セックスワークって何だ
繰り返しますが、すぐに性産業を廃止して、別事業で雇用創出してください。
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) July 24, 2020
別事業でも十分雇用創出して搾取できるし、その方が被搾取側からは害悪が少ないです。
これ以上、女性を屁理屈つけて搾取しないでください。
建設的議論は構造的な暴力を辞めてから、ゆっくりしましょう。 https://t.co/mgniwrf0eF
今日はツイッターで、社会福祉士の藤田孝典氏が、誠実に風俗業を営む人に対して、ただ風俗業であるという理由だけで、「早く廃業しろ」と連呼し詰め寄り、それは、人を社会的な死に追い詰める様子を多くの人と不意打ちに目撃したという出来事で、ショックだった。
— 要 友紀子☂️SWASH (@kanameyukiko) July 24, 2020
命の問題になってきた。大袈裟でなく
セックスワークそのものを無くすべきもの(=搾取構造そのもの)として否定する藤田氏と、無くすべきはセックスワークではなくそこにある搾取構造であり、藤田氏の言説は職業差別であると主張する要氏の対立があった。
藤田氏の意見にいささか疑問があるのは、ソーシャルワーカーである藤田氏は、クライアントに支援を押し付けてはいけないと考えるからだ。
もちろん「搾取されている」と感じているセックスワーカーがいたら、労働環境を調整するのがソーシャルワーカーの仕事だと思う。
だけど、セックスワーカーが労働環境に納得しているのなら、それに対して「あなたたちは搾取されているんです。助けてあげますから別の仕事をしてください」というのは、あまり福祉的じゃない。
わたしの狭い世界のなかだけにも、風俗をやめたいのにやめられない子(いわゆる”落ちた”子)と、自分で納得してセックスワークをしている子の両方がいる。
福祉は個人のニーズに合わせて提供されるべきであるから、後者に対して支援を押し付けてはならない。
ただ、難しいのは、明らかに搾取されているのに「大丈夫です」というセックスワーカーがいたら「それはマズいんです」と何らかの形で助け舟を送るのも福祉の仕事だということ。
その”明らかな搾取”が何に当たるのか、というのが非常に難しい線引きで、藤田氏からしたら、風俗そのものが”明らかな搾取”なのだということなんだろう。
わたし個人(福祉職としてではなく、あくまで個人のわたし)は、じつはセックスワークに懐疑的である。
”普通の男性”がセックスワーカーに侮蔑的な言葉を投げる姿を何度も見てきたし、実の父がまあまあの風俗狂いであった(父もまた、社会的には”普通の男性”であるわけだけれど)ことも、その価値観に影響していると思う。
お金を払って人の体を買うということが、それが仕事になるということが、感覚としてはどうしても理解できないのだ。
でも、わたし個人が納得できないということは、セックスワークを否定していい理由にはならない。ソーシャルワーカーとしてのわたしは、セックスワーカーをただ一人の社会人として尊重するし、それ以上でも以下でもない。
感覚は分からないけど、セックスワークも、その仕事にプライドを持っている人も、確かに存在しているのだから。
ただ、藤田氏の以下のツイートについては、自分の中で納得する答えが浮かんでいない。
風俗嬢は好きでやっている、ホームレスは好きでやっている、好きで生活保護受けている、好きで派遣社員やっている、好きで日本にいる、好きでその生き方を選んでいる…
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) July 25, 2020
この被差別構造を無視した自己決定の暴力すごい。
そのうち、死にたくて死んだ、というのも平然と容認されていくのでは。恐怖。
慰安婦を好きでやっている人がいたとが、奴隷であることに納得していた人がいたとか、搾取していた側の最低な開き直りは、歴史に散見する。
セックスワークが同じだとは思わないけど、まともな人権感覚と世間に対する耳目の欲がある人なら、セックスワーカーから搾取することを正当化している人を見たことがあるはずだ(ナイナイの人とかね)。
たぶん必要なのは、冷静かつ平等に(これが難しいわけだけれど)、当事者の意見を聞くことだ。
わたしは当事者の話を聞く術を持たないから、当事者の話を吸い上げている人の情報発信を、できるだけさぼらずにキャッチしようと思う。
それだけ。情けないですが、もうすこし考えます。