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『コロナが明けたらしたいこと』うえはらけいた

「コロナが落ち着いたらきっとね」

この2年間、何度こんな会話をしたでしょう。それは時に本気の願いで、時に体のいい断り文句でした。

会いたいねとか、行きたいねとか、そういう言葉が出ると、それが枕詞かのようにその後に続くのです。

コロナが明けたらしたいことは、沢山ありました。行きたい国リストに入っている国を、片っ端から飛び回ること。夜の公園でだらだらと缶チューハイ片手に話すこと。その夜のノリのまま終電を逃してカラオケに転がり込むこと。

でも本当にしたいのは、ぴりぴりした空気に怯えることなく、家族と口を大きく開けて笑いあったり、おじいちゃんや生まれたばかりの赤ちゃんの手を握ったりすることなんじゃないかと、最近になって思います。

あの時が懐かしいな。

去年はよくそう思っていました。コロナ一年目で自粛も厳しく続き、いろんな対立構造の中で私たちは日々疲弊していました。

あの時に戻りたい。その頃の私たちが見ていた未来は、コロナになる前の「過去」の風景でした。

けれど、思ったよりもずっと長く私たちはコロナとの生活を余儀なくされました。

そして今ではこれが新しい生活になってきました。リモートワーク90%で働き、夜遅くまで空いているお店は少なくて、今まで惰性で続いていた飲み会はなくなり、本当に会いたい人と連絡するようになりました。変わったな。こういう生活の選択肢が実はあったんだな。

私たちの生活は元に戻ろうとするだけではなくて、新しい何かを作ろうとしているように感じます。

それは私を勇気づけもするし、少しだけ未知のものが不安になります。自分でもっと選択できるものが増えたということは、もっと自分の責任になっていくということなのかな。会う人も過ごし方も選ばなくてはいけない時間を経て、大切なものが何なのかを常に問われていた、そんな2年間でした。



コロナが明けたらしたいこと。

noteの応募企画に当選し、わくわくと届くのを心待ちにしていた本が先日届きました。

幼馴染のおさむくんとつかさちゃんは夫婦と幼稚園でからかわれる程の仲良しでした。でも大きくなるにつれ、自然とそれぞれの生活は分かれていきます。そんな2人がコロナを経てどんなふうにまた人生を重ね合っていくのか。そんな10000日を描いた物語です。

うえはらさんのあたたかいタッチの絵に、自然と引き込まれていきます。幼馴染の2人が大人になっていく過程は、ことさら珍しいものではないからこそなんだか懐かしさを覚えました(私は女子校出身だというのに。)

ところがその後訪れるコロナは、今までのストーリーとは相容れない変化でした。ウイルスの猛威の前に私たちはなす術もなく、ただただ生活も価値観も変革させていくことを求められたんです。

その中で、主人公も変化していきます。自分が本当に大切にしたい相手が誰か、それはなぜなのか。

誰もが1人の時間に考えたその体験が読者それぞれに重なるからこそ、読み終えた時にじんわり広がる気持ちに涙が出るのかもしれません。

コロナが明けたらしたいこと。

人と会えない中で私たちはいろんなことを考えてきたけれど、本当に向き合わなくてはいけない時がくるのは、コロナが明けた後なのかもしれません。

私はその時、誰と向き合うことを選んでいるのでしょう。その時が来るのがもう近いのか、実はまだまだ先なのかは分かりません。

その時まで私にできることは、ちゃんと自分に大切なものを自分の周りから見つけ出そうとし続けることです。自分の時間を使って向き合いたいのか、自分はちゃんと自分のことを見てあげられる時間を取れているか。そんなことをもっと自分に正直になって考えても、人生短いからいいんだよって。

もっともっと感じながら生きたい。人と会えることが、笑い合えることが、触れ合えることがこんなにも幸せだと気づけたこの2年。

この時間があったからこそ踏み出せる未来を、私も大切にしたいと思えたあたたかい一冊でした。





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