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ガンジーの過激な非暴力・不服従

 ガンジーの「非暴力・不服従」と聞いてどんなイメージを持たれるでしょうか。
 初めてその言葉だけを習ったとき、弱そうという言葉が浮かびました。過激さとは真逆の、平和的なデモか何かだろうという印象でした。よく無抵抗主義と誤解されることも多いそうです。

 同じようにキリストの「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」はいかがでしょう。「なんでやねん!」です。「なんで頬を殴ってくる悪者に、左の頬も差し出さなきゃならんのだ!? 両方殴られるだけじゃん!?」
 
なんとマゾヒスティックで軟弱な教えなのでしょう!


時は20世紀、暴力が全インドを支配した!

 ガンジーが生きた時代をまず紹介します。
 時は20世紀。暴力が全インドを支配し、弱きものは食い物にされていました。
 インドだけではありません。アメリカでは黒人が白人に差別され、アジア・アフリカのほぼ全ての地域は列強国の植民地や傀儡にされていました。

 自由・人権・平等の理念は、植民地人には与えられず、黒人・黄色人種にとって差別と暴力そして貧困が日常となっていました。

殺戮国家・大英帝国

 そんな時代にインドを支配していたのは大英帝国(イギリス)です。20世紀のイギリスはインドだけでなく、アフリカの半分、中東の半分、ミャンマー・マレーシアetcを支配していました。
 アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカも元々はイギリスから独立した国です。ちなみに昔からいた原住民は殺戮されるか隅に追いやられるか、支配されました。

 18世紀~20世紀の大英帝国で特にひどいエピソードをいくつか紹介します。

①ベンガル大飢饉。一説には1770年の飢饉の死者は1,000万人にのぼる。その後もインドでは飢饉が続き、5,000万人の死者を出したとも言われる。
 正確な数字は定かではないが、相当数の餓死者が出たことは間違いない。

②アイルランド飢饉(ジャガイモ飢饉とも)。死者は100万人と言われる。アイルランドはその後も人口減少が続き、現在に至っても飢饉以前の人口に回復していない

③阿片戦争。清(中国)が生意気にもイギリス様のアヘンを禁輸しやがった。許せん、戦争だ!
 清は香港を割譲し、賠償金を払い、治外法権を認め、関税自主権を放棄し、大英帝国に最恵国待遇を認めましたとさ。

 この他にも余罪はたっぷりです。
 死者数から見ても、大英帝国は中国共産党・ナチス・ソビエト以上の悪の帝国と言えると思います。
 そんな大英帝国にガンジーは非暴力・不服従で立ち向かいます。自殺かな?

過激な非暴力・不服従

 映画「ガンジー」が3時間越えと超長いですが、おすすめです。大学生のころに見たのですが、コップに涙がたまるくらい泣きました
 その映画から若きガンジーが初めて非暴力・不服従運動を演説した言葉を世界観とともに紹介しましょう。

 最低国家イギリスに支配されたインドですが、ガンジーはインドの中ではエリートの出身で、若くしてイギリスの大学で学び弁護士となります。

 若きガンジーは南アフリカ(インドと同じくイギリス植民地で、インド人の出稼ぎが多かった)にやってきますが、汽車の一等室に座っていたところ車掌にいちゃもんを付けられ、口答えをしたら次の駅で放り出されました。

 南アフリカは元々住んでいた黒人が人口の9割、入植したオランダ人が1割ほどですが、戦争に勝利したイギリスが支配者になっていました。
 オランダ人としてはイギリスに指図されるのは気に食わないということで最初は反骨精神があったのですが、畜生イギリスは黒人を激しく差別する法律を通しまくり、相対的にオランダ人の地位を高めたように見せて懐柔しました。オランダ人は黒人を支配する特権階級の気分を味わえたのです。実にイギリスらしい政策です。

 南アフリカにつくと仲間から「歩道は白人と並んで歩けない」と教えられます。ガンジーは法廷や新聞への投書を通して戦うと宣言し、さっそく集会も開きます。

 インド人は常に所持を義務付けられている身分証明書ただし白人は不要)を持たされていました。ガンジーはそれをみんなで燃やそうと主張します。
 すると白人の警察があらわれ、怒鳴りながら燃やした者は逮捕すると告げられます。
 ガンジーは箱にたまった身分証を淡々と、どこか堂々と炎にくべますが、警官に箱を叩き落とされます。
 ますます語気を強める警官、張り詰めた空気が流れますが、ガンジーはそれでも身分証の焼却を続けようとします。どうなるか想像はつきますよね。
 警棒でどつかれます。それでもガンジーは火にくべるのを止めようとしません。警棒でどつかれます。それでもガンジーは火にくべるのを止めようとしません。警棒でどつかれます。

 この事件でガンジーは有名になり、インド人だけでなく白人の牧師や記者の味方も現れます。
 ですが政府がさらに激しくインド人を迫害する法律を通しちゃいます。それに対する集会でガンジーは初めて非暴力・不服従の真髄を演説します。

 まず法律の問題点を改めて指摘しました。「インド人は男女ともに犯罪者のように指紋を取られる」「キリスト教でないと結婚が認められない」「警官はノックもせずに勝手に住居に押し入ることができる」などです。

 すると聴衆から「家や妻を侮辱した者は殺す。死刑になってもだ!」とか「恥辱を受ける前に役人を殺すのだ。そのためなら喜んで死ねる!」という勇敢で過激な発言が飛び、拍手喝さいを受けます。
 これはもう時代です。支配と差別が当たり前の時代で、のほほんと生きていたらいつの間にか全ての権利が剥奪される。どこかで立ち向かわなくてはいけない時代です。

 ガンジーはその勇敢さを認めつつも別の方法を提案します。

 そんな勇気をたたえます。
 みなさんのそんな勇気が必要ですし、私も死ぬ覚悟があります。
 ですが友人のみなさん、人を殺して良いという理由にはなりません。
 何をされようと、我々は誰も攻撃しない、殺しもしない
 しかし、誰一人として指紋を押さない
 そのために投獄され、罰され、財産を奪われることもあるでしょう。
 しかし、我々が渡さない限り、自尊心は奪えません
 戦って下さい。
 彼らの怒りと戦って下さい。
 我々は暴力を用いず、彼らの暴力を受けてください
 我々が苦しむことで、彼らは自らの不正義を悟ります
 痛いでしょう。戦いは痛いものです。
 しかし負けてはいけません。
 彼らは責め苦を与え、骨を砕き、あまつさえ殺すでしょう
 そのとき彼らは死体を手にするでしょうが、服従は手にできません。

映画「ガンジー」より

 この演説を聞いたとき「なんて過激なんだ」と思いました。「死ぬ覚悟で不服従を貫け、死ぬ覚悟で暴力を受けろ。相手が不正義を悟るまで殴られ続けろ。自尊心と不服従だけは死んでも不滅だ」と言っているのです。平和な現代人としては「む、無理っす……」というのが正直な感想です。

 そして演説を聞いた聴衆は、今まで以上の拍手喝采を起こすのですが。「えぇ、これに拍手喝采できちゃうの……」と覚悟が決まり過ぎた当時のインド人に深い尊敬を抱かずにはいられないのでした。 

非暴力・不服従が通用しないケース

 上記の演説は若きガンジーのデビュー戦なので、映画では序盤・第一章です。面白いと感じた人はぜひ見てみてください。

 さて悪逆の限りを尽くした大英帝国ですが、この非暴力・不服従運動を弾圧しきることは出来ませんでした。
 運動はアメリカのキング牧師が主導した公民権運動に引き継がれてゆきます。

 ナチス・ソ連・中共といった独裁国家だったら、ガンジーの非暴力・不服従運動はそれこそ数千万人の被害を出して弾圧されていたことでしょう。

 ですが、大英帝国……いえ英国市民はこの運動を認めました
 20世紀初頭~半ばのイギリスやアメリカはそれほど優しい国ではありません。まだ白人至上主義、黒人・黄色人種への差別が当たり前の時代です。

 実はアメリカ史においてもチェロキー族という国が文明開化して、アメリカに非暴力で戦った歴史があります。
 チェロキー族はキリスト教や西洋文化を受け入れ、英語を学び、自身の文字を発明し、憲法も作りました。ですが、悲劇が起こります。チェロキーの領内に金鉱が見つかってしまったのです。
 金鉱が見つかるなんて良かったとお思いでしょうか。黄金に取りつかれたアメリカ人がチェロキーの土地を奪いに来たのです。

 チェロキーたちの運動は、多くのアメリカ市民も味方につけますが、おしくもアメリカ政府を止めることは出来ませんでした。チェロキーが土地を追われ、多くの死者を出しながら不毛の土地に追いやられるのが1830年代のことです。

 つまり独裁国家の場合、非暴力運動は通用しませんし、民主主義国家であっても市民の意識が低ければ通用しません
(チェロキーの運動はガンジーほど過激な不服従までは行いませんでした)

21世紀の非暴力・不服従

 今の時代に非暴力・不服従運動が起こったらどうなるのでしょう。
 暴力によって運動が頓挫させられるのでしょうか。

 70年前のイギリスですら非暴力・不服従を弾圧しきることは、ついぞ出来ませんでした。
 私たちは1940年代のイギリスから進化したのか、1830年代のアメリカのように退化しているのか。
 文明と市民の魂が試されるときです。


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