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「クリエイティブは復讐だ」としいたけさんに見透かされて

創作は復讐だ。

読んだときにハッとしました。その態度には、私は覚えがあったから。毎回欠かさずに見るしいたけ占いに、やはり見透かされていると感じたのです。そして、みんなそうじゃないの?と思ったのですが、ここでわざわざ書かれるということは違うんでしょう。

「クリエイティブとは、復讐行為である」
とは、あなたはですね、「陳腐さ」や「かたち通り」、「考えずに、ただ繰り返されてきたこと」、「センスのない悪口」など、いっぱい色々なことに対して「つまんねー! 」と言って傷ついてきて、「じゃあ、私がもっと面白いもの見せてやるよ」とか「今に見てろよ、コンニャロー! 」と言いながら、あんまり面白くないなと感じてしまう世界に対して、常に光の投石をしてきた傾向があるのです。

しいたけ占い 2024年下半期 水瓶座

生きるのは、優しく流れをただようことではないです。少なくとも私にとっては、自分とは相容れないものが存在する世界の発見であり戦いであり、自分との葛藤なのです。それでいて、不器用な自分が進んできた道に対して、誰も気づかなかったとしてもちいさなプライドをもつこと。楽なほうに折れてしまいそうなときにも、立ち上がること。

世界に対して、許せないなと思うことがあります。子供が傷つけられる時間や、権力者の不誠実な態度を筆頭に、信じられない、許せないと思うのです。それは、先生のえこひいきのあった学校でも(私はひいきされる側でした)、腑に落ちない一斉就活でも、なにか世の中の不誠実や不公平に対して自分に憤るスイッチがあるぞと思ってきたのでした。

もしくは、非合理に。会社員になってからは、理由もよくわからず(なんなら無駄に思えることが)推奨され、まかり通る世界に大いに困惑してきました。変えようといえる風土があるからまだいいものの、意味わかんねえ!とひとりで荒れることも多いのです。それが自分が得することで、黙ってようぜという風潮があっても、もやもやする。私はそう言う人間です。

でも、ひとりが持つ力というのはたかが知れていて、一言で世界が変わるわけではありません。残念ながら、人々の生きる世界は誰のものでもないのです(最近は政治家が好き勝手してるけど)。

そういうとき、私は自分のまわりでできることを考えざるを得ません。諦めるというのは、自分の人生がつまらない、不公平に満ちたものであることを受け入れるのと同義です。私は、自分の人生に対して誠実に向き合いたい。だから選挙に行くし、主張も、言葉も、文章も、多少面倒な人と思われようと発信することをやめません。

そんなに肩に力を入れすぎなくても。そう思われるかもしれません。でも、握り拳を固く結び、いく先を睨むように強く見て進むのが今の私です。負けないぞ。


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