行き尽くしたはずの場所で、はじまりの旅行を。
東京で育った私にとって、熱海は手頃な観光地であり、いわば行き尽くした場所でもあった。家族で花火を見に行って、固いアスファルトにタオルを敷いて何時間も打ち上げを待った中学生。2度目の花火はどしゃぶりだった高校生。高校時代の友人がスクール水着で芋洗いの海に入ろうとするのを必死で止めた大学1年生。
それから今に至るまで、サークルで再建された城である熱海城にやいのやいの言ったり、恋人じゃない人と温泉に入ったり、年初の旅行と言って友人と飲み明かしたりした。ゼミ合宿で教授の犬と海辺を散歩したこともある。商店街の練り物が美味しいこともプリンのお店が行列なことも、熱海でできることはどれもひと通り以上に‘済ませて’いたのだ。
一方で恋人は、関西から出てきて、こちらの観光地には縁もゆかりもない。そんな私たちが、付き合って3ヶ月で初めての旅先に選んだのがこれまた熱海だった。出会ってから日が浅いし、まだ長いこと一緒に過ごしたこともない。だから大袈裟な旅行にはしたくなくて、手近な場所を選んだのだった。
行くまでの私には、正直なところ結構な不安があった。彼はどこからどう見てもわくわくとしているのが伝わってきていたけれど、私は楽しめるのだろうか。新鮮じゃない場所を旅慣れていない人と訪れて、退屈したらどうしよう。温度差ができたらどうしよう。彼は24歳で私できた初めての彼氏と呼べるひとでもあったので、対処できないいろいろが押し寄せてきた。
集合は熱海は向かう11号車。ラインを見返したら、前日は荷造りをしながら夜中に1時間半も電話をしていて、なんて初々しいんだろうと思う。3年目、一緒に住んでいる私たちにはもう起こらないくすぐったい会話が繰り広げられていた。その時点でこの熱海旅行は、今までの旅行とは違うものなんだと私を驚かせていた。
海鮮丼を食べて、11月の入れない海を見て、ちょっとだけ寂れたホテルへ。3年目になれば少し奮発した旅行もするけれど、この時はお互いの財布事情も探り合っていた。部屋から海が見えるけど、高すぎないところで。そうやって選んだホテルは、白い外壁が砂でところどころ黒ずんで、絨毯にもシミがあった。けれどもベランダからの海は真っ青に光っていて、そこだけ夏を取り残しているみたいに眩しかった。
朝、シーツに差し込む鋭いほどいっぱいの光が、ぜんぶ海からのものだと分かった時には、カーテンをしめていて本当に良かったと思ったものだ。「あたみ」という名の日本酒でそれなりに酔っ払っていたのに、昨日の自分グッジョブすぎ。寝起きはぐうたらしがちな彼が、あまりの太陽に叩き起こされるのを見ながら、ふたりで大笑いした。
ロープウェイに乗り、神社をお参りして梅園を散策。途中で海外からの観光客が私たちの写真を撮ってくれて、言われるがままにいつもより寄り添って写真を撮った。そういえば、別の誰かとこの場所を巡るとき、思い出はいつも違った顔をしていたなと思う。こんなに訪れても、笑っている場所は何気ない場面で、それぞれが大切なのだ。旅に優劣はないんだろう。好きな人と手を繋ぎながら廻る熱海は、また私に新しい顔を見せてくれた。
趣味は、と聞かれれば、旅行と即答できる私。飛行機に乗ったことのない彼。バックパックでヨーロッパひとり旅に出る私と、家族旅行の文化のない彼。そんな重なり合わない私たちカップルが、お互いに触れて出会う世界の広がりを楽しみ始めた時だった。
それを少し不思議そうに眺める友人たちもいた。でも、私たちは気にしていない。だってここから、彼の初めての飛行機や海外の瞬間を、私の行きたい場所めぐりを、私たちは積み重ねていくことになるのだから。旅行に関して、はじめては全部いただくよ、とそんなふうに彼に豪語している私である。
次は一緒に、どこへ行こう。熱海から始まったふたりでの旅行記は、予定調和ではない、モデルコースもないものなのだ。きっと彼にとっても、あの熱海は忘れられない旅のはず。そう思ってまた私は、記憶のアルバムをめくり始める。
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