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【17日目】人生は「やり直せる」のか?(セカイのトリセツ)

◆後悔、後を絶たず

 さてようやく「ジンセイがツラいものなのはなぜか?」という疑問の答えが出ましたね。それは

【大いなる矛盾】が【関わりの網目】に織り込まれているから

でした。この【】の部分は『モトの話』オリジナルの用語です。つまり、ここまできっぱりと「人生がツラいものである理由」を説明するには、やっぱりこの『モト』という新しい考え方があってこそなんです。モトって便利でしょ?

 ……で、ですよ。問題は「じゃ、どうするの?」という話ですよね。人生はツラいもんですよ、だからツラい思いを抱えて死ぬまで生き続けましょう、では救いも何もあったもんじゃないですもんね。
 もちろん「救い」はちゃんと用意しています。そのための『モトの話』なんですからね。

 その「救い」の一つ目は「過去はやり直せるのか?」という話です。

 過去がやり直せたらいいのに、と思ったことがない人は、いないと思います。誰しも「あの時ああしていれば」という『後悔』という気持ちを抱いたことが、一度はあるはずです。
 上級編の12日目で『後悔』というものの「メカニズム」を紹介しました。この『後悔』は『心配』と同じメカニズムで出てくる気持ちで、今ではない時間・ここではない場所のことを想像してモトを減らす、という動作でしたね。このときアタマで想像したのが「過去」なら『後悔』、「未来」なら『心配』という気持ちになります。

 ですが、『モト』の構造からひもとくと、未来はすでに決まっているし、あなたの記憶にある過去は「未来に何かが起こるための準備」としてシナリオに記録されているので、絶対に変えられない、というのがあのとき話した結論でした。そしてその結論のもっと深い話である『時間軸の構造』を、このエキスパート編でガッツリ書いてきましたよね。

 結局のところ、残念なことに後悔している過去を取り消して「なかったこと」にすることは、絶対にできないんです。宇宙の歴史には「シナリオ」があるからです。

 でも……過去は本当に「やり直せない」のでしょうか?


◆時間の修正が可能な構造とは

 実は、何度かこの『モトの話』で書いてきたように、時間軸=宇宙の歴史というものは時々

「修正される」

ことがあります。
 なぜそう言えるのか? というと、『モト』という考え方があれば上級編で紹介した「時間の修正」がどうして可能なのか? という仕組みが理解できるから、なのです。前に「ビデオデッキ」の例えを出した通り、仕組みがあるということは、実際に使うことがある、ということを意味しているはずで、ゆえに時間軸の「過去」も「未来」もちょいちょい修正されているはずなんです。

 前回までで語ってきた通り、宇宙の『時間軸』というものは「はじめから終わりまでの歴史が全部書かれた状態」でどこかに存在する、そういう構造になっているはずなんです。それはこのエキスパート編で紹介してきたような

モトによるアニメーションとフレームレート

という考え方で説明ができます。
 現実にあるもので例えると……アニメや映画のフィルムというものは「はじめから終わりまでがすでにある」状態で保管されていますよね、基本的にそういうものだ、という話です。

 ですが大事なのはここから先です。
 この構造の「フィルム」で、もし映画の監督が公開前の最終チェックをしていて
「この部分はもっといいシーンに変えよう」
と考えたら、その部分だけを切り貼りして別の映像に「差し替える」ことがありますよね。ディレクターズ・カットというやつです。
 一方で、モトによる『時間軸』の記録も、同じやり方で差し替えられる「構造」になっているんです。要するに、映画のフィルムと同じで、フレームレート単位で管理されている地獄世界の「時間」は、とある「瞬間」のフレームを別のフレームに差し替えるかたちで

「ディレクターズ・カット」ができる

はずなんです。


◆ディレクターズ・カットでより良い映画に

 これが「時間・歴史の修正」が『できる』原理です。僕たちの時間軸を全体的に見渡せる立場(ひとつ以上、上の次元の存在)であったら、容易にディレクターズ・カットが可能なはずです。

 問題は「なぜ」差し替えるのか? ですよね。

 そのときに差し替える基準になるのは何かというと、宇宙の時間軸・歴史というものは「宇宙の終わり」に向かうまでの「プロセス」(工程)であるので、ゆえにこの

「プロセス」の『良し悪し』

ではないかと考えられます。

 ……なんて書いても「良し悪し!? なにそれ??」と思うでしょうが……このとき、その良し悪しを判断する基準というのは

「実際に地獄に入ってみて、感じたり考えたりしたこと」

だと僕は考えています。
 これこそが、僕たちが地獄までわざわざ降りてきて【個別のドラマ】という『用』(上級編参照)を実行している理由なんじゃないかと僕は思っています。どうしてか? それは地獄世界で起こる物事というものが「やってみないとわからない」ものだからです(地獄のルール①と②、でしたよね)……そういう単純な理由を想定しています。


◆ジンセイのPDCA

 ビジネスの世界では『PDCAサイクル』という言葉がよく使われます。これは

P……プラン(計画)
D……ドゥ(実行)
C……チェック(評価)
A……アクション(改善)

の頭文字で、計画を立てて、やってみて、反省して、修正する、そしてまたPに戻る、というサイクルを表しています。

 地獄の時間軸が「修正される」のはなぜかというと、僕たちが

「実際に苦しみの世界で生きてみて、それでどうやったら『終わりのかたち』(=全部のモトを【有】に変える)によりよく近づけるのか」

を、この『PDCAサイクル』のD→Cという順番で行っているからではないかと考えています(PとAは死後の世界【天国】で行っているはずです)。
 そんなわけで……例えば今年の初詣で神さまにお願いしたり、報告したり、怒りをぶつけたりしたことは、全部、ぜ~~~んぶちゃんと届いています。そしてもちろん、それに応じて未来や過去が「修正されている」はずです。

 これこそが冒頭の「過去のやり直し」にあたるものになります……ただし、ディレクターズ・カットで修正された「過去」は僕たちにとって「なかったこと」になるので、僕たちの記憶から消えてしまいますが。つまり、僕たちが何らかのイヤな「思い出」を抱えている間は、その過去が「ディレクターズ・カット」されていない、ということです。
 もし「修正されていない」と感じる過去の出来事があるなら(あなたが覚えている、ということは「修正されていない」ということ)、それはあなたに(もしくは【関わりの網目】で関わる誰かに)今後やってくる未来にとって必要だから、修正されていないのだということです。

 というわけで……僕たちの『過去』はもしかしたら、割とひんぱんに「やり直し」されているのかもしれません。僕たちが全く気づいていないだけで。

 僕たちにできるのは『地獄のルール』により「今」という時間を知覚することだけです。ですから、こういう理屈で「今どんな気持ちか」を、自分でいつもきちんと把握しておく必要があるのではないかと考えています……もちろんそういった「日常のささいな気持ち」も、神社で報告するまでもなく、全部「どこか」に届いているはずです……より良い「プロセス」を作るために。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)