毒と愛


毒親というには申し訳ないが、支配的な両親に育てられてきた。

次女であるわたしは姉よりいささかプレッシャーなく生きてきたが(姉は高校、大学、就職先をほとんど母が決め、先日母と同じ年齢で結婚した)、
それでも母はわたしが何度『現時点で結婚・出産にモチベーションは無い』と説明しても分からない。

つい昨日も、『早く実家に戻ってきて、お金はわたしが出すからどこかの大学院に行って、○○の資格でも取って、そうすれば結婚して出産しても非常勤で働けるし…』と、現時点のわたしの生活やキャリア、そして将来設計を全て否定するようなことを当たり前のように提案してくる始末だ。手に負えない。

端的に言えば、我が家は華麗なる仮面家族だ。母は父を愛していなかったし、父は母と姉のことはそれなりに愛していたが、わたしのことにはほとんど興味がなかった。

父は自分の生育家庭を愛していない人だから、自分の作った家庭に対しても不器用かつ無責任な人で、そういう父に対して母が不満を持つのは当然だったと思う。そして、父が大嫌いな父自身の母親(わたしの祖母)にそっくりなわたしを上手く愛せなかったのも、仕方の無いことかもしれない。

なのになぜ、母はわたしに結婚と出産を求めるのだろう。わたしにとって最も身近な夫婦が愛し合っていなかったのに、なぜ家庭に憧れを抱くと考えているのだろう。

わたしが子どもを産むことに興味が無いのは、繁殖よりも社会的養護のもとにいる子ども達を育てることに命を懸けたいと思うからでもあり、生育家庭の不和だけが理由ではない。

しかし、出産どころか結婚にも興味がなく、姉の結婚式もできればインフルエンザにかかって欠席したいと思っている悲しい根性のわたしが育ってしまったのは、少なからず生育家庭を今でも苦手に感じていることが関係しているはずだ。

わたしは自分が嫌いだ。20代も半ばになって、自分を愛せない自分を情けなく、ダサく感じているけれど、それでも上手く自分を好きになれないまま、もうすぐアラサーに突入する。

だから、わたしはわたしが最後でいい。繁殖して遺伝子を繋ぎたいなどとは全く思わない。生まれてしまったからにはせめて少しでも社会の役に立ち、それから死ねたらそれでいい。

自己肯定感が育たなかったのは両親のせいではない。わたしの両親はいたって真面目で善良で、わたしと姉をじゅうぶんに育ててくれた。むしろ根性が曲がっているのにわたしが犯罪者になっていないのは、まともな両親のおかげと言える。

それでも、いつも少しだけ死にたいわたしは、きっと結婚も出産もしない。

親孝行は、親にわたしの葬式を出させないこと。申し訳ないが、あとはそれだけと決めている。