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私と卵と、これから。それから。 第四話

あれから気がついたら、あっという間に4年が経ち、迎えた2021年夏。
現実はそんなに甘くないらしい。
まぁ、薄っすらわかってはいたけれど。

コロナ禍で2回目の誕生日を迎えいよいよ30代最後の歳になった時、焦燥感は一気に肥大した。誕生日前日、言葉にしがたい気持ちを持て余して一人涙を流す程度には、なんだかいっぱいいっぱいになっていて漠然とした焦りに視界が狭くなっていくような感覚がした。
そして何よりも自分を苦しめたのは、胸が締め付けられるくらいの焦りを感じながら、その焦りが一体何から来るものなのか、わからなくなっているという事実だった。
少し前までは結婚適齢期とされている年齢を超えてしまったことや、子持ちの友人がどんどん増えていくこと、同年代で独身の女性が減ってきていること、それらに焦りを感じていた。みんなから遅れを取っている気がして、孤立していくような気がして、どうにか追いつかないといけないような気がして、なんとなく、ずっと焦っていた。

では39歳になった私はどうだろうか。なぜ、こんなにも焦っているのか。
私はこれからどう生きたいのか、ちゃんと考える必要があった。原因の所在がわからない焦りを感じながら、これまで通り走り続けるのはこれ以上無理だと感じて、改めて自分と向きあわざるを得ないところにきている事がわかった。ここまできて、ようやく改めて自分と現実と向き合う準備が整ったのだった。

覚悟が決まってからは、目から鱗の連続。

まず、悶々と考えを巡らせながら気がついたこと。それは思っていた以上に「女性は結婚して子供を産む」ということが、自分にとって「普通」で、「あるべき姿」の基準になっていたということ。
我ながら衝撃だった。
なぜなら、私はこれまで国籍や性別に囚われない、いろんな形の「愛」や「幸せ」の形を身近に見てきたから、自分は比較的柔軟な考えを持っていると思っていたのだ。ところが、自分自身には「女性だから結婚して子供を産む」という形を目指すべきゴールとして定めていて、知らず知らずに自分を追い込み苦しめていた。その事実に、ようやく気がついた。

では今、もしくは今後、私は本当に結婚して子供がほしいのだろうか。
これまでの私は「結婚は当たり前にするもの」と思っていたが、その形にこだわる気持ちが薄れつつある事に気がついた。結婚式はこんなイメージで、こんなドレスが着てみたいと雑誌の切り抜きを取っておくくらいに思い入れがあった私が、だ。籍を入れても入れなくても、長く支えあえるパートナーと出会えればいいじゃないか、と思うほどに、いつの間にか考えが変わっていた。
子供についても同様に思いが変わっていた。これまでは「子供がほしいか」と問われたら、欲しい!と即答できていたのに、あれだけ欲しいと思っていたはずなのに、すぐに答えられなくなっている自分がいることに気がついた。そして、私の場合、ただ子供が欲しいというよりは「好きな人との子供が欲しい」のだということがわかった。

ちなみに、この変化は何かを諦めたが故の結果ではなく。
「そうあるのが当たり前」、「普通」だと思っていた幸せのカタチが、自分の中でゆっくり時間をかけて変化しただけのことだと思っている。その証拠に、30代半ば頃の私の生活の主語にあった「女性だから」が、いつの間にか「私だから」になっていた。
「女性だから〜する」のではなく、「私だから〜する」。
人よりも時間がかかったかもしれないが、そんな自身の心の変化にも、ようやく寄り添えるようになったのが、たまたま39歳になってからだった。
ただ、それだけのことなんだと思う。

こうして自問自答を繰り返す中で「ここまできたらとことん自分らしく、自分にあった形を探していけばいい」と、本当にごく自然に思えるようになっていた。自分と向き合って、ようやく自分で自分の心境や考えの変化を受け入れた時に、ストンッと腑に落ちた感覚があった。心もいくらか軽く、そして自由になった気がした。
不安や焦りが無くなったわけではないけれど、少なくとも「今の自分にとっての正解」がなんであるか、自分で選択できる自信と勇気が沸いた気がした。

この先、パートナーに出会えたらラッキー。その人との子供が欲しくなった時のために、少しチャンスを取っておきたい。その為に今できることがあればしておこう。それくらい軽やかに考えられるようになっていた。

そして、たまたま目にした卵子凍結に関するセミナー。あの日に戻る。
あの時もまさに自問自答を繰り返す、メンタル低空飛行な日々の真っ只中だった。セミナーの内容に衝撃を受け、焦る気持ちを煽られ、ひたすらに考えた。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、一人で孤独な闘いに挑んでいた、2021年の夏。
苦しい闘いの末に「女性だから」ではなく「私のために」と考えられるようになった私は、自分の年齢と将来と、そしてその延長線上にあった卵子凍結という選択肢について考えて、ついに決意する事ができたのだ。
カレンダーは2枚めくられ、9月になろうとしていた。

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