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【短編小説】自転車に乗って

 自転車に乗るなんて何年ぶりだろう。いや、正確には昨日コンビニまで乗ったんだけど、時間的にはあくまでそこ2~3分の話であって、そんなの『乗った』うちには入らないし、恥ずかしくてとても入れられない。でも今日は多分結構長い時間乗れるだろうと思う。だって、新生活を始めたばかりの独り者が、日曜の昼下がりに予定なんてあるはずもないじゃないか。

 朝から相当いい天気で、ワンルームの狭いベランダに出たTシャツ姿の僕の腕を、若干のぬくもりを含んだ北風がぺろりと一舐めして南へ抜けていった。青空を気持ちよさそうに泳ぐ千切れ雲が、はるか高い所から優雅なしぐさで僕に手を振って見せる。足元にある無人の幼稚園に目を移すと、ついこないだまでピンクだった桜の木々が、もくもくという音を立てて緑に変わろうとしているところだった。ああ、こりゃ外に出ないと損だと思った。しかもおあつらえ向きなことに、僕には昨日買ったばかりの自転車がある。これはまさに運命だ。

 この春越してきたばかりの大阪の町にはまだ全然慣れてなくて、どちらに走ったら何があるのかなんて全く分からない。探検気分で、僕は予定している通勤路の反対方向、地下鉄谷町線都島駅から北向きに走ることにした。駅周辺の比較的ごみごみした通りは、都会特有のむっとする空気で、自転車で走り抜けるにしても「颯爽」という感じには程遠い。通りのビルの頂にそびえる巨大な海苔の佃煮『磯じまん』の看板に(自慢するなよ・・・)と心でツッコミを入れながら、もう少し走りやすい道路を探そうと僕はペダルを踏みしめた。団地の前を通り過ぎ、ショッピングビル『ベルファみつとみ』を通り過ぎる頃には都会的な喧騒はだいぶ薄れる。街路樹が落とす涼しい影をくぐりながら、すこし汗ばんできた僕は、Tシャツ一丁で出てきて正解だと感じていた。

 車や人通りが少なくなってきたので、僕は一旦自転車を止めて、ポーチからMDウォークマンを取り出しイヤホンを耳につけた。スイッチを入れると、スピッツの自家製ベストが流れ始める。

 僕にスピッツを薦めてくれたのは、学生時代の一つ上の先輩だった。
 彼女は同じサークルの先輩で、ぶっちゃけ僕の一番の憧れの人だった。意気地なしで内気で、どうしようもなかった学生時代の僕の手を引いて、「自分の人生を生きる」とは、具体的にどうすることなのかを教えてくれた一番の恩人。いつでも強気で、ある意味わがままで、好き嫌いがはっきりした性格の彼女には敵も多かったみたいだけど、僕にとって彼女は「人生の先生」で、きっとこれからも二宮金次郎より尊敬できる憧れの女性であり続けるだろう。
 そんな彼女があの頃いつも聞いていたのが、当時大ブレイク中だったこのスピッツだ。今は少しブームも落ち着いてきた感じだけど、レンタルしてきた昔の曲なんかを聞けば聞くほどハマってしまう不思議なバンドだと思う。聞き始めたきっかけはちょっと不純だったかも知れないけど、今では僕の一番のお気に入りだ。

 実は、僕がスピッツを聞き始めたのは彼女が学校を卒業して上京し、それ以来連絡が取れなくなってからだ。学生時代の僕はクラシックに傾倒してて、特にチャイコフスキーやらハチャトゥリャーンやら、ロシア音楽ばかりをいつも聞いていた。悪く言えば石頭、良く言っても頑固者だった僕は当時、オーケストラこそ音楽の最高峰で、流行のバンドなんか中高生のおもちゃだと勝手に決め付けていた。だから、尊敬する彼女から薦められたスピッツですら頑なに拒み続けていたのだった。
 そんな僕に彼女はいつも
「この頭でっかち! 世の中、あんたの知らないことはまだまだいくらでもあるんだよ。もう知っていると思ってることだって、実は単に『知ってる』ってだけで、実際に体験するとまるっきり意味が違ってくることもある。知っていることと、経験したことがあるってことは、全然別のことなんだよ。」
と言いながら、細い目を更に細くして、あきれていたものだった。

 自転車は通りを突き当りまで進み、僕は奇妙な形をしたT字路へ行き着いた。以前見た地図によると、この道を左へ行くと確か梅田の中心地へ行き着くはずだった。右へ行くとどこへ出るんだろう?  僕は余裕のある好奇心から、鼻歌交じりにハンドルを右に切った。マサムネの甲高い声が、『日曜日』の中間部分を伸びやかに歌い上げていた、丁度その時のことだった。

 日曜日という概念がもたらす、のどかな雰囲気に包まれた自転車は僕を乗せて、知らない町の知らない道をもさもさと進む。
 坂の多かった地元と違って、大阪の町ではどこまで行ってものっぺりと平地の道が続くことが関係しているのかもしれないが、常にこぎ続けなくてはならない分、下りで楽ができる地元の道よりは、走っていてしんどく感じる。でも、特に急いでいるわけでもなく、音楽もスローテンポな『ヘチマの花』に変わったところだったし、僕は何か面白いものを見つけるまでこのままもさもさ進もうと思った。

 しばらく走っているうちに、自転車は城北公園という場所へ行きついた。
 中途半端な都会だった地元に住んでいる頃は、公園というと団地の谷間にあるネコの額くらいの大きさのものしか知らなかったんだけど、僕の目の前にあるその「公園」とやらは、それまでの常識を覆す空前のスケールだった。
 とにかく、広いのだ。向こう側が見渡せないくらいの広さ、そしてなにやら広大な池のようなものがあって、売店があって、休憩場があって、釣りを楽しんでいる大人やら子供やらが大勢いて・・・僕にとってそこは、公園というよりはむしろ、ちょっとしたテーマパークのように思えた。しかも入場無料と来てる。
 僕は自転車の向きを変えて、迷うことなく公園に乗り込んだ。

 公園はかなりの広さだった。自転車で一周するだけでもちょっとしたサイクリング気分が楽しめる距離で、僕は途中で何人か、サングラスにランニング姿でジョギングする中年のおじさんを追い越した。中央にあった池のそこここでは、さっき入り口からも見えたとおり、釣りを楽しむ老若男女がぼんやりと糸を水面に垂らしており、浮きがつくる円形の波紋の周りをすいすいと楽しそうにアメンボが泳ぎ遊んでいるのが見えた。
 流れ続けるMDでは、ちょうどマサムネが『五千光年の夢』で、お弁当を持ってこなかったことを後悔しているところだった。その気持ち、よく分かる。

 公園の一番奥まで進むと、そこはひときわ高い丘の頂上に続く、細い遊歩道になっていた。草の生えた丘の上のほうからきゃっきゃっとはしゃいだ声が聞こえる。目を遣ると、何人かの小学生たちが、段ボール紙のそりで草スキーを楽しんでいるところだった。
 今も昔も子供ってのは同じだな、と自分の昔の記憶と彼らを重ねてニヤニヤしながら、僕は自転車を丘の上に向けてこぎ始めた。
 その丘の頂へ続く遊歩道は意外にも急で(いや、今まで平地ばかり走ってきたのでそう感じただけかもしれないが)、僕は立ちこぎでがしがしと上っていく。噴出す汗を乾燥した春の風がやさしくぬぐう感覚。スピッツは名曲『ロビンソン』のイントロを流し始めていた。

 丘だと思っていたものの、頂だと思っていた場所に立ち、僕は自転車を降りて呆然としていた。

 川だ・・・大きな川だ。

 僕のいる場所は、都会の熱気に向こう岸がかすんでしまうくらいの、ものすごい川幅をもつ一級河川の堤防だったのだ。上ってくるまでは、川なんて全く見えなかったのに。
 おそらく地元の人にとって、この公園と堤防の位置関係は、何の疑問を挟む余地もない至極当たり前の関係なのだと思うのだけれど、全く予備知識のない「地域素人」の僕にとって、いきなり出現した大河は、まさに衝撃だった。

 足元には河川敷が広がり、そこはまた広い公園になっているようで、土っぽいグラウンドで野球やらサッカーやらをやっている子供たちや、その脇のアスファルトの上で楽器の練習をしている大学生、僕が上ってきたのと反対側の堤防の土手で甲羅干しをするボディビルダーなど多種多様の人々が、それぞれの日曜日を、それぞれの方法で堪能していた。
 ふと脇を見ると、無知な田舎者をニヤけた顔で見下ろす、青い看板があった。看板には白い大きな文字で、こう書かれていた。


 『一級河川 淀川』


 そうか、これが。僕はめまいを覚えた。

 信濃川、利根川、阿武隈川、筑後川、四万十川・・・僕はたくさんの川の名前を言える。中学の頃、テスト勉強で必死に覚えたからだ。とはいえ今でも完璧というほどではなく、同じテストを受けてももう満点を取ることはできないだろうけど、それでも僕は、今目の前にある川の名前を当然のように「知っていた」。地図を指差されて、この川の名前は? と聞かれたら、きっと『淀川』と即答出来たろう。
 でも、今僕の目の前で、悠々と上流から下流へたくさんの水を運んでいるこの大河が、こここそが真に『淀川』と呼ばれている場所だなんて、看板に教えられるまで想像だにしなかった。

 愚かにも、僕は「知っている」はずの場所を「知らなかった」のだ。

 上流遠くに白くて大きな橋が見えた。僕はなぜか、そこを目指して自転車を再びこぎ始めた。見えない何かを追いかけるようにペダルをこぐ僕の脳裏には今、往年の彼女の言葉が鮮やかに蘇っていた。
 「知っている」ことと、「経験したことがある」ことに、こんなに隔たりがあるなんて。
 全身の皮が一枚ぺろりと剥けたような気持ちだった。今更ながら僕は、やっぱり彼女は僕の偉大な先生だったと思い知らされていた。

 僕の進む方向とは逆に、淀川はゆったりと水を流し続ける。きっと、僕がその名前を知っていようと知るまいと、川はこれまでと同じように上流から下流へと流れていただろうし、これからも流れ続けるのだろう。だが、僕は「理解して」しまったのだ、僕の隣で流れている川の名を。
 自転車のペダルを踏みしめる僕の耳にはその時、マサムネ特有のぼそぼそした歌声で『ロビンソン』のはじめのほうの一節が流れ込んでいた。

 『川原の道を自転車で走る君を追いかけた・・・』

 僕は一生、あの人にはかなわないだろう。それでも、僕は僕の自転車をこぎ続けようと思う。



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)