ホタテ

児童福祉のお仕事5年目。てめえだけが食うに困らねえ幸せに、いったいなんの意味があるんだ。

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児童福祉のお仕事5年目。てめえだけが食うに困らねえ幸せに、いったいなんの意味があるんだ。

最近の記事

セックスワークって何だ

セックスワークそのものを無くすべきもの(=搾取構造そのもの)として否定する藤田氏と、無くすべきはセックスワークではなくそこにある搾取構造であり、藤田氏の言説は職業差別であると主張する要氏の対立があった。 藤田氏の意見にいささか疑問があるのは、ソーシャルワーカーである藤田氏は、クライアントに支援を押し付けてはいけないと考えるからだ。 もちろん「搾取されている」と感じているセックスワーカーがいたら、労働環境を調整するのがソーシャルワーカーの仕事だと思う。 だけど、セックスワ

    • 感覚とそうでないもの

      母の務める学校で、運動会の徒競走を男女一緒にするかどうか、議論になったらしい。くじ引きにすればどうか?男女関係なく、タイムが近い同士で競い合うように設定すればよいのでは?等、さまざまな意見がでるなかで、ある先生から「男女混交にしたら、女子に負けた男子が傷ついてしまうのでは?」という意見があったとのことだ。 保育園でも、子どもの呼び方にかんする議論をしたことがある。いま、わたしたちは子どもたちを外性器の形態で「~ちゃん」「~くん」と呼び分けているわけだが、それを「~さん」に統

      • 泣いて笑って、救われたこと

        小説を読む醍醐味のひとつは、 自分の過去の葛藤が、嵐のように救われることだ(この表現は『三月のライオン』の桐山くんからの盗作である)。 昔の自分では答えが出し切れなかった悩みや後悔、そういうものに共感して、「それでよかったんだよ」と慰めてくれる奇跡のような体験が、本当に時々あるのだ。 山田詠美先生の『僕は勉強ができない』という小説が、まさにわたしにとって、過去の自分を優しく抱きしめてくれた作品である。 高校生の時、クラスのマドンナが嫌いだった。 顔が可愛くて髪がサラサラ

        • お前らが嫌いだ

          『宮本から君へ』を見た。 何週間か前に見て、感情を整理するのに何週間か掛かったわけである。 誰も読んでないnoteだから、 あらすじとか、そんなものは省略。 思ったことだけ書こう。 わたしは宮本もタクマも大嫌いだ。 靖子をレイプしたタクマと、その仇を取りに行った宮本は、なんとなく正義と悪に見えないこともない。 だけど、宮本の行動の全ては、実のところ呆れるくらい独りよがりだ。 人生経験上、わたしの体に許可なく触った人や合意のないセックスを強要してきた人に殺意はあるけ

        セックスワークって何だ

          自己愛の行く末

          『あ、わたしってブスなんだ』と思ってしまった瞬間を、わたしはとても明確に記憶している。 それは小学校4年生の夏。同じクラスの男の子に『妖怪ニキビ女』と言われた時だ。 ちょうどその頃、わたしの顔には思春期ニキビが広がり始めていた。夏の暑さもあって、テカテカに光っていたんだろうと思う。 きっかけは覚えていない。きっと些細な軽口の応酬から始まった口喧嘩の中のセリフで、相手にも大した悪気はなかったはずだ。でも、わたしの心に『妖怪ニキビ女』という言葉は深く深く刺さって、10年以上

          自己愛の行く末

          気をつけるのは貴様だ

          わたしは、新卒で入社した職場を、1年と少しで辞めた。 理由はセクハラだ。 例えば、飲み会の席で脚を触られたり。 コピーを取っていたら肩を組まれて『かわいいね』と耳元で囁かれたり。 『彼氏と最後にセックスしたのいつ?オレいまムラムラしてんだよね』と夜中に電話がかかってきたり。これは想像だけど、たぶん相手はオナニーしていた(もし想像が当たっていたとしたら、ハラスメントのレベルは超えているような気がする)。 挙げればキリのないハラスメントが、日常茶飯事だった。 恥ずかし

          気をつけるのは貴様だ

          毒と愛

          毒親というには申し訳ないが、支配的な両親に育てられてきた。 次女であるわたしは姉よりいささかプレッシャーなく生きてきたが(姉は高校、大学、就職先をほとんど母が決め、先日母と同じ年齢で結婚した)、 それでも母はわたしが何度『現時点で結婚・出産にモチベーションは無い』と説明しても分からない。 つい昨日も、『早く実家に戻ってきて、お金はわたしが出すからどこかの大学院に行って、○○の資格でも取って、そうすれば結婚して出産しても非常勤で働けるし…』と、現時点のわたしの生活やキャリア

          吾輩はフェミニストである。

          人生の中で最も衝撃的だった会話がある。 足の親指に絆創膏を貼っていた女性に 『あれ、足どうしたの?大丈夫?』と尋ねると、 『あ~~~、これダンナにやられた。剥がされたんだ』と。 驚いて二の句が繋げないわたしに彼女は、取り繕うように『大丈夫、いたくないよ』と笑った。 婦人保護施設という、かくかくしかじかで市井にいることが難しくなった女性を、一時的にかくまう施設でボランティアをしていたときのひと場面だ。彼女は夫からの暴力で入所していた。 大丈夫なわけない。痛くないわけない

          吾輩はフェミニストである。

          うるせえ黙れの結論

          津久井やまゆり園の事件から3年が経った。 この事件について考え始めてから、3年がたったことになる。3年前わたしは就職活動中、社会福祉学部の学生だった。 とにかく悲しかった。 わたしたちが憧れ、志を持っていた福祉の世界で起きた悲しい事件がおこったこと、しかも差別的な優生思想に賛同する声もあったこと。 そしてなにより悲しかったのは、4年間も福祉を勉強したにもかかわらず『心失者は生きる価値がない』と言う植松聖の価値観を完全に否定できない自分がいたことだ。 障がい者に生きる

          うるせえ黙れの結論