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【30日目】「他者」をセカイごと創ろう!(セカイのトリセツ)


※ご注意※
 『モトの話』の最終奥義として【神さま】の話をしています。
 ですがこれは

  • 特定の宗教への勧誘

  • 創作した宗教団体への勧誘

  • モトの話への信仰の要求

を目的としたものではありません。


◆ないなら「創ろう」

 今は「うにの気持ち」を探っているところです。前回は「【神さま】(うに)は他者を欲しがっていた」という話でしたね。
 かつて天国(かそれ以上の次元)の世界でたった一人で存在する「意識」だった【神さま】は「自分とは何だろう」と思ってみたけれど、「他者」というものが存在しないので「自分とは〇〇だ」という『特徴』がどうしても分からなかった、という話でした。

 さて、この『モトの話』なのですが、こういう「人生という現象についての根本的なスピリチュアル理論」について、僕はずっと昔……今よりもっともっと若い頃から「知りたい」「本を読みたい」と思っていました。ですが今僕が書いているような「ちゃんと理屈が通る」スピリチュアルに出会うことは、なかなかありませんでした。だから、自分で作ることにしたんです。あしかけ30年もかかってしまいましたが、なんとか形にすることができたように思っています。
 こんな風に、神さまも多分「ないんなら創ってしまえ」と思ったんじゃないかと考えています。すなわち、自分で自分のことを知るためにどうしても必要な『他者』という存在が「ない」のであれば

創ればいいんだ

と気づいたのではないか、と。

 【神さま】(うに)がいたところは僕らから見ると、死後の世界である「天国」に相当する場所だったと推測しているのですが(僕たちは死後、うに本体のいる所に「帰る」はずだから)、そこは【両手じゃんけんの状態】になっている世界なんでしたね。なんでも好き勝手できる世界です。天国では好き勝手できるけども、自分のコントロールできるもの以外は存在しない、そういう世界でした。これが【両手じゃんけん】だと。
 この性質を「逆に」利用して、神さまは「自分とは何だろう」ということの『答え』を探ろうと考えたんだと思います。気になって仕方がなかったんでしょうね。


◆神さまの自己分割学習処理

 そこで神さまが具体的に何をしたか……神さまはあらゆる全てが自分の思い通りになる、裏を返せば「自分の思い通りにしかならない」世界で、自分の思い通りに「ならない」ものを作るにはどうしたらいいかを考えたんです。

 そして、一つの結論に達しました。それは

自分を「分割」して他者を創る

という方法です。

 自分を分割する!? なんて、感覚的になかなか理解できないような気がしますが、例えば昨今研究が進んでいるAIの技術でも、高速で機械的な学習をするために自分自身を「教師」「生徒」に分割して情報処理をする手法が取られています。教師役、生徒役に「分割」された一つのAIは、お互いがお互いの情報を「持っていない」ことになっていて、クイズやテストのように次々に学習していくんだそうです。
(参考文献『マルチナ、永遠のAI。』大村あつし著)

 多分神さまも、最初はこういう手法で自己を分割していたのではないかと考えています。ただしです……単純に二つの自分を「こさえた」だけだったら、天国のセカイではそれはやっぱり自分の右手と左手、自分でコントロール可能なものになってしまいます。


◆「忘れる」ために【地獄】を創った

 天国の世界でそういうことをやろうとしても、やっぱり「ごっこ遊び」の範囲を出ることができなかったはずです。なぜなら創り出した「他者」には自分が作ったルール「自分が何者か覚えていない」を適用できるのですが、自分自身はやっぱり「覚えている状態で、忘れたふりをする」という【両手じゃんけんの状態】になってしまうんです。

 困った【神さま】は、さらに考えました……どうしたらいいんだろう……。

 神さまは自分も「他者」も、相手が自分自身だと「完全に忘れてしまう」にはどうしたらいいかを考えました。先ほどのAIの「教師」「生徒」の『役』をさらに深く「相手が別の存在である」くらいに『忘却』するにはどうすればいいのか。
 そこで、こういう方法を思いつきました……二人以上の「他者」を創り出して、神さまのいる天国のような両手じゃんけん「ではない」世界に住まわせれば、お互いのことが何もわからない、

お互いにとって「他者」しかいない世界

を擬似的に創り出すことができるはず。

 というわけで神さまは、複数の「他者」とそれらが住まう「天国ではない世界」を、自分をさらに分割して創ることにしました。
(自分しか存在しないセカイなので、材料が「自分」しかないのです)

 こういう理由で僕たちが今住んでいる【地獄】に相当するセカイが創られることになったんです。僕たちの住んでいる【地獄】には

【誰も知らない】というルール上級編【7日目】

があるのですが、どうしてこういうイヤなルールがあるのかというと、今書いたように僕たちが「こういう事情」を覚えていては神さまが困るからなんです。あなたも神さま、私も神さまという「本当のこと」を生まれつき全員が覚えてしまっていると、神さまの大疑問である
「私は、誰なんだ」
が永遠に解けないんです。

 「あなたは、わたしである」ということを上級編【18日目】で書いたのですが、それはこういった構造から導き出される事実です。
 ですが……感覚的には、こういうのって「気持ち悪い」ものではないかと思うのですが、どうでしょうか。
 もしあなたが人類の博愛精神に長けた方なら、あなたと初老男性の僕とが「同じだ」なんて言われても「キモくないよ!」と言ってくださるかもしれませんが、そんな方でもたとえば、見目麗しくない生き物って世の中にはいろいろいますけど、イニシャルGとかコバエとかアニサキス(寄生虫)とかコロナウイルスとか、そういう生き物についても究極的には「あなたは、わたしである」が適用されるはずなんです……それは正直キモくないですか?

 この「他者が自分自身だなんてキモい」という感覚は、至極正しい感覚なのではないかと僕は思っています。そういう感覚が抱けないと「自分ではない何者か」である【他者】と自分を比較しなくなってしまいますからね。
 この「他者と比較して自分自身を定義する」ことこそが、神さまが「あなたを演(や)っている」理由でもあるんです。そのためにこの【地獄】というセカイをわざわざ創ったんですから。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)