自己愛の行く末

『あ、わたしってブスなんだ』と思ってしまった瞬間を、わたしはとても明確に記憶している。

それは小学校4年生の夏。同じクラスの男の子に『妖怪ニキビ女』と言われた時だ。

ちょうどその頃、わたしの顔には思春期ニキビが広がり始めていた。夏の暑さもあって、テカテカに光っていたんだろうと思う。

きっかけは覚えていない。きっと些細な軽口の応酬から始まった口喧嘩の中のセリフで、相手にも大した悪気はなかったはずだ。でも、わたしの心に『妖怪ニキビ女』という言葉は深く深く刺さって、10年以上たった今も時々じわじわと痛む。

『わたしって妖怪ニキビ女なんだ』

『ニキビがあるってブスなんだ』

あたまの中が真っ白になって、そのあと、自分を否定する言葉に身体中を埋め尽くされた。

みんなわたしのことをブスだと思っている。
隣の席になりたくないと思っている。
一緒に帰りたくないと思っている。
臭いのかもしれない。
気持ち悪いのかもしれない。
どうしよう。

たった一言に傷つけられて、それ以来ずっと、否定的な自己意識と一緒に生きている。

大人になって、美容皮膚科でニキビ治療をして、エステでフェイシャルのコースを組んで、食生活も肌のことを考えて、25歳の今はある程度人並みの容姿になってきたと思う。

それでも、街中でじろりと顔を見られたりすると『ああブスだと思われているんだ』という被害妄想で頭がいっぱいになってしまう。

かわいい、と褒めてもらっても、この人はどういうつもりだろうとか、セックスのことを考えているんだろうなとか、素直に喜べない自分がいる。

いちばんの障害は、自分を愛せないことだ。そして自分を愛せないから、他人を愛せないこと。

わたしは自分が好きじゃない。だってブスだから。人に指をさされて笑われるほど、妖怪と言われるほどブスだから。

『わたしブスだから!』と自虐で笑いをとる子が羨ましくて憎らしかった。だって、わたしはそんなこと口に出したら泣いてしまうから。本当に本当に、自分の顔が嫌で、本物のコンプレックスは口に出すこともはばかられたのだ。

恋人のことも、心から好きだったことはない。
私でもいいと言ってくれる人、恋人を選ぶ基準はそれだけだったから。

もしかしたら一生そうかもしれない、と思う。
わたしは自分のことが嫌いなままで、
わたしを心から愛してくれる人には巡り会えない、そういう人生も有り得る。

自己肯定感が低いことさえ肯定して生きていけばいい、と児童精神科医の宮口幸治先生が言っていた。
ダメな自分を丸ごと受け止めて、ダメなりに生きていこう。そういうふうにも思う。

それでもわたしは、本当は、いつか自分を愛してみたい。可愛いと思ってみたい。かわいいでしょう、という自信満々な、素敵な女の子にしか許されないあの笑顔で、心から好きな人を見てみたい。

わたしを妖怪と言った子も、罰ゲームで告白してきた子も、よく見たらブスと面と向かって言ってきた子も。不幸になれとは思わない。

わたしの歪んだ自己愛が、
いつかどこかで報われる日が来ますように。