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『傲慢と善良』自己肯定感が低くても、本当は自分がかわいくて甘やかす人

相手を評価し選んでいるとき、その人が無意識に自分につけている値段がわかるという。そしてどんな人でも自分には甘い。同じ採点基準では相手を見られないのだ。

辻村深月さんの小説『傲慢と善良』を読んだ。辻村さんらしい人間の切られると痛い内面を見せつける作品だと思う。また一つ、恥ずかしい自己中な思考を認めなければいけないと思う。

「普通の幸せ、普通の人がいいの。いい人いないかな〜」何度も繰り返した学生時代のその席に、それって理想高いんだよと言い合える人がいたことが良かった気がする。恋愛には憧れたのはほんとうだけれど、いまいち自分の殻を破れずに恥をかくのが怖いと思っていたときだった。

人から評価されたい。それは誰もが抱く感情だろうと思う。自分が飛び抜けた美人ではないのがわかっていても、それでもあの人よりは可愛いよなあと無意識に比べる相手がいて、自己主張はできないけれど誰かには認めてほしいと思っている。「自己肯定感が低いのに自己愛が強い」と小説内で呼ばれるその状態は、私も覚えがある。こんな私でも特別な相手に選ばれると信じてやまないのだ。

今ではあのころは甘えていたんだなとも思う。焦りだけは人並み以上にあったのに、嫉妬だけはずっとしていたのに、自分が傷つく選択は絶対にしようとしなかったから。今では「ぜったい誰でもいいなんて思ってないよ!」と男友達につっこんでいるくせに、当時の私は同じような意味で「誰でもいいのに」と思っていなかっただろうか。

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この小説は、マッチングアプリを通じて出会った1組の男女が、恋愛・結婚というステージで相手を選ぶ視線を生々しく描いている。

女性には不自由せずに生きてきたが、アラフォーになって婚活に苦戦した架。恋愛経験に乏しく、おとなしくて生真面目な真実。婚約していたふたりだったが、ある日真実は姿を消してしまう。真実はストーカーからの被害を訴えていたため、架は警察にまで行くが、見つからない彼女を探すうちに彼女の過去と自分に向き合うことになる。

登場人物を見ていると、自分で決めることなく環境の流れに漂っているだけの人ほど、認められたいが自分では責任をとれないという宙ぶらりんな自尊心を持てあますのではないかと感じた。自分を守る言い訳はたくさん持っているけれど、現実に向き合うのはひどく息苦しそうだなと。

ところで私は、高校生の時に妹から「まゆちゃんって他人のことバカにしているよね」と言われたことがある。否定できないなと思ってしまった自分がいるのだ。その時から、自分は傲慢なんだと自覚したつもりだ。でも、傲慢で何が悪いのだろう。だって、この本が言うように、選ぶってそういうことなんじゃないのか。

選ぶ行為自体が、エゴだと思う。私たちは毎日毎日、自分に見合うと判断したものを選んで生きている。そして自分につけた点数が低ければいいと言うことではない。自分を卑下するのだって、一周まわって傲慢な態度だと言える。だって、慰めてもらうのを待っているのかなと思えるし、周りの気分を下げてまで自分を卑下しても、それは自己中なんじゃなかろうか。

私は自分の傲慢さをたまに恥じても、時折出会ってしまうとてつもなくピュアな人に身を切られても、それでも自分が好きと言えるくらいしたたかだ。それが私の強みの一つだと思っているし、きっと私がさんざん選ぶ選ばれるをしながら文章を書いて至った境地でもある。

恋愛や婚活をする人、比較される社会に息苦しさを感じる人には、本作品をぜひ読んでほしい。


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