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貧しい大家族のおもてなしを受けたトンガで現地を味わう旅を知った

旅行先に行くと、せっかくだから何かをしなくてはいけない気がしてしまうのは私だけではないと思います。

まさにトンガについた私達も最初はそう思っていて、クジラと泳ぐツアーに参加したり、少しでも多くごはん屋さんを探し出そうとしていました。

トンガなんて、そもそもニュージーランドに留学するまで知りませんでした。今でこそラグビーワールドカップで少しだけ有名になったものの、サモアの近くにある小さな島国なのです。日本では知らない人のほうがまだまだ多いと思います。

どこでもいいから色んな国に言ってみたかった私は、「次の休みにトンガ行かん?」という友人らの謎の誘いにも食い気味に頷いていました。そうして気づいた頃には、わざわざフィジーで小さな小さなプロペラ機に乗り換えてそんな小さな島国まで来ていました。


クジラと泳ぐツアーは、全くどこに行くかも知らされないまま現地の小さな船に乗り込んで始まりました。それが終わった頃には雄大なクジラの脇腹の映像と、休憩地点と連れて行かれた楽園のような無人島の映像とが鮮明に脳に刻まれました。

間違いなく人生で訪れた海の中で一番綺麗な海で、名前も知らない地元の島へは間違いなくもう二度と行けないことがわかりました。まるでクジラと一緒に天国へ迷い込んでしまったかのようでした。

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そんな絶景を堪能した私達は、さらなる経験を求めてトンガ本土へも繰り出そうと息巻きました。何しろ次の地サモアへ行く飛行機は4日に一度しかないのです。私達にはトンガでの時間はたっぷりと残されていました。

ところが、この土地には観光地なるものがありません。

そもそも、観光客自体が少ないんです。

普通に考えたらリゾートを求める人はフィジーに行くし、もう少しコアな場所でもサモアのほうが大きくまだ観光地も多いのです。それは空港の設備や飛行機の大きさを見ても明らかで、それでも私達は好奇心だけで軽率にトンガまで来たのでした。

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現地の中学に通う男の子たちは放課後にひたすら堤防から海に飛び込んで遊んでいました。

ふらりと歩きながらそんな光景を眺めて写真を撮っていると、人懐っこそうな彼らは英語で話しかけてきました。

日本人よりずっと英語をきちんと話す彼ら。そうやって出稼ぎやこれからの仕事にも備えるのだそうです。

現地の子供達に誘われて、同行していた男友達はその場でパンツだけになって海に飛び込んでいました。はしゃぐ彼らには兄弟がたくさんいて、彼らもいつかは出稼ぎに行って家族を支えるのだと言っていました。

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次の日は車を借りて、島を走ってみることにしました。

グーグルで調べてもあまりにも少ないトンガの観光地。

その代わりにアスファルトの道には落とし穴のような穴ぼこがいくつも空いていて、何度かドスンと落ちながらも目指す海の方に走っていました。

観光というより、探索なのです。

私有地に入ってしまって怒られたり、もうなにもないやと海沿いの道でのんびりと時間を潰しながら、私達は洞窟のある場所へとたどり着きました。

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するとそこへ、いかにも現地の方という男性がやってきました。

圧倒的に強そうな彼を見て、丸腰の私達4人は思わず逃げ腰になります。ここはあまりにアウェイすぎるし、それに彼の野生に鍛え抜かれた風情に恐れをなしたからです。正直、ソーリーと謝ってすぐにでも逃げ出したいような気持ちもありました。

でも、彼は私達が観光客だと知り、もっと案内しようとしてくれたのでした。

どうやらそこは彼が管理している土地だったらしく、慣れた足取りで崖に向かって進むその人を私達は頼もしく、少しだけおっかなびっくり追いかけました。

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崖から見える海の勢いを見せてくれた彼は、家族のところへも連れて行ってくれました。

トタンの家。まさにそういう平屋のお家です。ヤシの木の間にぽつんとそこだけ人の住処があり、大家族とペットのねことブタがのんびりと時間を過ごしていました。

おい、ココナッツジュースを飲んだことがあるか。

そう彼が聞いたかと思うと、その場であの細い木にあっという間に登り、実をごろごろと叩き落として帰ってきました。

そんな一瞬の出来事に大興奮している私達など構いもせずに、ココナッツの殻をむいていきます。

その場で作ってくれたジュースを、私達は恐る恐る受け取りました。

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よく南の島の観光地で売っているものとは違い、とれたてほやほやなのです。ストローもなしに全然上手に飲めませんが、それはたしかにあの薄いスポーツドリングのような味をしていて、私達はゆっくりゆっくり飲みすすめていきました。

現地のタバコというものを男子たちが吸わせてもらっている中で、私はおばあちゃんと時間を過ごしていました。おばあちゃんは英語を話しません。にこにことしながら孫に時々通訳をさせ、私達に食べ物を次から次へとすすめるのでした。

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その家はとても豊かとは言えない暮らしぶりでした。

日本人の私達から見てということではなく、トンガの市街地の住民と比べてみても、その暮らしの違いは明らかに見えました。

彼らは食べ物も自給自足で、子どもたちは学校に行けていませんでした。

おそるおそる部屋の仕切りなどもない家から顔をのぞかせた少女が、古い教科書を見せてくれました。これで自分で勉強していると。

でも、私達のことはめぐり合わせだからとみんなでもてなしてくれました。彼らはキリスト教徒だということでした。

彼女らが摘んでくれた南国の花を髪に刺し、贅沢品のスイカをごちそうになります。トンガでは火を扱う重労働だから男性が料理をするの。そう言っておしゃべりをしている女性陣と一緒に、タピオカ芋を火にかける日焼けした男性陣を眺めます。

芝生の上にゴザを敷いてもらい、できた料理を並べてみんなで輪になって座ります。ほくほくとしたタピオカは街の中心で食べたぼそぼそとしたそれよりずっと美味しく、何度も何度も彼らに感謝を伝えました。

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都会からきた私達にとって、そのおもてなしは疑いすらするものでした。

何かを盗られたり、要求されたりするのではないか。彼らの暮らしとはとても釣り合わない偶然の出会いへのもてなしに、私達はもはや警戒心すら抱いていたのです。

でも、彼らはただただ善良な信者であり、温かい大家族でした。

身軽な観光客の私達には、相手を喜ばせられるようなお土産はありません。ここでこんな温かい出会いをするとは思いもしませんでした。彼らとの別れの時に、私は疑り深い自分の性格を心底恥じることになりました。

私達は少しだけ持っていた日本の飴やチョコレートを贈りました。こんなものしかないけれど、本当にありがとう。

私達にはお金はありました。でも、それを渡すのははばかられました。彼らが善意でしてくれたおもてなしを土足で踏みにじるようなことはしたくないというのが4人で話した結論でした。

その家には、住所という住所もありません。

トンガを出たら、もう場所もわからないような、日本からの贈り物なんて届かないような土地でした。

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もう二度と行けない国だろう。

日本から遠く離れた小さな小さな島国に、私が戻る未来を描くことはありませんでした。

そう思っていたけれど、本当は一番訪れなくてはいけない場所かもしれません。

観光地なんてなくても、時間の使い方がわからなくても、人との偶然の出会いによって忘れられない場所になったトンガ。

旅はその土地で人と出会い、暮らしを体感し、そしてその出会いに感謝する経験の繰り返しなのだと教えてくれた場所です。

それからはリゾート地や名所より、観光客がいかなそうな現地の雰囲気が私の旅の楽しみ方になりました。一期一会だからこそ、その時間を大切にしようと思える。そんな時間をこれからも旅して過ごしたいものです。




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