特に「地底人ブーム」といったものが単独で成立したことはなかったと思うが、ネタとしてはひとつの定番であり、多くの怪奇系児童書で「地球空洞説」及び「地底世界・地底人実在説」といったものが解説されていた。特撮ドラマやアニメで悪役が「地底人」に設定されるパターンはやたらと多かったし、僕たちが日常生活を送る地面の奥底にもうひとつの世界があり、そこでは別種の生命体が蠢いている……というイメージは、当時の僕らにとってはそれなりにリアリティのあるものだったと思う。
 忘れられないのは、幼少時に再放送で何度も見せられた『ウルトラマン』の第22話「地上破壊工作」だ。このエピソードには地上世界の征服を目論む「地底人」の工作員が登場する。外見は人間そっくりで、サングラスをかけたブロンドの美女……。このブロンド美女がサングラスをはずす瞬間の場面は、「ヒェ~ッ!」と叫んでしまうほど怖かった。両目がないのだ。闇のなかに生息する深海魚のように、目が退化しているという設定なのである。
 今見れば落語に出てくる「のっぺらぼう」と同じ古典的なオチだし、特殊メイクも単に「目に肌色の粘土を貼り付けた外国人」というレベルなのだが、実相寺昭雄監督のひたすら不安を煽る静かな演出が効果的だった。あの「地底人」の顔が顕になる瞬間は、再放送で見なおすたびに「見てはいけないものを見てしまった!」という気分になったものだ。

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月刊「ムー」1979年11月号より。オカルト史における各種「地球空洞説」を俯瞰する好企画。太古の神話から科学的見地に立つ各説までを網羅して紹介。

町内にも「地底人」がいた!

 そういえば当時、僕らが暮らす街にも〝地底人〟が生息していた。もちろん直接会ったことはないのだが、近所の子どもたちの間では「ここに地底人が住んでいる」ということになっている場所が存在していたのだ。

 通学路の途中に広大な敷地を持つ某生命保険会社があり、僕らはよくそこに忍び込んで遊んでいた。社屋の庭は手付かずの森のような状態になっていて、渋谷区のど真ん中であるにもかかわらず、カブトムシやクワガタが捕れる夢のような遊び場だった。
 その敷地の一番はずれに崖のようになっている場所があって、そこを降りていくと木々で隠されるようにして、子どもがかがんでやっと通れるくらいの小さな穴が空いていた。
 内部に入ると、ウネウネと妙に入り組んだ構造を持った洞窟というか、トンネルになっている。奥は真っ暗なので、行き止まりなのか、どこかへ続いているのかはわからない。
 子ども時代の僕らはずいぶん無謀なことをやらかしたものだが、あのトンネルを最後まで探索した子はいなかった。「あの穴は地底人の世界に通じている。入ったら出られない」と言い合っていたのだ。
 もちろん半分は冗談なのだが、「穴の入り口のところに鳩の死骸があった」とか、「穴のなかに子どもの靴が片方だけ落ちていた」とか、「奥からヒソヒソと話す声が聞こえた」とかいった噂を聞くたびに、「笑いごとではないっ!」という気分になって青ざめたものだ。僕はひとりのときは絶対にあの穴へは近づかなかった。

 大人になって考えてみると、あれは戦時に防空壕として掘られたものだったのではないかと思う。

 また、嘘か本当かは知らないが、あの広大な土地はかつてお寺の敷地だったという話を聞いたことがある。確かに敷地内には、妙な具合に残された石垣や、企業の庭には不釣り合いな古びた石灯籠や石像などが点在していた。夕暮れ近くになると少し無気味だったのだが、このままアレコレ思い出していくと心霊方面のネタにどんどんそれていってしまいそうなので、話をもとに戻す。

 子ども時代の僕らがどうしてあれほどまでに「地底人」にリアリティを感じることができたのか、今思えば不思議だが、それは要するに当時の「怪奇系児童書」で日常的に「地底人」の話題を読んでいたということなのだろう。

 では、どうして当時の昭和こどもオカルト関連メディが盛んに「地底人」ネタを取り上げていたのか? 大きなブームにはならなかったにせよ、1970年前後あたりに、子ども文化において「地底人」ネタのプチ盛りあがりのきっかけがあったはずだ。

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月刊「ムー」1982年5月号より。「メキシコの農夫が地底人と出会い、地底の文明から得た錬金術的知識を応用して“巨大野菜”を栽培している!」というスクープ記事。「地底人」ネタのなかでもかなり風変わりなトピックだ。

ノンフィクション「地球空洞説」の系譜

 では、昭和こどもオカルトにおける「地底人」及び「地底世界」ネタの扱われ方の系譜を回顧していこう。

 そもそも「地底人」やら「地底世界」が実在するためには地中に広大な「居住スペース」が必要になるわけで、僕らが習った学校の教科書の地球の断面図のように、この惑星の内部に岩石やら金属やらがギッチリと詰まっていては具合が悪い。どうしても地球の内部はカラッポである必要があるのだが、もともと太古の時代から各地の神話や伝説に「地球の内部には別天地がある」といった話は多い。あのプラトンも「地球の中心には神がいる」など、「地底世界」を示唆するようなことを書いているし、広い意味では、古今東西にある「地獄」という概念も、多くが「地底世界」を前提としたものといえるのだろう。
 僕らが子ども時代に読んだオカルト本の「地底世界」解説記事にも、よくチベットなどに伝わる「シャンバラ」とか「アルザル」とか「アガルタ」とか呼ばれる「神話的地底ユートピア」の話が出ていたのを覚えている。

 一方、科学の見地から「地球の内部はカラッポなんだよ」といったことが最初に唱えられたのが、17世紀の後半のこと。ハレー彗星の発見者として著名な英国の天文学者、エドモンド・ハレーの学説である。彼は空洞の地球の中心に太陽の役割をする高熱球体が存在する、と主張している。これがいわゆる「地球空洞説」のはじまりだ。その後、19世紀に米国の退役軍人、ジョン・クリーブス・シムズも似たような説を主張する本を書き、これによって「地球空洞説」は欧米ではかなりポピュラーな概念になったという。
 1930年代にはポーが、そして1960年代にはベルヌが「地球空洞説」を前提にした小説を発表、特にベルヌの『地底旅行』は多くの人々の地底へのロマンをかきたてた。この作品は長らく学校図書館の定番の一冊だったし、映画化もされており、その影響は僕ら世代にまで及んでいる。

 また、ちょっとジャンルは違うが、1895年にはウェルズが『タイムマシン』で未来世界の「地底人」(というか、地底に追いやられた下層階級の人類が退化したもの)を超絶ホラーテイストで描いている。昭和の時代には児童書として広く読まれる一冊だったが、その設定のあまりのエグさは多くの子にトラウマを残した。子ども時代の僕に「地底人」の恐怖を植え付けたのは、まさにこの作品だったと思う。

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月刊「ムー」1987年8月号より。チベットにあるという伝説の楽園、地下王国「シャンバラ」を特集。チベット仏教に伝わる伝説をはじめ、各地に存在する類似の神話を紹介。さらに多くの探検家の証言から地球規模で広がる「地底世界ネットワーク」の存在を示唆!


「地球空洞説」を実証した一冊

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