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【11日目】感情コントロールと『三つのパーツ』(ニンゲンのトリセツ・改)

◆『感情コントロール』は不可能!?

 今の世の中、いわゆる『感情コントロール』というものがとても大事だとされています。これは、人前では大声で怒鳴ったり、メソメソ泣き出したり、他人を馬鹿にして笑い飛ばしたりというような、感情にまかせたむやみな行動をつつしんで、自分の言動が相手をどんな気持ちにするかを「考えて」から表情や動作をコントロールしましょう、という考え方です。
 社会で生活する上で、これはとても大事なことです。学校や職場ではもちろん、乗り物や街角など公共の場で日常生活をする上で、さらに家庭で家族と接するときも、できるだけ感情的にならず相手を尊重しようと行動することは、お互いが気分良く暮らしていくための“必須スキル”であると言えます。

 さて、このことを『モトの話』流に考えてみると……要するに僕の言う「アタマ」を使って「ココロ」をコントロールしましょう、という話になるはずです。前回【大いなる勘違い】の話をしたときにもくわしく説明しましたが、僕たちは普段「自分=アタマ(自意識)」だと思っていますので、この「アタマ」で「ココロ」をコントロールして社会をうまく回しましょう、というのが『感情コントロール』の基本的な考え方です。

 ところがどっこい……。実は僕たちは、その構造上

  • アタマでココロを直接コントロールできない

という性質を持っています。なぜなら、それらは明確な「別のパーツ」「別の器官」だからです。繰り返しになりますが、ココロというものは『モトの集まり』で、アタマは『脳(カラダの一部)の機能』なんです。これはこの『モトの話』独自の考え方になるのですが、この二つが本質的に全く違うものであるがゆえ、お互いがお互いを直接「コントロール」することは、本来なら不可能なのです。これは肺で食べ物を消化したり、胃で呼吸したりできないのと同じです。

 とは言うものの、僕たちは先ほどの『感情コントロール』を“やろう”としたとき、割と“やれて”しまうものです。【アタマとココロのケンカ】の話のときに出てきた「食べ残ったお菓子」の例のように、「やっぱり雰囲気壊すのイヤだから、今は食べるのガマンしよう」なんていう『コントロール』ができてしまうことなんて、日常生活でもよくあるものですよね。ですから僕から「アタマでココロを直接コントロールできない」とか言われても、大半のみなさんが「そう?」と思ってしまうのではないでしょうか?

 では、どういう“メカニズム”でこの『感情コントロール』が行われているのでしょうか? こういうことにも『モトの話』の基礎である【三つのパーツ】という考え方がおおいに役立ちます。


◆ココロが感情を出す「手順」とは

 実のところ、ココロが「感情」「気持ち」を出すまでには、情報の流れの“手順”のようなものがあります。

・カラダ → アタマ → ココロ = 気持ち

どういうことかをくわしくお話ししていきましょう。

 僕たちのココロというのは「モトの集まり」でしたよね。ココロというものはそれ以上でもそれ以下でもありません。ですから僕たちの身の回りで現実に起こっていることをココロが「知る」ためには、まずはどうしても「カラダ」を使って何かを「感じ取る」必要があります。
 たとえば視覚。見ることで「それがどんな形や色か?」を識別するのは「目」というカラダの部分です。他に、聴覚は「耳」で音を聞きますし、触覚は「肌」でさわり心地や温度を感じます。こういうふうに、まず最初に「カラダ」のどこかを使って周りにあるものの特徴をつかむのが、感情が出てくるまでの最初の手順なんです。

 そして実は、そのあと直接「感情が出てくる」わけではないんです。ほら、僕たちの「アタマ」というパーツは『カラダの一部である脳の働き』だと説明しましたよね。カラダの仕事はまだ終わりじゃないんです。
 カラダの各部が検知した先ほどの「周囲の情報」は、いったん脳に送られます。そして感情が出てくる前に『脳の機能』である「アタマ」の出番がやってくるのです。

 この手順での「アタマ」の仕事は
「それは何か?」
という判断をすることと、
「それが自分にとって“イイ”ものかどうか?」
見極めることです。
 まずアタマは「記憶」というものをたよりに、「カラダが集めてきた情報」について今まで見たり聞いたりしたものの中から「それは何か? どういったものか?」を判定します。そしてその後、その『情報』が「自分にとってイイものだったか、イヤなものだったか」を、また記憶をたどって調べ上げます。そういう『価値判断』とでもいうような作業をアタマが一瞬で行うのです。

 こういう手順を経て、ようやくそれらの『情報』『価値判断』が「ココロ」に送られます。ココロはその『情報』『価値判断』をもとに、それらが
「好きか、好きでないか」
【好き嫌いゲージ】で判断します。そして好き嫌いゲージの針がどちらに・どういうふうに動いたか? によって「感情」「気持ち」を出し、アタマやカラダにフィードバックします。
 こうしてようやく、僕たちに「感情」がわき起こるのです。ですから【三つのパーツ】を紹介したときに書いたとおり、カラダ・アタマ・ココロはとても“シームレス”(継ぎ目がない様子)に連携して、感情を出して行動を決定する働きを持っているのです。


◆チョコレートケーキ、好き? キライ?

 以上の手順を、ちょっとした例で説明しましょう。

 あなたの目の前にチョコレートケーキが置いてあるとします。
 この“物体”について、まずは「カラダ」が働きます。目がそれを見て「茶色くて三角の“物体”」をとらえます。そして鼻が匂いを検知して「なんだか香ばしくて甘い香りのする“物体”」だと認識します。
 次に、カラダがとらえたそれらの情報が「アタマ」に送られます。アタマは「茶色くて三角で、いい匂いのする“物体”ってなんだっけ?」と記憶をたどっていき、瞬時に「チョコレートケーキ」という言葉を思いつきます。こうしてこの“物体”が「チョコレートケーキ」である、という『情報』が得られます。
 次にアタマは「それが自分にとって“どういうもの”であるか」を、ふたたび記憶をたどって探ります。ここで『価値判断』がなされるわけです……すなわち、過去にチョコレートケーキを食べて「美味しかった」と思ったことがあるか、もしくは「マズかった」と思ったことがあるか(もしくはまだ食べたことがないか)を、これまた一瞬で思い出すのです。こうしてようやく

  • 『情報』 = チョコレートケーキだ!

  • 『価値判断』 = 美味い(もしくはマズい)食べ物だ!!

がそろうので、これらがセットでココロに送られます。
 こうした手順の後に、それら『情報』『価値判断』を受け取ったココロが【好き嫌いゲージ】を使って感情を判定します。この『価値判断』が「好き」だったら『好き』側に針が上がり、「キライ」だったら『嫌い』側に下がるのです。
 このときの針の「動き方」と動いたあとの「位置」によって、ココロが出してくる感情が違ってくるわけです。具体的には、『好き』側だったら「嬉しい気持ち」が、『嫌い』側だったら「イヤな気持ち」が出てきます。

 こんなふうに、ココロから感情が出てくる前に「カラダ」と「アタマ」が『情報』を集め『価値判断』をする、というのが先ほどの“手順”

・カラダ → アタマ → ココロ = 気持ち

である、というわけなんです。


◆人生を支配する『無意識の習慣』

 冒頭の『感情コントロール』と言われるものにも、この“手順”が重要な役割を果たします。というのも、この“手順”は普段どおり日常生活をしていると、ほぼ「自動的に」行われるからです。実は、この「自動的に」の部分を「意識的に」に変えましょう、というのが『感情コントロール』の本質のようなものなんです。
 ではどう「自動的に」動作するのかというと……さっきの例ですと、あなたは毎回チョコレートケーキを見かけるたびに
「これは何だ? 茶色くて三角、いい匂い。チョコレートケーキに違いない!」
とかいちいち考えていますか? いませんよね……。そう、そういう情報収集と価値判断というものは、脳の働きによってほぼ自動的に一瞬で行われるものなんです。

 僕たちは普段、そういう自動的な「脳の働き」のことを

習慣

と呼んでいます。いいかえると、僕たちは日々の生活のほとんどすべてをこの『習慣』によってほぼ自動的に行っていることになります。
 『習慣』という機能は、さきほども書いたとおり「脳の機能」であって、『モトの話』ではこういう機能を「アタマ」の働きであると考えます。つまり、アタマというものは「能動的に(自分からすすんで)考える」だけでなく、『習慣』という機能を使った「自動的な判断」も担(にな)っているということなんです。

 問題は……僕たちが自分で自分の『習慣』に気づいていないことがよくあることです。自分で気づいていないこの

無意識の習慣

というものが、僕たちの日常のほとんどをコントロールしていると言っても過言ではありません。
 いつもはこの『無意識の習慣』が生活を楽にしてくれている(いちいち考えなくてすむから)のではありますが……時々この『無意識の習慣』が勝手に【好き嫌いゲージ】を下げ、イヤな気持ちを出し続けることで「人生がつまらない」と感じてしまうことが起こります。こういうときにこそ、自分自身の『無意識の習慣』を見直すことで(つまり「アタマ」の働き方を見直すことで)、ココロが出す感情をコントロールしようとする、いわゆる『感情コントロール』が必要になります。

 結論として『感情コントロール』というのは、ココロを直接どうこうするようなものではなく『アタマの使い方』を工夫しましょう、という話だというのが『モトの話』から分かります。そのために、先ほど紹介した「チョコレートケーキを見てから感情が出てくるまでの手順」のような“仕組み”“メカニズム”を理解することが、自分自身と上手な付き合いをしていく上でとても役に立つはずです。というわけで次回は、具体的にアタマやココロを「どう使うのか」考えるために役立つツール『ABC理論』というものをご紹介します。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)