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友だちの定義ってなんだろう

「友達の定義はなにか」

これは、哲学の講義を受けはじめて、哲学のテーマで話し合う時間にでてきた問いだった。それも、学校ではなく、スーツを着た大人たちの中で、真剣に話し合われていたことだ。

会社の人は友達なのか。そんな言葉を輪になった私たちの中に投げ込んだ人がいた。

会社のエンゲージメント調査で、「会社の人は最高の友達か」みたいな質問、ありませんか。英語を直訳したような、そんなわけないだろってこと聞かれると、いつも思うんです、と。親くらいの歳のグレー髪の男性だ。うーん、友達を作りにきてるわけじゃないけど、結果的に友達になる人はいますよね。またも上司くらいの歳の人がいう。

会社の人は、ベストフレンドなわけないよなあ。そういう英語直訳の質問あるある、と内心ニヤニヤしながら思う。私は、後輩が同期のことを友だちと呼んでいたとき、ものすごい違和感があったのでそういうことなのかもしれない。じゃあ友達の定義ってなんでしょうね。その質問が投げかけられた時、私はうまく答えることができなかった。

学生時代、なんでもない時間をひたすら一緒に過ごしていた人たちは、私にとって紛れもなく友だちだ。休みもなく部活で汗を流したり、朝までカラオケで飲んだり、目的もなく旅行をしたり。かといって過ごした時間の長さではなく、この人は友達と呼びたいと思う人もいる。

父は昔から、「まゆ、学生の間に友達をたくさん作れよ」と言った。その意味がようやく良くわかるようになった。会社で会った人は、同僚ではあるけど友達じゃない。私や相手がいつか会社を辞めて、それでもなお会うことがあれば友達かもしれないけれど、それまで会社の人は会社の人だと思う。

自分が面倒なやつだという自覚がある。友達なんて、てきとうに仲良い人をみんな友達ってしておけばいいのに、それができない。親友という言葉も嘘くさくて好きじゃないし、適当な言葉で適当に飾ることが、私は苦手なのだと思う。ふつうに友達と呼んでしまえば角が立たないところでも、知り合いだな、友達の友達だな、と思ってしまうと、もう友達とは呼べないのだ。

その人を好きだとか好きじゃないだとか、そういうこともあんまり関係無さそう。憧れで軽々しく友達なんて呼べないっていうケースもある。じゃあ私は何を気にしているんだろう。

友達から結婚式の招待を受けた。嬉しかった。でも、呼ばれて困るということもある。呼ぶ方が迷うということもある。それってなんだろう。友達にも、明確にランクがあるからだろう。そういう主観の強弱がない人を、私はほとんど知らない。

それに、利害関係はどうしても気になる。お互いにメリットがあって一緒にいるのは、友達とは呼べないなと思ってしまう。そう考えると、仕事の人って難しい。見え方を気にせざるを得ない部分があるから。

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。

ネットで調べたらこんなふうに出てきた。対等さは、やはりキーワードかもしれない。そして心を許し合うハードルが、私は他の人よりも高いのかもしれないと思う。


と、こんなことを書いて予約公開の準備をしていたら、次の講座で「知人と友人の違いは何か」と言う話になった。知人は冷たくて言われると寂しくなるけど、友人というには相手と仲良くいようと努力も何にもせず、連絡すらとっていないこともある。そんな相手をどう呼んだらいいのかと言う人がいた。なんだと、似たようなことを思ってるじゃん。

こんなわけで、私は2週連続で友達について考えることになった。英語のフレンドのほうが友人よりも気軽に聞こえる気がすると言う話もあって、途中で辞書の意味を調べつつ話した。結局、友人と知人の間には、日本語での「フレンド」があるんじゃないか。そう呼んで区別してもいいんじゃないかと言う案も出て、こういうことを真剣に話せちゃうっていいなあと思ったのだった。

みなさんの友達の定義ってなんですか。

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